1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1981年12月に1型糖尿病を発症しました。
なので1型歴だけは長いです*\0/*

インスリンペン
リブレ
miaomiao
xDrip
スマートウォッチを使って今は快適な生活を送れるようになりました。
これもブログをしていたお陰です♥

完治する日まで一緒にがんばりましょうね。


皆さん、こんにちは😊!
今日は、少し長い文章になってしまいました。
お時間のあるときにでも読んでいただけると嬉しいです。




実は、父は今、病院の緩和ケア病棟に入院しています。
先月の5月9日からです。

これまでの経緯からお話すると、あれから父は確定診断していただくために、大きな病院で一泊二日の検査入院をして、組織をとって調べていただきましたが、やはり肺がんでした。
肺がんの中の扁平上皮がんだそうです。

肺がんってタバコをプカプカ吸ってる方がなるイメージなのですが、父はもう50年ほど前からタバコは自らやめていたはず😐

父の肺がんも確定し、ステージはどのくらいか聞いてみたけれど、それを知るにはもっと詳しく全身を調べないとならないようでしたので、今の父には無理だと思い諦めました😣
組織をとる検査だけでも大変だったようで、高齢と認知症がある父には可哀想ですが仕方ありません😢





前の主治医が知っていたのにも関わらず、何年も隠して放置したために、腫瘍も4cmほどに成長してしまいました😡😡😡😡


ただでさえ高齢でしんどいのに、もう手術や抗がん剤などの治療はしないことを選びました。
体への負担が大きすぎて、それだけで死期を早めてしまいそうなので(遅すぎるんだよ!!!!!😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡あのヤブ医者め)。




肺ガンだと確定したことで、これからの過ごし方を考えました。
私の気持ちはこれまでと変わらず住み慣れた我が家でと。
ただこれまでと同じヤブ医者の元では父を安心して任せるわけにもいきません。昔からの長い患者さんだけは、往診もしているとは私に言ってきたけれど、こんなことをされてきたのだから信用も何もない👹👹👹👹👹
父に何かあるごとに、私が大変だからとあのヤブ医者は父に毒を盛る恐れもあります👹👹👹




先ずは、がん患者を専門に看てくださって訪問診療してくださるところを探してみよう。

あ!そうだ🙂数年前に新聞とかテレビで放送されていた、まぁまぁ近くのクリニックを思い出しました。
自らも肺がんになってしまい、2022年4月に関本先生はお亡くなりになってしまったそうです。45歳でした。

以前は、関本クリニックでした。

https://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/extnl/article/page91.html



"1000人を看取った緩和ケア医、45歳の死 がんに侵されながらも「自分らしさ」貫いた最期の日々" を YouTube で見る

https://youtu.be/eBkwtoJwsCw?si=QI-uJcOA_rCuTm-d


生前にこのような動画を自ら撮られるってどんなお気持ちだったのか😖




その後、かえでホームケアクリニックとして再出発されています。

https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202307/0016634026.shtml

先ずはメールでお話させていただき、その後、病院から紹介状を持って面談にお伺いし、この先生なら大丈夫と思えたので父をお願いすることにしました🙂

その時に、こちらでは何かあったときに入院設備はないのでどうしたら良いのか聞いてみましたら、緩和ケア病棟のある病院がいくつかあるので、そちらの面談も受けていたほうが何かあったときにはスムースにいくことをお伺いし、どちらの緩和ケア病棟が良いかもお伺いし、その時すぐにその病院への面談の予約を入れていただきました。
緩和ケア病棟がある病院にこれまでのデータをもって面談に行ったのが4月24日でした。




その後2週間ほどでまさかこちらの緩和ケア病棟に父がお世話になるとは思ってもみませんでした😓
あの時迷いましたが、データを持って面談に行っておいてよかったです。



話は戻りますが、4月から訪問診療に来ていただいていたので、まだ数回でしたがとても先生にも看護師さんにも満足していました。




その後何があったかと申しますと、父は誤嚥性肺炎を起こしていたようでした😓
昔からの早食い大食い、一口に口に入れる量が多すぎる😣

食事の度に注意していましたが、そうすると怒り出してお箸を放り投げてしまいます😢


誤嚥性肺炎の怖さはあまりよく知らなかったのですが、いつかはこうなるのではないかと思っていました。




救急搬送された9日の日(父のお誕生日の前日でした🎂)は、お仕事もお休みで、いつものように母に暴言を吐かれたので、父のオムツ替えと食事が終わってから1時間半ほど離れたところへ一人気分転換に行くことにしました。
家を出る10時前、いつも車椅子に座って寝る前までテレビを観たりウトウトしたりしているのですが、ひざ掛けの毛布に3ヶ所嘔吐したあとがあり、父に確認したけれど覚えていないし、大丈夫だと。
何かわからないけど、吐き気止めと痛み止めは置き薬として前回処方してくださっていたので、吐き気止めを1錠飲ませ、お洗濯だけして母に父のことを話しその場を離れました。




お昼過ぎになって何度も母からスマホに電話が入っていたようでしたが、いつもの「どこにいるんや👹👹👹!!!バカタレが!!!」だと思いしばらく放置していました。
でも父のこともあり、何か嫌な予感もしてきたので電話に出てみると、母が買い物から帰ってきたらお父さんがしんどそうだと。
すぐに帰ってもそんなに早くは家には戻れない😓
先ずは先に訪問診療に来ていただいてる先生に連絡を。
私も父の様態を目で見ていないのでよくわからない。
とにかく私が自宅に着いてから父の様子を伝えてほしいと。
それから母にも何度か電話していたのですが、今度は母が電話に出なくなりました。固定電話も携帯も😱😱😱
母もパニックになったのか倒れてしまったのか?




申し訳ないけれど自宅からまぁまぁ近いところにあるケアマネさんの事務所に連絡し、両親がどうなっているのか先に見てきてもらうことにしました。
鍵は母が開けておいたようで中には入れたようでした。
ケアマネさんともうお一人来てくださっていました。私が自宅に着いたのは30分後ぐらいだったようです。

車椅子に座ったままで顔色も悪くしんどそうな父がいました。
すぐに訪問診療に来ていただいてる先生に連絡し、午後からは往診中のようでもう少しだけ待てないか聞かれましたが、どこでもいいから救急車呼ぶわけにはいかないのかと思ってしまいました😖

そうこうしていると、そちらからいつも先生と一緒に来ていただいてる看護師さんが到着し、先生に父の詳しい容体を伝えてくれていました。


誰でもかれでも緩和ケア病棟に入院させれないのでしょうね😐


私にしたらどこでもいいからとにかくすぐに病院へと思っていました。
熱もあるし段々と目も合わないし、意識も遠のき始めてきました。
やっと緩和ケア病棟の受け入れがOK出たところで、救急車を呼んで下さり入院することができました。
検査の結果は、誤嚥性肺炎を起こしていました。
救急搬送される2日前のデイサービスのときに、朝のお迎えのときには熱が無かったのですが、帰る頃には少し熱があったようでした。




治療の甲斐あって、誤嚥性肺炎の方は良くなりましたが、食事がこれまでは家族同じようなものを食べていたのが
、見た目に何が入っているのかわからないようなミキサー食になってしまいました😓
あれでは食欲なんて湧きませんよね😢
何食べてるのかわからないし、不味そう。
私でも食べたくなくなると思いました。

これまで自宅では、みんなが席につくまで待ちぎれず、自分だけ先に食べだし、よく母に叱られていましたが、入院してからは食べることにもあまり興味を示さなくなり、食べる量も飲む量も少ないので、今度は脱水症状も出てきて、ブドウ糖の点滴を日に3回してくださるようになりました。


それから一週間が経ち、病院の主治医から

これからのこととか点滴のメリットやデメリットのことについてお話がありました😐


今のところデメリットの症状は出ていなくて、このまま点滴はやめないでほしいと主治医にお願いしました。
きっと延命治療になるのでしょうね。
それならば家につれて帰ろうと少し前に計画していたのですが、やはり弟の反対がありました。
母は、なぜだか父が入院すると同時に認知症になる前の元の母に戻っています😱😱😱

あれだけ私や父に暴言を吐き、暴力も振るうようになっていたのに、今でも不思議で仕方がありません🤔


父が弱っていくのを見ていて、イライラして嫌になっていたのか?お見舞いに行くには何ともなく、認知症になる前の優しい母なんです。
父の入院以来、私とも一度も喧嘩にもなっていません。




そのこともあって、弟は今なら良い思い出だけが頭に残っているけれど、もし退院させ自宅に父を戻したら、ずっと父親から目が離せなくなるし、今度は父に母親が何をするかわからない。警察沙汰になってからではもう遅いと。

誰かが言わなくてはならない。このままではお姉ちゃんもお母さんも駄目になってしまうと。
お姉ちゃんは、自分よがりになっているだけだと弟からメールが来た。
あのメールで、自分がこれまでにしてきたことを全部否定されてしまった。

こんなことしても親は全然喜んでもいないと。





私はこれまで親に喜んでもらおうと思ってしてきたのではない。子供に苦労させたくないのが一般的な親だし、これは私が勝手にしていることなんだ。
二十歳そこそこで家を出た弟と私とでは、親に対する思いも全然違うと思う。
おまけに私は1型糖尿病の持病のことで長い間両親には苦労させてきたんだ。
その日は辛くて悲しくてひとり思い切り泣いたなぁ😐
とにかく涙がなくなるまで泣き続けて、いつの間にか新聞配達のバイクの音がしていた🏍

一度は弟の反対もあって取り消した退院だったけど、先週ならまだ主治医も帰れない状態ではないし、大人しいからそんなに難しくはないと言われ、また私の気持ちも揺らぎ始めていましたが、そのことを弟にメールすると、お姉ちゃんの考えていることは非現実的過ぎると😣😣😣
私が一人っ子で母も認知症でなければきっとすぐに父を家に連れて帰っていたと思います。
それが父にとって良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど。

でももう父には帰る体力もないし、移動させるのも恐ろしい状態になってしまいました。
ほとんど食べも飲みもしていないので、肩や背中を触ったら骨でゴツゴツしていました😖

先月24日からは日に1回のブドウ糖の点滴だけにされてしまいました。


ほとんど飲まず食わずで、点滴だけで生きながらえるとも私は決して思っていません。

数日父の命が延びるだけかもしれません。





あの時にすぐに連れて帰ってあげればよかった。そうしたら自宅でもっと十分な点滴も受けられたかもしれないのに。

昨日も午後から父の顔を見に行き、そろそろ帰ろうか思ったときに少し咳き込んで淡が出そうだったのでテッシュで出させたら、血痰がたくさん出てきて驚きました😱😱😱
テッシュで7〜8回吐き出させてそれをテッシュの上に並べて置いて、看護師さんを呼んで来てもらいました。
この少し前にオムツ替えのときに父が歯ぎしりしていたので(嫌なことされるときに2月ぐらいからするようになりました)、もしかして少しグラグラしていた前歯からの出血かと思ったけれど、歯も抜けてもいないし口の中での出血ではなさそうでした。

きっとあちこちに転移してるんだろうなぁ😖



飲み込むのも最近では痛いそうだと弟が言ってた。
入院したことで、腰骨への転移もわかりました。
父にはもうあまり時間がないというのに、何もしてあげられなかったなぁ。
主治医は、後悔が残らないようにと仰っていたけれど、今の私には後悔だらけだ。




頑張って!!!はいけないんだよね。
もうたくさん頑張ったものね。
弟は自然が良いと言っていた。
点滴もするなと言うことなんだろうなぁ。
私にはそれだけはさせたくない。
絶対にしない。

お父さん、もう少しだけ生きて!!!

お父さんの子供でいさせて😢



長い長い長文を読んで下さりどうもありがとうございました🙇

自分でも何書いてるのかわからなくなってきました😖

本当にありがとうございました🙇🙇🙇



(毎日寂しい思いをさせてごめんね、ラムネちゃん🐦)


コスモスコスモスコスモス追記ありコスモスコスモスコスモス

今日、病院へ2回目の面談に行ってきました。
父の様子を見ていても、もう家に連れ帰るにはやはり遅過ぎると判断し、こちらでこのまま最期までが一番父にとっても良いのではと思い直しました。でも点滴をやめてしまうことにどうしても抵抗があって、私は父のことをこれまで大切に思ってきたので、もしここで点滴をやめてしまっては、私は父がいなくなってからも、ずっと自分のことを責め続けなくてはならなくなると。それが辛いと先生にお伝えしました。
先生も私の気持ちも解って下さり、点滴は別にしてもしなくてもここに最期までいて下さってても大丈夫ですからねと。
でも今のお父様の状態では、点滴することで余計に死期を早めてしまうかもしれない。
体がもう水分を吸収しきれなくなってきていると。
とにかく悪いのがわかっていても、半分でも良いから点滴してほしいってお願いしました。
また他にも影響しだしたらその時は考えますと。

弟にもメールで連絡しました。
そうしたらホッとしたのか、返事をくれました。
点滴のことも、私がしていることは思うこともあると思うのですが、ここもしばらくの間、目をつぶってほしいです。
今すぐに外してしまうのはどうしても私には無理なんです😔