私たちは今、歴史上もっとも便利な時代に生きています。指先一つで世界中の情報にアクセスでき、行きたい場所へは機械が運んでくれ、生活を楽にするための画期的なグッズが100円ショップで手に入ったりします。
しかし、この目覚ましい文明の進化の裏側で、私たちは生物としての、あるいは人間としての重要な機能を退化させてはいないでしょうか。「便利になること」と「能力を失うこと」は、実は表裏一体の関係にあるのです。
カッターとキーホルダー:脳の注意作用の退化
先日、日常の些細な出来事からこの「進化と退化」の関係について考えさせられることがありました。
仕事や作業で使うカッターをよく紛失してしまうため、100円均一ショップでリール式の「伸びるキーホルダー」を購入したときのことです。
これを腰に付けてカッターを繋いでおけば、使い終わった瞬間に手を離してもカッターは元の場所に戻ります。もう探す手間も、買い直す無駄もありません。
確かに便利になりました。しかし、使い始めてすぐに、ある種の違和感、あるいは危機感を覚えるようになったのです。それは、「カッターを無くさないように気をつける」という脳の作用が、自分の中から完全に消滅してしまったということです。
以前は、使い終わった後に「どこに置くか」「次に使う時のために定位置に戻す」という意識を働かせていました。そこには小さな緊張感があり、脳の注意力を司る部分が動いていました。
しかし、便利な道具を導入した瞬間、その思考プロセスは「不要なコスト」として切り捨てられてしまったわけです。
これは効率化と言えば聞こえはいいですが、視点を変えれば、私たちの注意深さや空間把握能力を退化させていることに他なりません。道具に依存すればするほど、私たちの脳はその領域を使わなくなり、本来持っていた機能がサビついていくのです。
車という進化がもたらす身体性の退化
この現象は、私たちの生活のあらゆる場面に潜んでいます。最も顕著で分かりやすい例は「車」でしょう。人類は、より速く、より遠くへ移動するために車というテクノロジーを生み出しました。
かつて、人は数キロ先の目的地へ行くために自分の足で歩きました。歩くことで心肺機能は鍛えられ、下半身の筋肉は維持され、血流が良くなることで全身の健康が保たれていました。
しかし、移動手段の進化を手に入れた結果、私たちは「歩く」という行為を放棄しました。その結果はどうでしょうか。
慢性的な運動不足、下半身の筋肉の衰え、そしてそれに付随する生活習慣病。移動手段が進化した一方で、人間の身体機能は明らかに退化しています。私たちは「速く移動する力」を手に入れる代わりに、「自らの身体を健やかに維持する力」を少しずつ差し出しているのです。
これは、便利さを追求した結果、人間が本来持っている「動物としての潜在的な力」を損なっている典型的な例と言えます。
進化の罠:便利さは依存を生む
人類の歴史は、自分の弱点をテクノロジーで補うプロセスの連続でした。重いものを持つために重機を作り、計算を正確に行うためにコンピュータを作りました。しかし、ここで一つ大きな落とし穴があります。
それは、人は一度便利さに触れてしまうと、その機能を使おうとする意志そのものが減退していくという性質です。
スマホを手に取れば、知りたいことは何でも出てきます。その結果、私たちは「深く考える」ことや「記憶する」という努力を以前ほど行わなくなりました。ナビゲーションアプリがあれば、見知らぬ土地でも迷うことはありません。しかしその代償として、私たちは地形を読み、方位を感じ取る能力を失いつつあります。
私たちが進化と呼んでいるものの多くは、実は人間が本来持っている機能を、外部の機械や道具に外注している状態に過ぎません。外注先が優秀になればなるほど、人間そのものの機能は縮小し、弱体化していく。これが「進化は退化である」と言える所以です。
あえて不便を選ぶという知性
では、私たちはどのようにしてこの退化にあがらえばよいのでしょうか。
そこで重要になるのが、「あえて便利なものに飛びつかない」という選択肢です。すべての便利な道具を否定する必要はありませんが、その便利さが自分のどの能力を奪おうとしているのかを自覚することは非常に重要です。
例えば、近所への買い物は車を使わずに歩いてみる。カッターをキーホルダーで繋ぐのではなく、自分の意識で定位置に戻す習慣をつける。あるいは、何でもすぐに検索する前に、一度自分の頭で答えを導き出そうとしてみる。
これらの行為は、効率という物差しで見れば「無駄」に見えるかもしれません。しかし、その不便さの中にこそ、脳や身体の機能を維持し、活性化させるための訓練が隠されています。
セルフコントロール、つまり自分を律するということは、言い換えれば「安易な便利さに流されない意志力」を持つことでもあります。
結論:人間としての機能を守るために
私たちは、文明の利器を享受しながらも、それに自分自身を明け渡してはいけません。100均の便利グッズも、最新のテクノロジーも、正しく使えば生活を豊かにするツールになります。
しかし、そのツールが「自分の能力を補完するもの」なのか、それとも「自分の能力を根こそぎ奪い、退化させるもの」なのかを、常に見極める必要があります。
これは便利だと感じた瞬間に、自問自答してみてください。 「その便利さと引き換えに、私は自分の中の何を眠らせようとしているだろうか?」
時には便利な道具を置き、自分の頭を使い、自分の足を使い、自分の注意力を働かせる。効率ばかりが重視される現代社会だからこそ、私たちはあえて「退化」という名の忍び寄る影に警戒し、自分の身体と精神を自分の手で磨き続けていかなければなりません。
その先にあるのは、道具に依存しきった脆弱な自分ではなく、文明を使いこなしながらも、自らの足でしっかりと立つことのできる、真に進化を遂げた人間の姿なのです。
あとがき
ここでは、私が経験した、カッターと車を例に紹介しました。
とくに私は便利グッズに飛びついてしまう傾向があります。
「おーこんな素晴らしいものがあったのか!!」と100円ショップで発狂してしまいそうになるほどです(笑)
また自分なりに工夫して、不便なものをなくすことを生き甲斐にしていたりします。
しかし、工夫に対して思考するのは良いですが、便利なものに乗っかってしまうことで大切なことを失っていることに気付いたわけです。。。
あなたにもそういうものはないですか?よろしければ、あなたの気付きを教えていただければ嬉しいです。
↓オヤジブログランキングは今?