長いあいだ、嫁として寺に住み、爺さん(住職)と婆さん(住職の妻・シツコさん)、その息子(副住職S)を見てきて、思うことがある。
行事や法事のたびに、僧侶は‘念仏を一心に唱えることの大切さ’を檀家さんに説く。
念仏は1日何百遍と唱えても、それで足りるというものではない。しかし我々衆生が救われる道はそこにしかなく、ゆえに毎日たくさんのお念仏を申せ、と。
だけどね。お布施のための念仏しか唱えていない副住職Sはともかくとして、たとえば、倒れる前まで毎朝夕、本堂で布施頼み以外の「勤め」としてお経をあげていた爺さん。
89才の彼は、とにかく「オレさま」で好き嫌いが激しく、嫌いな人間あるいは自分の敵だと感じられる相手に対しては、人前だろうがなんだろうがツブシにかかる人だった(過去形なのは、もはや寝たきりで怒鳴る元気もないからだ)。苦学して大学まで行き、戦前から「山の中のお寺さん兼ガッコの先生」だった彼を、その言動がどんなに人を傷つけるか、わかっていても誰も止める人がいなかった。
彼には彼なりの温かさがあり、意識できる限り嘘を排除してスジを通そうとする立派さはあった。が、ヒトと協調できる人では全くなかった。