読書感想。

高嶋哲夫 『首都感染』 講談社文庫

 

『首都圏パンデミック』を奨めてくれた知人の次のお奨め。

前回と同じ、ウィルスパンデミックを題材にした災害サスペンス。

 

<あらすじ>

二〇××年、サッカー・ワールドカップを開催中の中国で、新型の強毒性インフルエンザが発生した。なんとしてもワールドカップを成功させたい中国政府は、情報の隠ぺいと局地的な封じ込めを図るも、失敗。ウィルスは帰国する選手やサポーターの体内に潜伏し、世界中に広がろうとしていた。

一方、日本では、元WHOメディカル・オフィサーの瀬戸崎優司が、WHOの現役職員である元妻や同僚の中国人医師らから情報を得て危険が迫っていることを察知、政府に検疫の強化と空港の封鎖を進言した。紛糾ののち、異例の水際作戦が決行され、作戦は一見成功したかに見えた。しかし検疫をかいくぐったウィルスは都内に患者を発生させ、強力な伝染性と致死性で医療現場を混乱に陥らせた。

WHOが最終的に発表したこのウィルスの致死率は60%。

刻々と変異するウィルスに対抗しうるワクチンの開発は進まず、後手にまわった海外ではすでに数千万人におよぶ死者が出ている。

「日本を救う道は、東京封鎖しかない」――。瀬戸崎優司は官邸に大きな決断を迫った。

 

『首都圏パンデミック』の初出は2016年、

この『首都感染』の初出は

それよりさらに前の2010年(文庫版は2013年)。

ふたつの本の共通項は

‘パンデミックウィルスに対する日本国内の防疫奮闘’だが、

もうひとつ、

主人公に子どもを失った過去があること。

その過去が主人公の夢うつつで描写されるところがそっくりだ。

 

『首都圏パンデミック』に比べると、

首都感染』の内容は硬くて重い。

『首都圏パンデミック』にはプッと笑えるところがあったが、

首都感染』にはそれがない。

ストーリーに陰謀集団は出てこないし、派手な格闘シーンも無い。

しかしクライシスマネジメント・エンタティメントとでも言おうか、

もし現在、世界を席巻しているウィルスが

本に書かれたような致死率の強毒性だったら、

政府は、国家は、どういう防疫体制を敷くのが最善か、

‘手段として頭をよぎるだろうが実行には移しづらい’

究極の選択が描かれている。

 

驚いたのは、作者のウィルスと防疫に関する知識量だ。

巻末にずらりと並ぶ参考文献、

今ではやや古くなったものもあろうけれど、

医学部研究室の論文集まである。

それがこけおどしでなく、

「なるほど、作者はきっと全部読んだに違いない」と思わせる。

それくらい、

感染症治療の現場で用いられる種々の医薬品や防御体制、

WHOの立ち位置についても詳しい小説だった。

(私がよく知らなかっただけって可能性もあるあせる

 

手放しに「面白かった!!」と言える作品ではなかったが、

人口が集中していてパンデミックが起きやすい首都を封鎖し、

首都内の医療や生活の必需品は

首都外の道府県が支えるという発想が

「東京あってこその地方、東京あってこその日本」という

一般通念をくつがえすもので、

地方住まいの身としては

「日本全体の危機にあっては東京も地方自治体も同列である」

と言ってもらえたようで嬉しかった。

 

 

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さてここからはごく私的な感想に入る。

感覚的な違和感が中心なので

不要と思われる方はスルーしてください。

 

 

この物語の底には「父子関係の修復」がある。

3つの‘父と息子’の断絶した関係が、未曽有の危機の中で

息子の父親に対する理解によって改善されるのである。

その描き方が、

ひょっとして作者は「父権の復権」を希求しているのではないかと思わせるくらい強かった。

男性の読み手なら「これが理想の男」となるのだろうが、

個人的に、

「世帯主、一家の長たること」に縛られた殿方のすべてが

「無私なうえ、家族を間違った方向に向かわせない」

とは思えない体験をしてきた私には、

??美化しすぎじゃねーか??ショックだった。

 

さらに踏み込んで言えば、

「一国の首相はその国の世帯主である」観が

作者にある気がして、その‘世帯主’観の中身が怖い。

 

フィクションとして理想像を描いた、ことは理解できる。

でも人間って、手前味噌で

‘なんちゃって○○’の気分になりやすい危うさがある。

描かれた理想像や英雄は諸刃の剣。

これを読んで、「決断力・指導力こそ全て」と、

段階踏むことを無視して、

‘指導者たる自分’めざして強権的独裁的に突っ走る人が

現れないとも限らない。

 

 

また、作中には二回、

東日本大震災時の

政府の対応のまずさを指摘する文言が出てくる。

 

東日本大震災の発生は2011年。

ハードカバー『首都感染』の刊行は2010年。

文庫版は2013年だ。

おそらく、文庫版にするときに一部加筆・修正をしたのだろう。

それ自体は問題ない。

が、その文章が地の文の中で、

さらっと短く簡単に書かれ、挿入されているのが気になった。

これは、読み手の頭に残りやすい書き方である。

 

東日本大震災時の政府の対応には

そのときそのときの誤りと

あとになってわかる誤りとがあった。

もっと踏み込むべき時や、即時の情報開示が必要なときに

党内や支持組織との軋轢を恐れてそれをしなかったのは、

当時の政権の大きな過ちだった。

しかし、政権党内や支持組織との軋轢以前に、

当事者および当事者の管理者でありながら、

有事に際し、情報の整理・収集さえせず

協力を惜しんだ組織があったはず。

東京電力株式会社と、

経済産業省の外局、資源エネルギー庁の機関だった

原子力安全・保安院がそれである。

 

なぜそこを看過するのかと思って著者の経歴を見たら

‘日本原子力研究所’の研究員だった時期があるようだ。

んんんんn ……腑に落ちた真顔

 

首都封鎖にあたっては、

一般庶民は当然として

経済界からの猛反発がすごいはずだが

そこが描かれてない不思議もなんとなく氷解した。

それが高嶋哲夫氏の読者設定であり、スタンスなんだろう。