確か90歳を越えるまで生きてた母方の祖母が癌だったし、
母も癌で死んでいる(葬式時に聞いただけなので何癌かは知らない)。
そしてこの敦賀での知人が、数年前に膀胱がんで亡くなっていて、活動的で友人も多かったその人の「癌発覚→治療に対する迷い→余命宣告を受けてからの急激な憔悴ぶり」までを見てきたから、ある程度は「自分が癌に罹患したときの心のもちよう」みたいなものを決めていたつもりだ。
癌も、自分の細胞。
わたしの細胞として生まれてきたが、癌細胞になろうと思って生まれてきたわけじゃないはず。
だから、一緒に暮らしながら、なるべく痛くならないでね、なるべく苦しくしないでね、と、だましだまし生きるしかないんじゃないかと。
痛い、痒い、苦しい、痺れる、
感覚がなくて無機質になったよう。
そういう症状にまみれて、
そういう症状と闘うことだけに時間と意識をとられて
いったい何のための人生だったのかわからない死に方は
したくなかった。
自分の体に癌があって、それが肥大したり転移したって
「痛い、痒い、苦しい、痺れる、感覚がなくて無機質になったよう」さえ無ければいいじゃないか。
そんな癌は無い、のは頭ではわかってる。
そこでアレの出番ですよと、日本では違法のアレで
意識と体のクオリティ・オブ・ライフを維持したい、と。
主治医の先生は言う。
「癌細胞は非常に頭がいい」。
もちろん、有害な意味で。
でもさ、やっぱりアホだよ、癌細胞。
宿主痛めつけて、
最終的に殺してどうすんねん。