(1)に続き、ここでは実際に芦原さんとの仕事を共有し、身近に感じていたであろう小学館編集部の方々のメッセージと、映像制作業界での脚本家としての立場からのご意見と、また、漫画の世界で長きに渡り活躍され、沢山の素晴らしい作品を世に送り出し、今もって第一線で活躍されている漫画協会理事長の里中満智子さんのお言葉を載せたいと思います。




以下抜粋












日テレ報告書の別紙より

脚本家の方々のご意見です。

代表の方々の総合的な見解ととれるので、抜粋はしませんでした。該当箇所をお読み頂ければと思います。脚本家の方々は、それぞれの見解をおもちで、原作重視をと主張する方もいれば、映像化する以上、盛り上げて面白く、尺がある以上、アレンジは必然という方もいました。

しかし、作品へのリスペクトを原作者としっかり共有するべきだ、とする意見は一致しているように思うので、今回のケースには一様に「特別なパターン」だと感じていることが伺えました。





上の別紙とは別に、漫画家としてのご意見をインタビューに答える形で発表していらっしゃる里中さんの言葉がわかりやすかったので、そちらも追加しました。里中さんは漫画家協会の理事長という立場ではなく、あえて1人の漫画家として…と断りを入れています。そのことが、よりリアルな立場でのご意見として響きました。



AERAより

以下抜粋




「誠実で優しく、そしてフェアな方」だったと近しい方々がそのお人柄を表しています。

ですから、「フェア」に…

公開されているもので読める範囲にはなりますが、

各業界からの主だったところを、私なりに読ませて頂きました。


その世界にはその世界の「慣習」があり、長く居ればそれなりに身についてしまうクセのようなものがあると思います。忖度あり、妥協あり…


一応、社会人のハシクレとして、そういったある種のオキテがあることも承知していますし、それが全て悪いことだとは思いません。

時には、使い方によっては、物事の摩擦を減らす「潤滑油」であることもあるのです。



それをも踏まえて、感じたことは、小学館(現場)の方々と漫画家の方々は、やはりとてもピュアであり、作り出すということを神聖なものと捉えている。当然、作り出した作品への愛が溢れ、誇りを持っていらっしゃる…当然です…よね。


対して、制作の方面の方々は、里中さんが言われているように、俳優、スタッフ、スポンサーなど沢山の影響を与え合う多くの関わりの中で、それぞれの利益を損なわずにうまく調整しながら作品を作ろう…という思いが強い…映像としてよりインパクトを持たせる、または、映えるにはアレンジも必要…なこともある…と。



つまり、同じ「創作」であっても、出発点が異なるような気がしました。


そういった意味で里中さんがおっしゃる「二次創作」にあたるとも思います。


だからこそ、「初めの一歩」である「ゼロから作りだす人々」は強いのだ、という言葉が突き刺さりました。


里中さんの「守られるべき人々に与えられている権利を主張することを恐れないで」との言葉。そして、編集部からの「作家の方々を守るために、これからも模索を続ける」という宣言。

脚本家の方々からの「歩み寄り理解を深める」という認識。それらが共に共有されて、形式的な範囲にとどまらずに、実行されることを願ってやみません。時間がかかっても、後退することなく、検討されることを願い続けます。



セクシー田中さんをめぐっての一連の出来事は、本を読む事が好きな自分にとって、とても看過できない問題でもありました。映像化されたものと、その原作を共に楽しみながら、作品の世界観を深めることが多いので、より想いが深くもありました。

私なりの考察を通して、「原作」もそれにまつわる二次的な創作物も、より丁寧に鑑賞したいと思います。作り手の神聖なエネルギーこそが、作品にパワーを与え、鑑賞者に感動を与えると思うからです。



そして、この3回の記事をもって、「セクシー田中さん」についての投稿は終了しようと思います。



芦原妃名子 様へ。


あらためまして、素晴らしい作品を通して、生きることに温かく、また力強く寄り添って下さり、本当にありがとうございました。全力を注いで創り出した作品が、末永く、多くの人々に愛される事でしょう。


ご冥福を心よりお祈り申し上げます。