1990年8月下旬、サハリンの少年が大やけどを負った。

当時は旧ソ連で日本との関係は良くなかったが、少年を救うため超法規的措置で日本の病院に搬送した。

 

用いられたYS-11は戦後初めて日本のメーカーが開発した旅客機。

動画内のロシア語コメント。

「私には何も分かりませんでしたが、飛行機が日本の医療航空会社のユジノサハリンスク行きだということだけがわかりました。私たちの政府が私たちに課している敵意と領土問題にもかかわらず、何と言えばいいでしょうか、日本人に感謝を言いたいです。」

 

日本政府はウクライナの負傷兵を自衛隊の病院へ受け入れる決定をした。

 

難しい問題だが、人命救助と政治を分けて考えられる世の中になってほしい。