お作法をマスターしているわけではないので、
あまり大きなことは言えませんが、
人と食事に出かけて「残念だな」と感じることが多々あります。
「ごちそうさま」と箸を置いたかたのお皿に残った米粒の多いこと・・・
言葉を選ばずにいうのであれば
大げさではなく、本気で“ドン引き”するくらい
残念な気持ちでいっぱいになるのです。
食が細いのか、ダイエットの為なのか、
お茶碗半分くらいご飯を残す人や
それが至極当然のことのように
お皿に散在した米粒を見て見ぬふりする人など
いずれにせよ、残っていることには変わりがないわけで、
残ったお米は十中八九、捨てられる運命でしょう。
食育とはなんぞや
ふと、そんな疑問さえ浮かんでしまいます。
私は幼いころから母に
「お米は一粒でも残してはダメ。残すと神様に叱られるよ。」
と言われて育ちました。神様に叱られるかどうかは別として、
たった一粒のお米でも残してはいけないということを常識だと思って生きてきたのです。
だから、平気で残す人を見ると未だにびっくりしてしまう。
「なんでこんなことができるのだろうか?心が痛まないのだろうか?」と
大人になってからも
ヨガや禅にふれるたびに食事の尊さを感じ、
米粒一つ、水一滴でも無駄にしてはいけない
と改めて感じるのです。
時々、私のお皿を見て「きれいに食べるね」と言ってくれる人がいます。
とても嬉しくて、誇らしい気持ちになる一方で、私からするとそれが普通なのです。
好き嫌いやアレルギーがなく、
その気になれば人よりたくさん食べることもできる私は恵まれているのかもしれませんが、
ご自身にあった質と量に調節するなどして、なんとか、
食物を無駄にしないことを、もう少し心がけていただけないものか。
収穫体験をして「楽しいね」、丁寧に盛り付けられた料理を見て「きれいだね」だけで終わって良いのでしょうか。
「いただきます」「ごちそうさま」と本心から思っているのでしょうか。
★仏教と食育
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