読書好きの知人に奨められて読んだのだが……

 

私には合わなかった

 

奨められた順に読んだので、最初は『少年と犬』。

1話完結型の連作短編集である。

感想は、「あざとい」。

ミもフタもなくざっくり言ってしまうと、

ストーリーは、昭和時代から腐るほどある、

ペットとの出会いと別れ、再会を描いた児童文学や漫画に、

オトナ向けのアレンジを加えたもの

短編それぞれの主人公を、

少年や少女ではなく不幸や苦しみの只中にいる大人に替え、

それぞれが持つ無念や空虚、怒りなどの負の感情が

フラリと現れた野良犬によって昇華されていく様を描く。

全編を貫く背景(お膳立て)は東日本大震災。

各編主人公のほとんどが、

賢さと純粋さを併せ持つ神の使いのごとき犬に

心をちょこっと救われながら無情にも死んでいくのがミソ。

ラストでは熊本地震につながっていて、

そこでこの犬がどこから来て何を探しているのかが明らかになる。

文章は上手い。

表現・描写が端的で明瞭、

各イベントの盛り上げ方にも長けている。

が、どこかリアリティに欠ける。

大きな原因は二つあって、

ひとつは、犬や大災害による不幸、悲劇を

感動させるためのツールにしすぎ。

もうひとつは登場人物たちの使うコトバが、

それぞれの暮らしている、あるいは暮らしていたはずの

地方・環境に沿っていない。

特に女性がそろいもそろって

‘大都会に住む「中の上」家庭の主婦コトバ’なのは

なんでやねんむかっ

そういうところから、‘とってつけた感動物語’と

私などは思ったのである。

 

次に、『光あれ』。

これも1話完結型の連作短編。

ただし、主人公は全編通して一人。

第1話目の初出は、『少年と犬』よりも前の2009年。

ラストの完結編は奇しくも2011年の3月。

帯に、

「やるせなさを抱える人々が見つけた人生の真の姿」と

大層な惹句が印刷されていて、

裏表紙には

「地方都市で生きることの現実をあぶりだす。著者の新境地」

などとこれまた最上級の褒め言葉が書かれている。

舞台は敦賀。原発銀座の敦賀。

そう、私が時に歯噛みしながら生きてるこの街が舞台。

「えっ? 敦賀が地方‘都市はてなマーク」てなツッコミは脇に置くとして、

地元民になって数十年の私、

読みながら、はてなマーク連続になった

いいところをまず挙げると、

流れるような暴力描写はさすがだし、

セックス描写は目の前で見せられてるような臨場感。

二話目と三話めのタイトルが秀逸で、

内容的には、主人公の一人称で語られる二話目が、

いくつもの事実誤認や疑問をさておくと

迫力のある素晴らしい出来だった。

にもかかわらず、

いくつもの事実誤認や疑問が解消されず全編に横たわってるので

私には、作者は取材不足または取材してないと感じられた。

作者は駅には行っただろう。

本町商店街や気比神宮の周辺や飲み屋街を横目で見て、

敦賀半島の先の立石岬や

敦賀原電のある明神町にも行っただろう。

でも、たぶん全部ちょこっとだけ。

敦賀に縁もゆかりもない一般観光客の二泊三日レベル。

舞台設定に‘原発の町を使いたいだけ

敦賀をとりあげたにすぎない。

その執筆姿勢からすると、

登場人物のセリフ回しがただの大阪弁だったり

(スナックの女性はもろに『やっぱ好きやねん』調w)、

主人公のキャラ設定が

ケンカとセックスが強い翳りのある一匹狼タイプで

年上年下にかかわらず女にモテて、

一度主人公と寝ると、女たちは彼のイカセ技の虜になる

……なんてご都合主義はむしろ些末な問題に思える。

 

こういう人が、一度作家になると売れっ子になるんだろうな。

 

『光あれ』に出てくる、

いくつもの事実誤認や疑問について書きだすと長くなるので

それは次の記事に書くことにする。

誰も興味ないかもしれんけど汗