中本 淳 -33ページ目

先日お邪魔した教育フォーラムについて

教育フォーラムの議題は不登校登校拒否についてでした。

講演のなかで感じたことは公と民、専門家と相談者との温度差でした。

全てのベクトルが互いに異なり目指す最終目標も異なる。

これでは現在の不登校の問題がよい方向に進むことはあまり期待できないのではと感じました。


私が最も温度差を感じた点は不登校になった若者に対する考え方の違い。

公的な立場からすると一種の社会問題というより病人の扱いに近く学校に行けないことは

残念なこと。一日も早く学校復帰をさせようという考え方でレールからはみ出した若者たちの対処

という見解。そして自分たちの公的な立場と民間の立場との違い派大きいものであると強調していたようにおもえます。


一方民間支援団体の意見は登校拒否は時間の解決しかないように聞こえました。

大人になっても通える場所を提供する。若者に押し付けはしない。若者は自由だ。いいことの詰め合わせ

いいことかもしれませんが若者はいつまでも若者ではなく現状に悩む若者に将来の話それも

時間の解決策を説いても仕方がないのではと思いました。そして学校復帰をさせたいのか学校教育を無視したいのか。そして話す内容にも方法にもわかりにくいものでした。


結論からいうと公的機関の代表者も民間支援の代表者もお互いの見解にこりすぎて相手の見解に協調しない。やる気を失った若者は放任しやる気が出るまで待つしかないという考えでした。

きっと参加者の中にはわらをもつかむ思いできた方もいたのではと思うと心が痛かったです。

現在不登校の若者のおおくは無気力感におそわれ自己の世界に引きこもる方が多いのに、病人あつかいでかつ放任しておくしか手段はないのでしょうか?

確かにやる気のない人間に何を語っても無駄かもしれませんが、その無駄な行動に活路をみいだそうとするのが真の専門家であり、そのひたむきな努力が評価されるのではと思います。

私も若者と接する中で様々な悩みがあり参加したのですが非常に残念でした。

最後に私なりの見解をまとめます。参考程度に読んでいただければ幸いです。


家庭の結束と外部の人間関係


現在不景気のさなか社会全体に余裕がなくその中で生活する人々は息をするのも大変な状態です。

そのような社会に若者たちが入っていくのです。当然息苦しさを感じるのが当然なのです。

これが社会です。その一言で終わらせてしまうことがどれだけおかしなことか。

社会の一部として若者には学校というものがありその価値観は従来とは大きく異なります。

現在の若者にとっては学校は義務の象徴であり不要なものなのです。

ある若者に聞くと学校での人間関係はプライベートには不要であるという。

週休2日でないとストレスでおかしくなる。学校での人間関係が本当に嫌だ。

私が学生のころ。学校に行きたくないことはありましたが人間関係が不要に思えたことはありません。

毎日友人たちとあそんでいました。

これだけ負担になる学校生活。そうなれば若者の行き場は家庭になります。

そして家庭で過ごす時間は当然多くなります。居心地がよいのですから。

そうなると保護者も心配になりより家庭での結束を強めます。

できるだけ笑顔が見れますように。

楽しい家庭。楽しくない社会。そうなれば自然と結論ははっきりします。

それならばずっと家庭にいればと思いますが大多数の若者は社会にでて行かなくてはなりません。

働かなければなりません。

その社会はかつての学校よりずっとつまらなそうな就労場所です。

現代の若者は利口です。

そんな場所に行きたがらなくて当然かもしれません。

濃密過ぎる家庭環境と希薄すぎる社会との関係

これを解決しなければいけないと思います。


簡単に言えば


自分の部屋にいすぎてはいけません。


社会は学校だけではありません。


友達は同級生だけではありません。


パソコンは友達ではありません。


まずは外に出てみましょう。


自分の好きなものがあるお店に行きましょう。


そして


そこで勇気をだして人と話が出来るまで通いましょう。


意外なほど


あなたを見ているひとがいますので。


まずはあなたの家以外の居場所を作りましょう。


以上


中本 じゅんでした。