日を追うごとに能登半島の被害が更に拡大しているのが報道され鎮痛な気持ちになります。

私たちはこうして形あるものとして存在しているので、それが永遠ではないとは分かっていても、突然の出来事には心は追いついていけません。
意思半ばで命を落とされた方々に心から哀悼の意を捧げたいと思います。

だからこそ、生きている私たちは自分を大切にし、頂いた命の意味に気付き活かしていく使命があると思います。

命を活かし使い切るためには努力も必要になってきます。
常に動いて動かして錆びないようにメンテナンスもしながら、楽しいことをずっとやり続けていこうではありませんか。

日本人の長寿は世界一ですが、それは寝たきりの人が多いからと言われています。死なせてくれない医療体制の果ての数値です。ヨーロッパのある国の医療のシステム下であれば、今の日本人は生きていないと言われます。

国民100歳時代と言われていますが、100歳がすごいのではなくて、100歳の中身を重要視することですよね。
それは、医療まかせでなく、個々の人が自分の身体そして命に自分のこととして自覚しどう向き合うか?でしょう。

人任せにしない、お医者さんが薬が治すのではない。意識を向けるとき自ら「治る力」は発揮されると医師の巽一郎先生が本で書かれています。
人の意思はその通りの現象を生み出す条件であるといつもお話ししているように、量子力学の計算式もちゃんとあって証明されていますね。

授かった命と神秘としか言いようのないものすごい働きをしてくれている自分の身体に感謝すると共に、私たちの一生はそれを最大限大切にしながら活かしていくことに尽きると思います。

私はよく認知症を無くしたい。と言っていますが、それだって可能だと思うのです。
自分の身体(脳も含め)の、授かったせっかくの能力を時の流れるままに放置しないこと。歳だから…と当たり前と決めつけないこと。
感謝と共に努力も必要ではないかなと思います。

もし人生100歳だとすると、50歳はまだ半ば、60歳でも40年あります。
人が生まれて40歳になるまでどれほど沢山のことができることか…。
その年数をただ時の流れるままに過ごすなんて勿体なさ過ぎです。

楽しめること、やりたいこと、夢中になれることを探求し続けて、能力と魂を活かし命を終えましょうよ。
認知症にもならずに…ね。

その間の魂はきっと大満足で良い発振で、周囲にも地球や宇宙にも平和な周波数で存在することでしょう。