読書感想。

大原省吾 『首都圏パンデミック』 幻冬舎文庫

 

またしても活字読みに挫折した私に、

知人が奨めてくれた一冊。

本書は、2016年4月に

キノブックスから刊行された『計画感染』を改題、

タイトルの‘パンデミック’が示すとおり、

ウイルスの感染爆発危機を巡るサスペンスものである。

 

<あらすじ>

長崎の小島で、強力な毒性と感染力を持つ未知のウイルスが発生。初期発症時はインフルエンザに似た態様を示したウイルスは、またたくまに島内に蔓延、島民のほとんどを死に至らしめた。政府は、この事件がマスコミに流れた際の衝撃の大きさを考慮して報道管制を敷いたが、その9日後、タイから羽田に向かって飛行中の新日本エア726便で、多数の乗客が同様の症状を発症して急死。

強毒性新型ウイルスのトランスポーターと化した旅客機を国内の空港に着陸させてよいものか官邸が騒然とする中、機内では乗務員たちが、自らも発症しながら乗客を助けようと力を尽くしていた。

新日本エア726便は無事日本に帰れるのか、そしてこのウイルスの正体は――。

 

分厚いので読み切れるか心配だったが、

昔(40年前)の小説文庫本に比べると

行間隔が広めで文字が大きく、

セリフ「 」が多い(=余白が多い)ので

量的にはそれほど負担ではなかった。

 

ただ、場面(地域)ごとの登場人物や

立場・役割の種類がたくさんあって、

私の頭では読みながら覚えることができなかった。

本編プロローグに入る前の

‘主な登場人物’紹介ページ、

あのページがなかったら

十中八九、イライラして途中で投げ出していた。(←短気イヒ

 

構成は、

プロローグと第一章で

登場人物と各地域で起こった事件事象のあらかたを網羅。

第二章は三章に入る前の補助的助走。

第三章で物語がぐっと動き出し、ここで

ウイルス全般の性質やインフルエンザウイルスについて

作中でけっこう詳しく解説されているのに

巻末の参考文献5冊の中にウイルスに関する文献がなく、

代わりに飛行機関連の書物が3冊も載っている

理由がわかる。

 

途中まで、各場面(ブロック)の出来事は、

時間軸と関係なしに置かれ、進行する。

そのため、読み始めは登場人物の多さもあいまって

 「なんだなんだはてなマーク」と頭が右往左往する。

 

しかし、

・人食いウイルスや奇想天外なウイルスではなく、

 既知のインフルエンザウイルスの亜種型という

 現実的なウイルスで起こりうるクライシス(危機)を描いたこと

・初出が2016年の作品なのに、

 今年(2020年)のクルーズ船騒動を想起させたこと

・描写された、緊急事態における官邸の秘密主義と決定経緯が

 「さもありなん」と思わせたこと

……により最後まで読んでしまえた。

 

とりわけ、この作品の特長である航空管制システムの実際や

旅客機が着陸する際の具体的な動きの記述は、

作品全体の印象を映画的なものにするのに効果的だった。

初出がキノブックスだから、

もともと映像化を視野に入れてつくられた作品だったのだろう。

(映像化を意識しすぎてか、物語の格を自ら爆下げするような箇所が散見された。

それらについては後述の‘重箱の隅’で文句タレます)

 

4年前に風呂敷を広げて広げて積みあげて作った小説が

4年後にタイムリーな作品として文庫化されるとは、

作者も当時の出版社も思いもよらなかったはずだ。

現在、世界を席巻しているコロナ禍が一段落したあとには

どんなウイルスパンデミックものが登場するのだろうか。

渦中において不適切かもしれないが、

‘逆転の発想’的なアプローチのフィクションが出てこないかと、

心待ちにしている自分がいる。


 

クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー クローバークローバー

 

 

さて、ここから

私的‘重箱の隅つっつき’に入る。

 

読書家でもないくせに

‘謎の上から目線’だと自分でも思うが、

性分なので仕方がないウシシ

 

ネタバレにかかわる部分もあるので、

当該小説未読で 「これから読もう」とお考えの方は

これ以降はすっ飛ばしてくだされ <(_ _)>


 

重箱の隅-1

作品には、絶妙な「巧」とぞんざいな「拙」が併存していた。

「巧」部分には無駄がなく、

キャラクター造形にも納得がいくのに、

「拙」部分では

キャラ造形や関係性の使い古されたパターンを長回し。

物語の舞台になった国は日本とタイだが、

その両方に、

わざとらしいくらい典型的な関係性の登場人物が出てくる。

日本が舞台のところでは、

寺島進をイメージしたとおぼしき刑事と幼なじみの料理屋の女将、

タイが舞台のところでは

全体のカギを握る日本人中年男性と現地の少女。

誰をイメージして「対」となる人物をつくり、

その両者にどういう関係性を持たせるかは

作者の勝手だから別にかまわん。

だが、その関係性を

展開と商業的意図の都合に任せた結果、

キャラ造形が綻び、後日談を安っぽくもしてしまっている。

普段べらんめえ調で型破りと言われてる刑事が、

いくら感染症研究の先端を担ってる学者相手でも、

長時間の聴き込み聞き取りで

おとなしい敬語会話をずっと続けられるなんて不自然。

でもって、事件解決後は

軽口叩きの相手、幼なじみの女将持参の重箱弁当で

病室でしみじみなんて、『はぐれ刑事純情派』かよ。

タイの少女もかなりおかしい。

煉瓦積みの壁にトタン屋根のタイの田舎の少女が、

初期設定じゃ‘たどたどしい英語’なのに

なんですぐに英語で流暢にいろんな会話ができてんのはてなマーク

学校行ってなくて、兄ちゃん麻薬の運び屋だけど

ひそかにTOEICで500点スコア獲得してるのはてなマーク 天才か!!

 

重箱の隅-2

謀略企業とその企業の隙を狙おうと暗躍する集団の描写が

急ぎ足すぎて影が薄い。

黒幕企業発覚から代表者逮捕までのあっけなさは

デスノートスピンオフ作『L change the WorLd』に出てきた、

高嶋政伸ひきいるテロ集団並みだった。

作者はウイルスと暗号解読と旅客機の仕組みに

精力のほとんどを使い果たしたようだ。

 

重箱の隅-3

こちらは文句ではなく個人的な感慨である。

‘視点’の許容に時代を感じた。

昭和時代の、格調高い文学作品を世に出し、

○○全集なんてのも刊行するような

出版社の編集者が担当だったら、

おそらくこの作品は‘視点のブレ’の多さを問題視され、

この本のままじゃなかったろう。

ひょっとしたら幾度ものダメ出しに作者の心が折れ、

作品を世に出すことすら叶わなかったかもしれない。

昔かたぎの文芸編集者は、

「Aという人物の心理描写をしながら

 BやCの心理描写も行う」ことを

「視点のブレ」ととらえて、良しとしない。

「視点があちこちに飛ぶと読者が混乱する」

というのがその理由だが、

漫画・アニメ・TVドラマ・映画等の表現形式に慣れきってると、

たとえ文字だけの表現媒体であっても、

複数キャラ同時の心理描写に特に違和感は感じにくいし、

書き手になったときにもそのほうが書きやすい。

エンタメ小説の場合はむしろ、そのほうが

読者が場面をイメージしやすい利点もある。

面白いものが書けるのに、

漫画なんてもってのほか。古典または小難しい文学作品しか

 読んだことがない’編集者にあたって

‘視点の問題’で悩み、小説を書くのをあきらめたヒト、

これまでに結構いたんじゃなかろうか。

隔世の感がする。

 

 

門外漢の当て推量だが、最初に‘視点問題’へのこだわりを取っ払ったのは

電撃文庫などの少年少女向けライトノベル出版社だろう。

幻冬舎など、従来の‘文芸決まり事’にとらわれない出版社の台頭はそこからすでに約束されていたのかもしれない。