ミュージカルを見て、さらに知りたいと思ったので…とは言っても、難しい歴史書ではちょっと飽きるだろうなぁ、と思い手にしたところ、小説風となっていて、とても読みやすくスラスラと進んだ。


個人的に、史実を極端に曲げたものや、架空の人物がでてくるようなドラマチックな演出は抵抗があって、できれば史実に忠実な物語りが好きだ。


その点、この本は、適度に小説っぽく物語りを作ってはいるが、史実に正確で、かつ、わかりやすく描かれている。


エリザベートと、その周辺の人物、家族関係、ハプスブルク家について理解できるし、民衆運動が活発化して、各地で様々な革命が怒涛のように起こる19世紀のヨーロッパの様子も説明されていて、世界史の案内書としてもいいかもしれない。



美貌で名を馳せたオーストリアの皇后エリザベートなのだが、そのストイックな美の追求は誰もが知る話だろう。過酷なダイエット、体操室を作り、熱心に取り組む話、170センチを超える長身で、ウエスト50センチ⁉️体重50キロ以下…というスタイル…


なぜ、こんなに「美」に執着したのか?



そして、なぜ、生涯の多くの時間を「旅」に費やしたのか?その果てに、彼女は何を見つけたのか?


その過程が描かれている。


4人の子を授かりながら、恋多き女、一方で、旅から旅を続けて詩作に没頭する夢想家、活発で自由闊達な様子は、少女のまま大人になったようで、強大なハプスブルク家の、しいてはオーストリア帝国の皇后としてはいささか、ワガママで未熟に見える。


常に誰かに傅かれ、誰かに承認してもらうことが自身の価値なのだと思い込む事が、後の彼女の不幸の始まりなのだろう。


権威と秩序をもって、己を律し、義務と責任を果たす事こそ使命である、その信念を貫く姑であるゾフィー、その意志をつぐ夫のフランツ…。一見すると、嫁をイビル意地悪な姑と、自由闊達な妻に翻弄されるマザコンの夫…そんな構図を想像しがちだが、それは安易な発想である。

ゾフィーは言う。

「その自由は正しいのですか?」

「義務を忘れたものは、やがて滅ぶのです。しかし、この事を知るのは、帝国が滅びた後でしょう。」




ミルクが無くて亡くなってゆく子供達がいる一方で、ミルク風呂につかる彼女。皇帝の一声で、戦場に散る多くの命…。度重なる戦争で疲弊する市井の人々の犠牲をよそに、晩餐会に明け暮れ、贅沢を続ける貴族…。なんだか、国は違えど、よく聞く話のようにも思える。そして、行き着く先は、みな同じ結果なのではないだろか…。


「祇園精舎の鐘の声…」で始まるあの唄を思い出すなぁ…。盛者必衰の理をあらわす…おごれる人も久しからず…。。。


時代は流れる…。

その流れを誰も止めることは出来ない。

ハプスブルク家の例外ではない。



愛する家族の多くを亡くし、帝国は滅亡の一途を辿り、歳を重ねて美貌を失い…晩年、旅路の果てにエリザベートのたどり着く答えを、本書より。


「自分を支え、満たすものは誰かの胸や、どこかの場所に存在しているわけではないのだ。それは、自分の内にしかない。孤独に耐えて自分を見つめ、充実させ、その中から発芽させて大きく育てていくしかないのだ。」


そして、一言、僭越にも付け足すと…。

「自由もどこかにあるものではなくて、自分の中にこそあるものだ。」と。


ゾフィーの言葉の意味とその重さを、改めて思い知る事になるエリザベート…。


遅すぎたと思ったのだろうか?いや、きっと彼女ならこの想いを胸に、もう一度生まれ変わって生きてゆこうと思ったのではないかな…そうやって生き抜いて、納得して旅立つのではないかな…とも思う。



ジュネーヴの街中で船に乗ろうと急ぐ道の途中、イタリア人の無政府主義者の若者に刺され倒れたエリザベート。犯行に使われた凶器は左心室を貫いたが、とても鋭利で傷口が小さかったため心停止まで時間がかかり、自身が刺されたことさえ気ずかずに、7、80メートルも歩き、話しもし、微笑むようにくずおれたそうだ。60歳。彼女は何を思っていたのだろうか…。納得のいく最期であったのだろうか…。


帰りをまつ夫のフランツ。

公認の愛人がいながらも、シシィ(エリザベートの愛称)の帰りを待つ夫。彼女の訃報を受けて、書きかけの手紙に付け足す…。

「僕があなたをどれほど愛していたか、きっと誰にも永遠にわからないよ。」


エリザベートを亡くしたあとも、戦争の荒波をくぐって帝国を支え続けた夫のフランツ。彼女を偲びながらも、「もし帝国が滅びるのなら、せめて品位をもって滅びなければならない」と語ったそうだ。

シシィの死から18年後、86歳で防御。肺炎で高熱を出すも、最期まで公務を続けたそうだ。そして、その2年後、帝国も滅ぶ。


人間の愚かさと不器用な愛し方が、悲しくもあり、残酷でもあるのだが、同時にとても愛おしくも感じられた物語りだった。




フランツヨーゼフとエリザベート




シェーンブルン宮殿



晩年のエリザベートと犯人のルイジルキーニ


画像はお借りしました。