こんなタイムリーな本はなかった…。

まさに今、「墓じまい」の最中だからだ。

たまに、こんな事が起こる。本の方から手招きしているような…good timing!な出会いが。


テーマは何か重いけれど、登場人物の本音がポンポン飛び出して、屈託なく、率直で…一気に読めました。そうそう、と、誰かには共感すること間違いなし。


五月(さつき)さんの死生観に共感するところが多くて、小気味良いサッパリとした人柄が読んでいて楽しかった。彼女は、「非常識で変わり者」なのではなくて、それを演じているのだと思う。と、同時に、単に非常識なのではなくて、これまでの苦難の中で、「意味のない常識」の悪害をいやというほど味わって、バカバカしい、と思ってきたのだろう。


親戚一同、彼女が両親を失って天涯孤独になったときに、誰1人として助けてあげなかったではないか。。。血のつながりなんて、そんなもの。

きっと五月さんは、諦観しているのだ。

この世というものを。


だから、この世にある当たり前とされるものを必要としていないのだと思う。

そんなものが役に立つわけでも、生きてゆく糧になるわけでもないからだ。


見栄を張らずに正直に生きている彼女は素敵だな、と思う。


おそらくは、DV夫に痛めつけられ、シングルマザーとして子供を育てる辛さを味わって、早くに両親を失って、親戚に騙されて…とことん人の非道さを味わってきたからこその、「本音」なのだろうと思う。ラストの還暦を過ぎた彼女が、亡き父親のセーターを着て、母親のハンカチの香りを懐かしみながら、涙を堪えて泣く夜を明かすシーンに、彼女の本当の姿が垣間見える。



私は墓には興味がない。

信仰もないし、だから宗派なども無い。

特に神様なども信じていない。


世間的にはきっと不謹慎だ、と思われる事も割と人の目を気にせずするほうだ。


まだ亡くなってもいないのに喪服を用意するなんて…とか言われても、用意しておかなければ慌てるだけだと思うし、仏壇なんて立派なものはいらないと思うし、高価な仏具にも墓石にも意味が無いと思っている。何より、ジメっとした墓地のイメージが嫌いだ。私の後に墓守のいない実家の墓地を、私の代で終わりにしたいと思っている。



そうはいっても、なんというか罪悪感のような?なんともいえない迷いのようなものが、全く無いかというとそうでも無い。


それは、例えれば迷信のようなもの…かも…


祟りとか、バチが当たるとか、、、?

よく、占いの大御所が言っていたよな…

先祖の祀り方が悪いからだとか…病気や事故の原因に先祖の嘆きが使われていたっけ。

あれだ…たぶん、そんな理屈ではない、恐れみたいなものが関係しているんだと思う。


でも、ね。


この本にもあるように、いつかは全てが無縁仏になるのだ…これまで何億?いや、何兆?もう数えきれない人類が亡くなっているのだから、その全てが子孫によって弔われ続けているわけは、絶対に無い。


葬儀も墓も、残された者にとって必要なものだろう。気持ちの整理のため、拠り所のために。


それは、人それぞれ違ってもいいだろう。


葬儀を豪華にしなくても、故人を悼むことはできるし、墓石にすがらなくても拠り所にする何かはある。思い出深い場所でもいいし、よく一緒に訪れたレストランでもいいし、好きな場所、好きな曲、好きな映画や本や絵…亡き人に想いを寄せる場所やモノは沢山あって、それは自由だと思う。


自分が生きたことを思い出して、何かしら想ってくれるのだとしたら、ただそれだけで良いと思う。


他には何もいらない。



ましてや、後々まで残るでっかい石なんていらないし、土地にも家にも縛られずに生きたいし、子供にもそうあって欲しい。皆んな、自由なのだから。



去り際は美しく…

何も残さずに…そう思う。



もしも、そんな自分を思い出して笑ったり、泣いたり、悪口言ったりしてくれるなら、こんな嬉しいことは無い。生きた甲斐があった、と思うだろう。





「葬送のフリーレン」の一場面。

酒飲みでおおよそ僧侶には相応しくないハイターが「天国」について語る場面だ。

言っていることも、僧侶とは思えないけれど、だけど、わたしは、この言葉が好きだ。


天国は…たとえ実在しなかったとしても、あるべきものだと思います。その方が「都合がいい」から。

必死に生きてきた人の行き着く先が「無」であっていいはずがありません。



仏教でいうところの「色即是空」や「諸行無常」といった諦観を、ハイターのこの言葉が和らげてくれる…と思うのです。そして、希望を与えてくれる。

生きて…消えてゆくことは、決して悲しいことではない、虚しいことではない、と。


だから「墓」をしまうという行為をしようとしている自分を、この言葉は守ってくれているように感じました。


始まりがあれば必ず終わりもある。

しかし、終わればまた、始まるのです。


解き放たれて…自由に軽やかに…。