抑えきれなくて書くことだから

今から書くのは罵倒です。

傷つきたくない岐阜の方、岐阜市職員、

岐阜の委託業者の方は回れ右してお帰りください。

 

「アライグマいる」通報 実は子グマ?

 

>市によると、同日午前10時30分ごろ、同市福富の工場の倉庫内で、体長約30センチの小型獣を発見した女性経営者が「アライグマのような動物を捕まえたので回収してほしい」と市に相談。市職員や処分委託業者が現場を訪問した際、アライグマとみなし、特定外来生物に指定されていることなどから焼却処分を行ったという。
>その後、専門家や別の市職員が現場の写真などを確認したところ、全身が真っ黒で、尾が短いことから子グマの可能性があると指摘した。

 

リンク先の画像を見ていただければわかる。

これをアライグマとして焼却処分。

おそらく、生きたまま。

 

クズである。

発見から駆けつけて「駆除」するまでの過程で

岐阜のくそ田舎者の醜悪さが

あらわになっている。

 

田舎に生まれ育ったから

田舎に住んでいるから という理由で

私は他人を田舎者と侮蔑はしない。

都会、大都会にもくそ田舎者はいるし、

たとえ田舎に生まれ育って田舎の人として暮らしていても

心性が田舎者ではない人もいる。

 

田舎者、くそ田舎者は

自分の頭で考えない。

自分の責任で判断しない。

同調圧力の中で生き、

自身も同調圧力の1分子となって

無責任をまきちらす。

 

「だって、だって、しゃあないやんか」

「ほなこと言うても誰それもそう言うとったから」

「わいは言われたことしただけなのに

 なんでそんなこと(批判、非難)言われな、いかんのか」

 

都会生まれ、都会育ちの私にだってわかる。

画像のあの生き物はアライグマなどではない。

しかもまだ自分の身を守るにじゅうぶんな

生得的な手立てすら未発達の赤子である。

 

田舎もんのクソは

どんな命も湧いて出てくるものと思っている。

彼ら彼女らにとって、

植物や動物は「すぐ生えてくる」ものである。

細菌も哺乳類も糞味噌の頭だから、

義務教育で理科や生物の授業をいくら受けても

連中の脳味噌には何も響かない。

新聞やテレビ、ネットで、地球環境がどうのこうの、

生物多様性がどうのこうのの情報に触れても、

よくわからないから飛ばす、チャンネルを替えるのが

彼ら彼女らである。

クソ田舎者に教育などは無駄

人間に保障されるべきと考えられているあらゆる人権すら

彼ら彼女らには

「自分にとってええもんや」ぐらいにしか受け取れないので

これもまた無駄の極み

 

さらに顛末がお粗末だ。

>市などは現場周辺をパトロールして警戒に当たっている。

馬鹿か。

いや、馬鹿だった。

これでまた焼却処分された子のきょうだいか母クマが

のこのこ出てきたら、

喜んでいたぶりながら銃殺するんだろう。

 

日本で進化定着した固有の生き物に

意識的に興味と愛着を持って30年。

私はかつて、

本州最大の哺乳類、ツキノワグマを知りたくて、

最初に出会ったツキノワグマの本の著者に連絡を取り、

一時的に、その人の活動を支援したことがある。

彼は著書などで、表向き、日本の山林と野生生物の保護、

さらに共存を訴えていたからだ。

 

しかしその人は、まがいものだった。

交流が始まってから、

言ってることとやってることが違う、

お金に関することの反応がどうもおかしい、と徐々に感じ始めた。

けれど、向こうは私よりかなり年長で、

他に頼れる人や機関を知らなかったので

「ちょっと人格的におかしいんじゃないか」と

思いながら交流を続けた。

 

その人の怪しさをはっきり覚るきっかけになったのは、

大学や在野の研究者が中心になって活動していた

岐阜県の野生動物の調査研究会。

 

あの研究会の方々のフィールドワークの姿勢は

「山野に棲む生き物の邪魔をしない、生活を侵害しない」だった。

私はこの方々の実際の態度姿勢で目が覚めた。

 

そして、最初に出会ったツキノワグマ研究者を標榜するある人、

 

彼はますますおかしくなって、

つい最近は故郷の秋田に錦を飾るべく

新聞記者と一緒になってスーパーKなる造語で

時の人になったM氏なる人物だが、

 

彼とは完全に距離を置いた。

(15年以上連絡を取っていないのに、彼のたちあげた広島ツキノワグマ研究所からいまだに事業報告が届くのが謎)

 

岐阜のあの研究会は生態と分布の調査研究をする会だった。

私はどちらかというと保護に傾いているから目的が違う。

違うけれども、

野生に生きている生き物と対する際には

過剰な好奇心や名声欲に負けてはいけないことを学んだ。

それが日本列島の成り立ちと自然、

そして生き物に敬意を払うことだと知った。

 

学ばせてくれたのは岐阜の人たちだった。

なのに、岐阜の中でも街であるはずの県庁所在地で

無知と無責任からクズな所業が平気で行われた。

くやしいし悲しいし、心から情けない。