リアルタイムの盆期間は、TVを観る気力体力ともになかった。

新聞も、長らく義父母と夫の独占物だったので

(読もうとすると嫌味を言われたり仕事を言いつけられた)

読む習慣が数十年途切れて、結果、読まないのが習慣化した。

 

今夏、施餓鬼が終わってPC立ち上げてネットニュースを漁り、

思わず、「いいぞ、もっとやれウシシウシシウシシウシシウシシ」と

腹の中で快哉を叫んだのがコレ。

 

徳島市長が中止を命じた阿波踊り「総踊り」を13日夜に決行へ

 

中止求めた実行委に反発 阿波踊り「総踊り」場外で強行

 

わたしが徳島の隠れファンになったのは25年ほど前。

初めて行った四国が徳島。

てか、今でも四国は徳島しか知らない。

 

正直それまでは、四国と言うと

「島流し・うどん・遍路・台風・みかん・大歩危小歩危・土佐・龍馬・かつおのたたき・夏目漱石が嫌った愛媛…」程度の知識しかなく、

徳島については

「鳴門金時・灰わかめ・阿波踊り・一太郎・大塚製薬・ボンカレー」が関の山だった。

 

ところが、実際に徳島に行ってみたら、

食いもん美味いし、

江戸時代からの文化や建築物は脈々と受け継がれてるし

徳島市は意外すぎるほど都会だったしで、大層感動したのだ。

住むにはどうか知らんけども、観光には至極ええとこであった。

 

阿波踊りも1回だけだけど桟敷席で観た。

当時から一般観覧者用の席はとりにくく、

友人が応募はがきを出し、

それが落ちたら青年会議所に手を回すなどして

なんとか手配してくれたのだ。

その日の阿波踊りは

民謡踊りにさっぱり明るくないわたしでも楽しかった。

男踊りの名手の方がまだ存命中で(名前忘れた)、

そのためか観客と若い男衆の気合い乗りが良く、

鳶の踊りというか出初式のはしご乗りの平地版というか、

洋のストリートダンスとは趣が異なるアクロバティックな

和踊りを踊ってくれて、ずいぶん興奮した。

(女踊りについては話がずれるのでまたいつか)

 

あの当時はまだ「そごう」が健在で、

確か「徳島そごう」が阿波踊りに

人的にも資金的にも相当貢献していたはずだ。

件のひと悶着は、

その「そごう」が破たんして以降の赤字累積かと思ったが、

金の絡む話、事はそう単純ではないようだ。

 

事情を知らないまま言うと、

わたしは総踊り中止を通達した徳島市より

「阿波おどり振興協会」の側に立ちたい。

総踊りに参加した踊り手は14連、人数にして1500人近く。

必ずしも有名連ばかりではないけれど、

それだけの数の踊り手が反旗を翻したからには

裏にもっともな事情があると推察されるからだ。

 

決行された総踊りはyoutubeで観た。

動員されていやいややってる感じはまったくなかった。

騒動がどこまで、いつまで迷走するかわからないけれど、

踊り手の意気が感じられる阿波踊りであってほしいと思う。