テレビの枠を埋めなければならない時、TV局はよくこんな懐かしのメロディーみたいな長時間番組をやります

だいたいそんなものは観ないようにしているんですが、他局の番組が更に面白くないのでつけてしまいました

半分はつけたままみたいなものなんですが、時々興味あることがあれば観るって感じにしてます

貴重なフィルムが見つかったなんて言うんですが、だいたい過去に何度も流したことがある映像ばかりで、看板に偽り有りと言われても仕方がないんですよね…

そして、このアイドル特集となるといつも出て来るのは決まっていて、何の新鮮味もないのが普通なんですが、今日は珍しく「岡田奈々」の映像が流されました!

岡田奈々と言っても、AKBとSTU48を兼任している今の岡田奈々ではなくて、昔の岡田奈々ですけどね…(笑)

昔の岡田奈々と言うと失礼ですが、同姓同名でアイドルをしているのも珍しいと思うんですよね…今の岡田奈々もね!

私もずいぶん昔からずっとテレビっ子だったので、昔から今のアイドルまでほぼ知ってるんですけど、その中で一番可愛いかったのはこの昔の岡田奈々だったという思いは今でも変わりません

今の岡田奈々も悪くないんですけどね…AKBファンには申し訳ないですが、全盛期の昔の岡田奈々には敵わないでしょう

しかし、こんな番組を見ていると、若さというのは素晴らしいものだなと改めて思います

10代から20代の前半までの彼女たちアイドルの姿は、人間のエネルギーの輝きが見えるような感じで、今がどんなに頑張って若さをキープしている人でも敵わないオーラを感じますね

昔から今まで、権力者たちが不老不死を求めて、様々なことをやって来たのも無理はないと思わせるくらいに、若さの特権を謳歌しているようです

私くらいの歳になると、そんな若さの特権を謳歌している人が羨ましくてならないのが正直なところなんですが、まあ、これも人の定めと思うしかないと諦めもしています(笑)

しかし、そういう若さをムダに使っているような人もいるのが現実で、そういう人を見ると勿体ないなと思うばかりですよ

これはアイドルに限らず、一般の若い人にも当てはまることですけどね…

年寄りが言うことはいつも同じだと若い人は言いますが、裏返せば、自分が歳を取らないと分からないことなんですよ

若さというものが、どんな大金を積まれても買えない貴重なものだということがね!

その貴重な時期をムダに過ごしている人を見ると、自分自身を振り返って、勿体ないことをしたと思う人間として、今からでも遅くないから若い時を使い尽くせと言いたくなるんです

若い人は、時間が有限だということを全く意識しないんですが、時間というものは若い人にも、年寄りにも等しく最終時間までの時を刻んでいるんですよね…

画面の中のアイドルは永久に時を留めていますが、現実の人間はそういうわけにはいかないのは分かり切った話で、ムダに過ごした時間は二度と戻しては貰えないんだということを考えて、今の時間を過ごす若者であって欲しいと思います

まあ、そうは言っても、若さとはそれを考えさせない強烈なものなんですけどね…(笑)
これほどオリンピック競技の選手が話題に上がらないオリンピックは前代未聞だと感じている人は多いんじゃないですかね?

まあ、元々、冬季オリンピック競技ではメダルが取れないことには話題にはならないのが通例で、今回は日本選手が結果を出していないので、仕方ないと言えば仕方ないんでしょうが…

それにしても、これほどの政治的なオリンピックになるとはあまりにも露骨過ぎますよね…確かに、裏では平和の祭典と言いながら、政治的な駆け引きが行われていたのは過去も同じですが、今回ほど表に出して平然としている韓国という国のあり方には疑問しか持てません

考えても見て下さい

韓国が属している筈の西側諸国の中で、アメリカにしろ、何処にしろ、国のトップを派遣している国は無いんですが、日本だけがトップの安倍総理が参加してやっているんです(しかも、大きな反対の声がある中にもかかわらず)

メンツを重んじる筈の韓国なのに、その安倍総理に対する返礼がまるでされていないどころか、北朝鮮に対する対応をきちんとしましょうという提案に、内政干渉だとして無視する有り様です!

たかだかあの北朝鮮の坊ちゃん委員長の妹でしかない人間に対しては、下にも置かぬ国賓級の扱いをしているくせに、唯一国のトップである安倍総理に対してはそんな口をきく文大統領という人物は歴代韓国大統領の中でも飛び抜けたポンコツ大統領なのかもしれないですね

韓国の憲法では、南北統一は民主的体制の下でしか行わないという一文があるそうで、文大統領がまさかそれを念頭にしているとしたら、とんだ甘ちゃんだと言わざるを得ないでしょう!

北朝鮮の坊ちゃん委員長は自分の権力維持だけを考えて生きている人間です

その人間が今の自分が持っている権力を手放して、民主的な南北統一を目指すなんてあるわけがないのは子供にでも分かることで、逆に彼が狙っているのは、北朝鮮による韓国の併合以外にはあり得ない筈です

そうでなければ、一ミリも南北融和なんか進むわけも無いし、南北統一なんて夢のまた夢でしかありません

あの自殺した盧武鉉元大統領がやった融和政策が何の意味も無いどころか、裏で、北朝鮮の核開発を進めてしまうだけのことにしかならなかった過去の歴史を学んでいれば、今のようなばかげた動きは出来ない筈なんですけどね…

やはり、韓国の政治家というのは愚かな人間しか存在しないんでしょうね…!

あの北朝鮮の坊ちゃん委員長が、同胞に対して我が国のミサイルは向けられていないと言っているそうですが、過去に現実にミサイルは撃ち込まれたことは無いんでしょうか?

有りましたよね…(笑)

拉致された韓国人もいるそうですよね…

潜水艦で工作員が潜入を図ったこともありましたよね…

それでも、北朝鮮はアメリカに対してだけミサイルを撃つようにしていて、韓国にはミサイルは向けていないと思うんでしょうか(笑)

韓国の政治家がやるべきことは、いかにして韓国が北朝鮮を併合出来るかを考えることであり、北朝鮮の権力維持に必要な援助を与えることは無意味だと悟ることです

韓国の大衆も愚かなら、政治家もそれに輪を掛けて愚かだという感触しか感じられない昨今の動きは、そろそろアメリカの軍事的行動の可能性を考えざるを得ない状況に拍車を掛けているようにしか思えないんですよね…

日本の政治家の愚かさに辟易している私ですが、日本以上に愚かな政治家の存在を見るにつけ、我々の方がまだマシなのかなと思ってしまうのが哀しいですよ




建国記念日の意味、知ってる?

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たぶん、もう既にこのテーマの矛盾を理解している人は少なくなっているんでしょうね…

今日は「建国記念の日」ですが、このテーマブログでは「建国記念日の意味、知ってる?」となっているのに気づいていますか?

どこが違うの?

そう素朴な疑問を感じた人が多いでしょうね(笑)

文字通り、建国記念日の建国記念と日の間に、作為的に「の」を入れて、今の建国記念の日が生まれたんです

国民の祝日にする為には、国会でそれを議決しなければならないわけで、建国記念日では賛成出来ないので、建国記念の日としたわけですよ

なんのこっちゃと更に疑問を感じた人は当然いるでしょうが、つまり、与党と野党が綱引きをして、間に「の」を入れた建国記念の日なら妥協しようとなり、この建国記念の日が誕生したんです

では、何故、「の」を入れた建国記念の日なら良くて、建国記念日ではダメなのか…そこに日本という国が抱える課題があるんですよ

そもそも、今日2月11日は戦前の日本では「紀元節」という祝日でした

紀元節とは言うまでもなく、天皇家の起こりの初代天皇神武天皇が即位した日を祝う記念日でした

第二次大戦敗戦後の日本では、天皇の人間宣言もあり、天皇家の神格化は廃止され、大日本帝国憲法から日本国憲法へ移行して、国民主権の民主日本として再スタートしたわけです

ところが、戦後もどんどん年数を重ねるにつれ、戦前回帰の流れを支持する政治家が増えて来て、日本国憲法はアメリカの押し付けであり、本来の日本のあり方とは違うと否定するようになっているんですよね…

象徴天皇制というものに異議を唱え、天皇の国家元首化を進める動きがあるわけで、その流れの一環として、本来なら紀元節であった日を、建国記念の日としてわざわざ指定して復活させた経緯があるんです

しかし、野党はその流れに異議を唱えて、実質的な紀元節復活だとして、それに反対したんです

それで、与野党妥協の産物として、建国記念日ではなく、建国記念の日という「日本という国が建国された日」という思想的なものではなく、単純に物理的な意味に限定した名称にしたんですよ

いかにも、言霊の国日本らしい決着のつけ方だと苦笑するしかない私ですが、「の」を入れるだけで妥協出来るくらいのことなら、野党の考えてることもそう大したことではないなと今でも思います

そもそも、神武天皇という初代天皇が実存した天皇ではなく、大和政権が誕生する際に、天皇家の神格化をする為に、歴史を改変して、何人かの天皇の事績を重ねて作った架空の人物だということはほぼ歴史を学ぶ人には分かっているんです

架空の人物である神武天皇が即位出来るわけもなく、本来なら紀元節という「神武天皇即位の日」という名目は成立しないことは明らかなんですが、戦前の日本では天皇に対する個人的な考えや意見の表明は許されるわけもなく、都合の悪い意見を言う人は「不敬罪」という罪で逮捕され、処罰されたんです

自民党を中心とする保守政治家たちは、戦後の日本の体制を守るべき立場にありながら、その逆で、戦前の日本への回帰の動きばかりをするのは何故かと言うと、要するに自分たちの「権力者としての立場」を強化したいだけのことでしょう

国民主権で、国民から委託された政治の仕事を、自分たちは国民をリードしてやってるんだという風に塗り替えたいんでしょうね…その為には、天皇というトップを戴いたピラミッド型の権力構造の戦前の日本が都合がいいわけです

北朝鮮を見れば分かりますよね…

一人の独裁者がいれば、その周りにいる人間は、その独裁者の威光で何でも出来るわけで、言わば虎の威を借る狐みたいになりたいんです

私は天皇という存在そのものを否定する愚かな人間ではありません

日本民族の歴史の証言者として、数千年の間、その歴史の中に居た天皇は日本の象徴として欠くべからざるものだと思っています

でも、それは神格化された天皇ではなく、同じ人間として、歴史の荒波の中を生き抜いて来た貴重な証言者としての天皇なんです

明治維新を無条件に讃える人がいますが、あれもまた天皇という存在を利用した権力者の存在を知らない振りして讃えることには異議があります

神格化せず、人間ドラマとしての明治維新を詳細に調べるのが歴史研究に携わる人間のやるべきことなんですが、戦後になるまではそれすら身の危険を覚えずには出来ないことでした

ある意味では、戦後の日本は戦前の日本とは全く異なる形の国になったわけで、本来なら「建国記念日」はそこに持ってくるべきものだったと思うんですよね…

神話と現実を混同してはいけないと思いますよ

存在しもしなかった天皇の即位の日を建国記念の日とすることには無理がありすぎるんです

そう考えれば、今日の建国記念の日という祝日は、国民一人一人が自分の国の歴史を自分なりに考えたり、学んだりする日として活用したらいいんじゃないかと思いますね

戦前の紀元節を建国記念日としたかった自民党と、間に「の」を入れた建国記念の日で妥協した野党…

何とも情けない政治家たちばかりじゃないでしょうか!