私は母親が軽はずみに妊娠して産まれた。
私の母親は本当にどうしようもない。理解出来ないような人間。母親のことは書こうと思うかな…
私が産まれて直ぐにおじいちゃんが母親を離縁した。おじいちゃんと言っても、おじいちゃんとおばあちゃんに子供が出来なくて母親が養女として引き取られた。
生まれたばかりの私を施設に入れるのは可哀想だと、おじいちゃんとおばあちゃんが養女にしてくれて育ててくれた。
私はおじいちゃんとおばあちゃんが大好きだった。今でも大好きだ。そして、とても尊敬してる。権力だの家柄だのそんなものではないけど、尊敬してる。
何があったとしても、何をされ傷付いても、何を言われようとも、大好きだった、今でも変わらない。そのことはこの場所には書きません。次回くらいに書く予定です。
何をしてでも、自分を犠牲にしてまでも、私を育ててくれた、私を育てる為に退職しても、おばあちゃんは戦争で負った痛い足を引きずって片道40分もかけてでも仕事に行ってくれた。私はそれをずっと見ていた。
おばあちゃんはもし何かあった時に、何をどうしたらいいかまだきちんと知らない私に迷惑かけたくないと言っていた。
おばあちゃんは十二指腸と腹膜炎で入院になった。発見してくれたのがデイサービスでの担当の方がたまたま家に寄ってくれたおかげで命には関わらなかった。
でもお金も掛かるし、「早く家に帰りたい」とずっと言っていた。「直ぐに帰れるよ、大丈夫だから早く治るといいね」と言った。
あまりにもお金のことを心配しているから、私は「高齢者は医療費がかからないんだよ、国が負担してくれるから」と、「デイサービスもお金掛かってなんかないよ」と嘘をついて、デイサービスの担当の人にも話を合わせてもらった。
仕事が休みの日は必ずお見舞いに行った。私、ナルコレプシーという脳疾患があり、居眠り運転事故2回起こし免許取り消しになってしまい、私の地元は車がないと不便過ぎて…
だけど15歳の頃に付き合っていた元カレがいつも駅から送り迎えしてくれて、おばあちゃんはお花が好きだから、一緒に選んだり、おばあちゃんに楽しい話をたくさんしてくれて笑わせてくれたり…
元カレは母子家庭で親戚付き合いもなくて、でもお母さんが癌で亡くなってしまって、人の痛みや辛さがよく分かるから私にたくさんの事をしてくれたのだと思う。
おばあちゃんが、ある日から急に病院のご飯を食べなくなってしまった。「何も心配なんてないんだよ」って、「ご飯ちゃんと食べて早く治して、早く家に帰ろうよ」と言っても「いいよ、いらないよ。お腹すいてないから」と言う。
なんか変だなって思った。思い過ごしであって欲しい。
小さい頃、おばあちゃんは「温泉に行きたい」とたまに言っていて、一緒に温泉の本を見てどこがいいかなぁとか話したりしてた。大人になって働けるようになったら、絶対に連れてくって、絶対に叶えてあげるってそのとき決めたんだ。早く温泉に連れて行きたくてウキウキして温泉の本を読むのが楽しみだった。
「ねぇ、おばあちゃん、秋になったら温泉行こう‼︎今はバリアフリーのところ多いから安全だし大丈夫だよ。私が子供の頃、絶対に行こうねって、絶対に連れていくからねって約束したでしょ?だから行こうね♫絶対に連れて行ってあげるからね♫」って言った。
やっと叶えてあげられるんだって嬉しかった。この時はまだ5月だった。
病気になったおばあちゃんを助けたくて、良い医療をさせてあげたくて、直ぐに都内に一人暮らししてキャバクラで働いた。
「温泉行ったら、あとは一緒に住もうね♫私、仕事いっぱい頑張ったから貯金もあるし、私帰るからまた一緒に暮らそうね‼︎本当にちゃんと9月に帰ってくるからね‼︎9月はおばあちゃんの誕生日だしね♫」って、私は地元に帰っておばあちゃんと暮らすってとっくに決めてた。おばあちゃんも楽しみだって言ってくれた。嬉しい。
私が急に東京に行ってしまい、毎週、休みの日はおばあちゃんの家に帰って、あとは心配しないように毎日電話して話したりしていたけど、おばあちゃんは相当心配してただろうし、一人で寂しかったと思う…。
私を育てるのに自分のことより私のことを考えてくれて、私の為に出来ることは何でもしてくれた。
おばあちゃんが「虫歯ができて痛くてしょうがない」って言ったから「じゃあ歯医者に行こうよ」と言っても「お金が掛かるからいい」と言って、正露丸を詰めて痛さを耐えていた。虫歯を治すくらいならお金はそんなに掛からないのに、自分が行く歯医者のお金さえ、私の為に、正露丸を詰めて傷みを耐えてた、そんなおばあちゃんに絶対に歯医者さんに行って欲しくて
「お願いだから、歯医者に行こうよ」と何度もお願いしても「お金が勿体無いからいいよ、行かなくて大丈夫だから」って言って歯医者に行くのを見たことはない。私には「ちゃんと歯医者に行かなきゃ駄目だよ‼︎」と歯医者に怖がる私を連れて行くのに…。
そこまでしてくれることが悲しかった。
習い事も、物心ついた時は絵画、書道、そろばん、空手、ピアノ、塾…
ピアノは今でも悲しい…
誰になんと言われてもいい。私がピアノを習いたいとお願いしたら、ピアノ教室を見つけてくれたけど、ピアノを買うお金なんてない。だから、電子ピアノを買ってくれたけど、安いやつで鍵盤が広くなくて、自分からピアノを習いたいって言ったけど、鍵盤が足りなくて弾けなくなったなんて言えなかった。凄くピアノを習いたかったから、諦めろって何回も自分に言い聞かせて辞めた。
今でもピアノを習っておきたかったなぁと思ってしまう時がある。保育園で働いたりしたからだなぁ。電子ピアノだってないお金の中から買ってくれたんだもん。
だからかな、私はおばあちゃんのまだある未来を明るくしてあげたかった。楽しみをいっぱいあげたくて、感じて欲しいし、喜んだ顔をたくさん見たかった。もっと自分に自由をあげて好きなこと沢山して欲しかった。
でも、何度言ってもお金の心配ばかりしてしまう。心配というか、無いからそんな余裕なんてないというのが正しい。
もう病院のご飯を完全に食べなくなり、何度も点滴しても自分で抜いてしまうようになってしまった。
私が何を言っても「何も食べたくないんだよ」「いいよ、何も飲みたくないから」しか答えてくれなくなってしまった。「せめて点滴はしてよ、お願いだから」と何度も何度も言っても「いいよ、しなくても」としか言ってくれない。
病院敷地内にたこ焼きとかある自動販売機があって、たこ焼きを買った。「一緒に食べよう」と言ったら1つだけだけど食べてくれた。嬉しかった。こういう風に少しずつでもいいから食べてくれるように色々考えて頑張ろうって思った。決して、私の気付いてしまったようなものになってしまわないように。
外はもう夜で真っ暗。
私はわざと「ねぇ、肉じゃがってどう作るんだっけ?」と聞いたりする。そうするといつものおばあちゃんに戻ったかのように、顔付きも良くなって「肉じゃがは~…」って教えてくれるから、そうやってみたり色んなことした。小さい頃からお手伝いが好きでたくさんの色んな料理を教えてもらった。
「明日、仕事があるから今日はもう帰るけど、日曜日は休みだから絶対にくるからね」って約束して東京に帰った。その日は火曜日だった。
木曜日の朝方、中々寝付けずにずっと起きてた。そしたら携帯が鳴ったから見たら病院だった。電話に出たら今すぐくるように言われた。説明なくても直ぐに察した。でもまだ朝5時前で新幹線はまた走ってない。そのことを伝えると「間に合わないかもしれません」と言われ、直ぐにタクシーを呼んで駅に着いて電車に乗った。御守りを握りしめながら「どうか、おばあちゃんを助けてください」と願いながらやっと地元の駅に到着して病院に急いだ。
病院に着いてあたしは走って病室に向かった。
医師、看護師たちが部屋の中に何人もいた。
おばあちゃんの顔見たいし、心配で早く会いたいのに、別室に呼ばれた。
「心臓が一度止まってしまい、今は心臓は動いてるけどまたいつどうなるか分からない、それと意識は100%戻ることはないと言われた。
遅かった…。
でも私は医師に、「点滴を自分で抜いてしまうようなら拘束するというのもお願いしますとサインもしたのに、何でしてくれなかったのですか?何も食べず、何も飲まない状態に何故したんですか⁈」と怒りが湧いてきて、状況が分からなくなりパニックを起こした。見えるものもボヤけてきて、そしたら「コイツ今は訳分からなくてパニックになってるので、自分にも説明してもらえますか?」と誰かが隣で言った。
この先の明るい未来を見てほしくて、光を失ってほしくなくて、絶対にそうならないように必死だったのに、少しでいいから頑張って欲しかったのに、おばあちゃんの決心に負けてしまった。自分の命まで終わりにしてしまった。おばあちゃんが何を考え、どんな気持ちでいたかを思うと頭が狂うほど泣き喚いた。おばあちゃんに抱きついたまま、涙は止まらなく、「おばあちゃん、ごめんね」と繰り返しおばあちゃんに謝った。
自分の為に楽しいことどのくらいした?自分の快楽の為に何かした?何をした?
私、自分の快楽を何かの為や私の為に使っていたおばあちゃんしか知らないよ。おばあちゃんが大笑いしたの見たことも聞いたこともないよ。服を買ったりしたことも殆どないじゃん。趣味は何だったの?友達とお出掛けもしなかったじゃん。あたしを遊園地に連れて行ってくれてたけど、おばあちゃんの行きたいところは?温泉しか知らないよ。しかも、温泉を叶えてあげたくて、大人になったら仕事してお給料ってどのくらいなのか計算したりしてたよ、おばあちゃんに喜んで欲しかったもん、そしたらあたしも嬉しい。
どうしたらそう出来るの?
今ブログに書いてて、何個も気付いちゃったよ。
ねぇ?今一生懸命に思い出してるけど、何も思い出せないよ…
自分の人生そのまんま、何かの為か誰かの為にしか使ってないじゃん!
私は赤ちゃんの頃からの記憶があるけど、ベビーパウダーも首、足も両足持っていつも綺麗にしてくれてたよね、夜おんぶ紐してその上からいつも羽織っていたやつ触ると気持ち良くて好きだった。毎日、おんぶでお散歩してくれたね。布おむつだったから庭を見ると真っ白で綺麗だった。その、私が使った布おむつ、「なおがいつか赤ちゃんを産んだ時にと思ってしまっておいたんだよ」って渡してくれたよね。おばあちゃんのことを自分から話してくれたことも殆どないじゃん。
やだよ、こんなの嫌だよ。なんで今気付いてんだろ、なんでもっと早く気付けなかったんだろう…
ごめんなさい、もっと早く気付きたかった。
もっと、おばあちゃんのことを知りたかったよ…
そして、色んな話とかしたかったよ…
たくさん迷惑かけて悲しませて、本当にごめんなさい…
あぁ、出来ることなら時間を戻したい…
おばあちゃんがあたしに残したのは、自分の葬式費用などだった。それと、手紙。手や指がうまく動かなくても書いてくれた手紙を見た。あたしは自分を責めた。なんでもっともっとおばあちゃんを助けてあげれなかったのか。自分の無力さに嫌になり、骨壷を開けておばあちゃんの骨を食べた。何もない悲しい味しかなかった。もうおばあちゃんはいない。天涯孤独になってしまったんだ、もう帰る家もなくなったことは恐怖なんてものではなかった。大好きなおばあちゃん、手紙ありがとう。血の繋がりの家族を知らない私に、「なおが健康でありますように。いつか結婚してなおがたくさん幸せになれますように。そしてどうかなおの病気も治してください。何にも困ることがありませんように。」
うん、絶対に叶えてそれを恩返しだと思って頑張るからね…。そう心の中で約束した。
けれど、天涯孤独というものは想像以上に大きな恐怖で震えてた私に「お前が帰ってくる家はここだよ‼︎今からお前の帰る家はここなんだよ‼︎」と言って元カレが家の合鍵を渡してきた。「いつだって帰ってきていいんだよ‼︎お前の家なんだから‼︎お前は1人なんかじゃねーよ‼︎それでもひとりぼっちになったら俺がひとりぼっちになんてさせねぇから‼︎」と、沢山の言葉をくれた。私は「ありがとう」と言って鍵を受けとった。そのころ住んでたのは新宿区西新宿。
あたしには、お姉ちゃんと慕ってる人がいた。その人も実の妹だと言ってくれた。病院から連絡あって急いでくるように言われたとき、お姉ちゃんはクライアントさん全てキャンセルして遠いのに病院まできてくれた。
ずっとそばにいてくれて、おばあちゃんの最期を一緒にみとってくれた。
おばあちゃんから離れたくなく嗚咽で息が苦しくなってきたら、看護師さんが「ちょっと外出れるかな?おばあちゃんを綺麗にするから」と言われタバコ吸ったら少し落ち着けるかな?と思って病院の外に行きタバコに火をつけたら目の前が何も見えないくらいに涙が出て止まらなかった。どのくらいの時間がたったか、病室に戻ったら病室の手前に人がいて、よく見たらお姉ちゃんだった、凄く悲しい顔をしてた。病院は私がいなくなったと、自殺するんじゃないかと私を探し回って大騒ぎだったらしい。
「おばあちゃん、やっと家に帰れるよ、一緒に帰ろう」
家に帰りたいとずっと言ってた。やっと家に帰れるよ。元カレとお姉ちゃんも一緒に家に来てくれた。
おばあちゃんを見てると、ただ寝てるだけにしか見えなくて、ドライアイスをどかしておばあちゃんの横にくっついてた。涙も出てない、何も考えることが出来なくなって、気付いたら朝だった。
葬儀屋さんとかが来た。元カレがあたしの代わりに全て選んだりしてくれた。
お葬式、私が喪主をした。けど、何を言ったのか全く覚えてない。元カレに聞くと「ちゃんと出来てたよ」と言われたけれど、今になっても思い出せないのが、なんとなく嫌に思ってしまう…
おばあちゃんのお葬式だもの。
お葬式には、私の母親もいた。
おばあちゃんはずっと母親のこと心配していた。おばあちゃんの最期に会ってほしいと頼んだ。最初は無理だと言ってたけれど、「おばあちゃんが死んだんだよ‼︎もう会いたくても会えないんだよ‼︎育ててもらったんでしょ?なら、最期にありがとうくらい言ってあげてよ‼︎」と言ったら、「なら交通費を出してくれるならいくわ」との条件を出してきて、怒りで頭がおかしくなりそうだったけど、おばあちゃんの為だと自分に言い聞かせて、おばあちゃんの為に会ってほしいとお願いした。母親は当時、神戸に住んでた。今はお互い連絡先も知らないし、知る理由もない、あたしの中では「いない人」になった。思い出すことなんてないからこうやって今ブログで書いてる時しか一切思い出さない。
母親は挙げ句、「喪服がないんやけど」なんて言うから、買う気もないなら黒い服なら何でもいいと言った。お葬式では何もしないし挨拶さえしないで、壁にもたれかかってただけで、おばあちゃんをろくに見ようともしない。
お葬式に来ておばあちゃんに会ってほしいとお願いしたのも、条件をのんだのも何もかも全て、おばあちゃんの為だ。
「おばあちゃん、保険に入ってたやろ?それはどうなってん?」と聞いてきたから、「あたしのせいで解約したよ」と答えた。本当のこと。
そしたらとっとと目の前からいなくなって、
そしたら元カレが、「一応、お前の母親だから悪いけど、信じらんねーくらい最低だな」と言ったから「こんなのまだマシだよ」と答えた。
母親はお葬式が終わったら直ぐに帰った。
もう一生、会うことも何もない人になった。
やっと、縁が切れた…。
おばあちゃんが手紙に書いた願い、あたしも叶って欲しい。
でもね、私、結婚しないで赤ちゃん産んだんだ。子供の為に父親も母親も必要だと思ってたけど、子供の為に父親はいらないと気付いて、いくつもの病気を抱えながら、たくさんの薬を飲まないといけないから薬を服用したまま、必死になって頑張って産んだよ。私の病気での出産の症例がなくて、病院の人たちは物凄く大変そうだったけど、産むこと出来たよ。もう一度出来るかと聞かれたら無理だと即答できるくらい必死になって産んだこと後悔してない。
むしろ、初めて血の繋がった家族の絆を知って、こんなにも幸せで物凄い安心感でいっぱいで、本当に凄いとしか言えない、こんなこと叶わないと思って生きてきた私は本当に馬鹿だと思ったよ。
物心ついた時には、絶対に叶わないって分かってたのに、生まれてきたことを申し訳なく思って、でも生まれてしまったのだから何かの為、誰かの為になることをしたいと思って生きてきたけど…
それよりも願いたかったこと、叶ったよ。
いっぱい幸せになれるように頑張るね。
それが、恩返しだと思ってるから。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。
いつも私がごめんなさいと手紙を書いて送っても、手紙を書いてくれたことなかったよね。
初めて手紙を書いて送ってくれた手紙、
なおが帰ってくるまでちゃんと待ってるからね。