子供の主治医との出会いから私は本当は医者になりたかったと思った。


ずっと心の奥底にはあったんだろうけど、気づかないふりをしてきた。


それに私は勉強に対しても努力をしなかったし、できなかった。

そう、逃げてきたんだと。


高校に入って、自分より頭の中良い人たちがたくさんいて、頑張っても自分の実力がどのくらいか見えてしまった。


それでもまだ1年の頃は旧帝大や医学部に行きたいな〜と思ったいたが、どんどん順位も下がり、いつの頃からか、諦めるという訳でもなくそんな道は考えられなくなっていった。


それでもまだ国立大学に入りたくて、それなりに勉強はしていたが、点数は伸びず、次第に国立大学も諦めかけていた。


そんな高3の夏、たまたまふと見たとある国立大学でのホームページAO入試があると書いてあり、私はそこにかけた。


奇跡的に合格し、某地方国立大学の工学部に入学した。


大学生活はそれなりに楽しく青春した。

そしてその時に出会った人と結婚もした。


けれど、離婚した。


就職はとあるメーカーに就職し、私は早く結婚がしたかったので、当時は仕事も正直腰掛け程度に考えていた。


仕事が嫌で結婚に逃げた。


子供が生まれたが、

けど離婚を切り出され、そこから相当揉めた。


私はいつも楽な方に逃げてばかりだな、とこの歳になって悔しくて自分に怒れて、そんな自分が嫌すぎて涙が出る。


私は勉強の努力もしなかったし、結局なにひとつなりたい自分になれていなくて、恥ずかしくて辛くて惨めになった。


もうこんな自分は嫌だ。


逃げる人生は嫌だと思った。