獣医学部の学生にとって、将来、どんな働き方をするかは結構、大きな意味をもつ。


動物病院などの臨床にいくのか、大学や企業での研究にいくのか、役所や官庁などに就職するのか…

同じ獣医師という国家資格をもっていても、進む道はそれぞれだ。


個人の性格や興味を考えて、将来の道を選択しなければならない。


三年次あたりから研究室に所属するわけだが、それも悩むところ。今回はその辺りを踏まえ、獣医としての主義主張の違いや、方向性を考えた内容になっていた。


彼らは、一見すると個性的でまとまりなく、それでいて頑固に見えるけれど、命と向き合い、真剣にその意義を考えている。真面目で、努力家であり、でも少し不器用な優しさをもつ、皆んな優しい人達なんだろう。


この先、彼らはどんな論文を書くのか…

少しだけ、未来が見えたのが楽しかった。


当麻の言葉

「人に触れられると錆びついてしまう、否定も肯定もできない感情ってありますよね」

の一言が強く心に残った。


特に愛情を注いでいた動物、もちろん、大切な人もそうだが、それを失った時の気持ち…

言葉にできない感情を、とても良く表していると思う。


誰にも言いたくない…

誰にも触れてほしくない…

自分だけの胸に、ずっと留めておきたい記憶と想い


「悲しみ」を共有することでその痛みを軽くするというケアがある一方で、誰にも触れさせたくない、強い想いゆえに、他の人から冒涜されたくない、という頑なさを持つ場合もあると思う。

そんな場合には、無理に外の世界と交わったりせずに、そのままでもいいのではないか…と、最近、私は思うようになった。


痛みは痛みのまま…悲しみは悲しみのまま…

痛いのは生きていた証だし、悲しいのは、不在だからで、それもまた、その人が生きていた証。

そして、今も心の中で生きている証なのだから。

それを無理に緩和しようとしたり、遠ざけようとしたりしなくても、そのままでいいのではないかと思う。むしろ、その方がいいとさえ、最近は思う。


当麻や茨戸も、日々、命と向き合う中で、そういった痛みとの付き合い方を学んでいるのだろう。



さて、まだまだ奮闘は続くようです…