アブラハムの「象徴献祭」の失敗による蕩減路程を担当したヤコブは、天のみ旨のため、知恵をもってエサウから長子の嗣業を奪うというかたちで個人的な争いに成功した。また、サタン世界であるハランに入って、彼の母の兄ラバンから長子の嗣業を家庭的に奪う二十一年間の争いに勝利した。

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 原理講論ではヤコブ路程はサタン屈服典型路程として教えられます。

 

 「メシアを迎える為の実体基台と信仰基台を」勝利した人物なので統一教会の中では一目置かれています。

(統一原理を聴いたことがない人には何のことかさっぱり意味が分からないと思いますが、

べつに大した意味はありません。教義を創った人の単なる妄想なのでスルーしてください。)

 

 文教祖はヤコブ路程をまねて、崔元福を姉、韓鶴子を妹に見立てて姉妹丼をしています。

(本当は隠し子朴さんの母崔淳花とその姉で実体姉妹丼をしたかったみたいですが二人とも離教してしまいました。 因みに崔淳花は文教祖の元妻の従姉妹にあたります。

レアとラケルはヤコブの従姉妹です。

 いつもの事ですが、 都合のいいとこだけ聖書を真似る教祖様です。)

   聖書の権威の利用したハロー効果

 

 何故か姉妹丼に横道がそれてしまいましたが、

 

 ヤコブがやったことは「オレだよオレ、エソウだよ」とエソウを偽装して

長子権を父イサクから奪ったことです。

 そして、このオレオレ詐欺を教唆したのは母リベカです。 

 

 復帰原理ではヤコブのオレオレ詐欺を「ヤコブの知恵」といって肯定的に教えています。

そしてリベカの犯罪教唆を「母子共助」とほめています。

 

  しかし、事実は母子でイサクとエソウを欺いてるだけの話です。

  もし現在のように法整備が整っていれば、エソウは訴訟をおこして長子権(相続権)を簡単に取り戻すことができるでしょう。ヤコブとリベカのやったことは違法行為ですから。

 

  で、何が言いたいかというと教会では嘘をついて人から金を奪ってくることを「ヤコブの知恵を使え」と言って正当化するのです。

 前回記事「万物復帰の思い出」で触れた嘘をついてお金を儲けても万物をサタン側から神側に復帰してるから悪い事でないという理論です。

 

 

 このように、教義的にも嘘をつくことはOKです。

「天の御旨」や「とーげん復帰」という条件つければ、違法行為につながる良心の麻痺に自覚がなくなります。

 

 復帰原理を一言でいうと救済思想です。

この救済思想が良心や理性を麻痺させる「麻薬」です。

オウム真理教で殺人が正当化された理論もポアという救済思想です。

 

 また、救済思想は選民思想ともいえるでしょう。

 私たちは「選ばれている側で救ってるんだから」少々悪いことや手荒なことをしても許される最終的には「恩人となって感謝されるんだ」という道徳的相殺意識です。

 

  しかし「神の復帰摂理」や「天の御旨」(救い)の実態は何という疑問には答えていません。

 答えは教祖、教団の恣意やご都合です。

 

 オウム真理教の例を挙げれば、オウムに反対する人物はオウムや麻原にとって都合が悪い、

じゃーポア(救い)しようになります。

 

 

  身も蓋もないですが事実です。

  

不等式で表すと。

 

 教祖、文家のご都合、恣意>>幹部の恣意>>>>教義(原理)>>

>>>コンプライアンス(社会規範、法律)

 

 だから、教祖家庭では恋愛結婚しようが、隠し子があろうが不正蓄財、脱税しよう

がすべて正当化されます。

 信者は勝手に「それは世界を救うための一環」(摂理)だからと無理やり理由づけます。

理性や感情で受け入れられなくても「何か深い意味がある」と自分に言い聞かせれば済むことです。

 

 どこのカルト団体も同じような心理作用が働いています。

 

 

 今は 教祖が亡くなって三分裂しちゃったのでそれぞれ後継者を自任している方達

(鶴子、三男、七男)のご都合になっちゃています。

 

  そして、各々が「私たちが神側(正義)(救う側)で相手はサタン側(悪)(救われる側)」ということで互いに罵りあっています。

 信者はは完全な二元論、白黒脳(カルト脳)に犯されています。

 例をあげれば、サ教は自分たちを「救命ボート」「救う側」とし、

家庭連合の信者を「救われる側」と規定して行動しています。

(逆もあります、家庭連合はサ教のメンバーをサタン側に行っちゃた憐な人たちという選民意識で見ています)

 

 第三者から見たら醜いカルトセクトの内ゲバにすぎないのですけど、彼らには「神聖な救い」なんでしょう。

 

 話をヤコブの知恵に戻しますが。

 神側、サタン側と証明不能な命題を前提に

「あいつら悪人で俺たちは善人だし、

悪人に金があってもサタンが喜ぶだけ、俺たちが正しい目的で使ってやるよ。

だからあいつらからどんな手段使って金奪っても

それは神様の願いでオケーなんだよ、アカンベーだ。」

 というクソ理論(詭弁)です。

 誤った二分法、、論点先取(トートロジー)等

を(神の摂理、天宙史的、天の願い、霊的感性)などの思考停止装飾ワードをまぶせて

感情に訴えて信者にプロパガンダしてるだけなんです。

 

 目的の為に手段を正当化する思考形態は文教祖の言動にも表れています。次回はこれについて

書く予定です。