ここ最近よく物を失くすようになった。

認知症疑いの自閉父の話ではない。




私の話だ不安




子供の頃の私は特別忘れ物や落とし物が多いタイプではなかった。まぁ当時から自室の片付けだけはどうしてもできなかったので特性があるのは間違いないんだけど笑い泣き

注意散漫になった理由を考えた時、不注意で物を壊してしまった記憶が浮上してきた。
一つは小学校時代の記憶。宿題のプリントを失くしたか学校に忘れるかした時…いや忘れとるやん爆笑
と、とにかく普段はそんなことなかったんだけど友人に借りることになったのよアセアセそれで休み明けに学校で返すという話になった。
しかし休み明け前日に友人から「やっぱり今日返してほしい。今からカラオケボックスの駐車場まで来られない?」と言われた。
これに納得がいかなかった私は「あした絶対持っていくから大丈夫!」と主張し何とか断ろうとした。



プリントを失くすような人間の絶対なんて信用できるかwww




最終的に押しきられてカラオケボックスまで行くことになったのだが…
友人を待っている間に自転車のハンドルにお気に入りのネックレスを引っかけて壊してしまった無気力ガーン

今でこそ友人の言い分は当然であり、むしろ自分から返しに行くべきだったと反省している。
しかし当時の私は「友人が余計なことを言い出さなければムキー」と逆恨みしていた。さすがに言葉にはしなかったものの不機嫌全開で対応していたと思う。

自宅から100メートルのカラオケボックスも友人宅からだと1キロ以上ある。そんなことすら四十路を超えた今になって気付く未熟な私。





なんというクズ滝汗






しかし私のクズっぷりは本筋ではないから置いておく。

この記憶ともう一つの記憶には“不本意な行動を強いられた後に物が壊れた”という共通点がある。当時は泣きっ面に蜂、つまり偶然だと思っていたが…
おそらく脳の大部分が不本意な状況を受け入れることに割かれた結果、注意散漫になっていたのだろう。

壊れてしまったネックレスや石鹸ケース(こちらは大学時代)への執着はすぐになくなったはずだ。
それなのに数十年を経た今でも不快感を伴う記憶として印象に残っているのは考えてみれば不思議な話である。
それだけの負担が脳にかかっていたのかもしれない。

今回もそれと同じ状況なのだとしたら…



母「あんた、お父さんの薬ちゃんと見てやんなさいよ!」




これが原因だろうなぁにっこり

私は“自分で薬の管理ができないなら飲まなくてよくない?”派である。
そして“気になる人間がやればいい。できないなら黙っていろ”派でもある。
そしてこれが一番大事なことだが…





他人の薬の世話する余裕なんてないのよ笑い泣き

プレッシャーをかけられただけでポンコツになるのに魂が抜ける






我が家で唯一特性がない母の“当たり前”は私たちには高度すぎる昇天