幸せってなんだろう? | ポチポチっと東西2面HIT発電所の記録

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ダイニングテーブルにクリスマスツリーを飾ってみました。

(何気に写っている周りの散らかったモノたちはあんまりみないでね)


そういえば、去年は飾ってなかったから2年ぶり・・・か。

いまはひとり身なんでなんとも言えないところもありますが、

天気や寒さはともかくとして、12月は1年中で一番好きな月だったりします。


なんとなく・・・なんですけどね。

実家の飯田あたりだときれいにオリオン座が見られることが多いし、流星群も見られることが多かった・・・とかそういうこともあるのかな。


単に気分の問題だろうけれど

『なんかいいことあるかも』

そういう気持ちになれるからかもしれません。

単に子ども時代はもうじきプレゼントとかもらえるし、長期休みがあるし、お年玉もらえるし・・・

とか、そういうのもあったかも。



さて、タイトルの話

離婚届だして1月半経ったのだけれど、このことをよく考えさせられます。


正直、今の僕は幸せだなってすごく思えます。

でも、元嫁は違っていた。


本質的に仲は悪くなかった。

というか嫁側からはベッタリな5年間だった。

他人目でみればむしろ、おしどり夫婦だったでしょう。


相手に対する思いやり・誠実さや責任感もそうだけれど、

その根本にある、『幸せに対する価値観の違い』が一番の違いだったと思うんです。


僕は田舎で多くの家族や近所さんに囲まれて育った。

今となっては資産という形でいえば田畑があるのでそれなりにある家ではあるのだが

決して裕福な家庭だったわけではない。


家族が多かったから自然と協力して生きていかなきゃって思わされるようになるし、家にいるときは甘えている部分はたくさんあったけれど、自然と『いつまでも甘えてちゃいけない』そう思うようになったわけで。



長くなるけれど、半生を振り返ると・・・


18、大学受験を失敗(ま、全然勉強してなかったけどさ)

甘えちゃイカンと思って1年新聞奨学生として東京に出た。(サリン事件の次の日)

1年後、いろいろあって、里心もついて地元に、たまたまあった1部上場の大手精密メーカーの関連会社(後に統廃合で本社へ合併された)中途社員募集に引っかかって実家に戻る。

3年ほど実家にいたが、自立しなきゃってのと、ひとりで生活したいと、職場を挟んで反対の地域、実家と1時間ほどのところにアパートを借りてひとり暮らし始める。

同じころ、会社のというか、自分のいる部署の将来に不安を感じ始めたのと、やっぱり大学は出ときたいと思って通信で大学に入る。

ITバブルがはじけた2002年まで6年ここで働く。

ITバブルがはじけたとき、一気に受注生産が落ち込み、人員削減の折、当時の部下だった派遣社員をひとりひとり選ばされてカットさせられる苦しみを味わう。(単に当時班長していた中で一番若かったのもあり、みんな選ぶのを逃げてやむなくそういう役がきただけ)

その直後、3ヶ月間の自宅待機という貴重な体験をする。

その待機期間明け 25の春 本来の対象者ではなく驚かれたが、希望退職扱いで退職。


そこから1年半 教育実習を終えて、教員免許と卒業が確定するまでそれまでやっていた大学通信に専念。この期間、それまでの蓄えと少しのバイトで賄う。


で、卒業と教員免許確定したところで、職探しして、地元の1部上場の建設会社に就職

半年マンションFCの本部。

一族企業の体質・土建屋の体質に違和感を感じたのと、ほかの事情で退職して・・・


ここからが本当に大変だった。

東京方面に出たり、地元に戻ったり

仕事になかなかありつけず、ありつけても犯罪まがいの先物会社とか。。。

地元だと福祉関係で生活指導員として採用されて入ってみたら、介護師や看護師、派閥というかイジメの温床な異常に離職率の高い職場で、力及ばす、職場環境の改善はできずボイコットされる有様。

地域マネージャーにはものすごく謝られ、訪問入浴とかへ異動も提案されたが、仕方なく退職。

それから、個人経営のOA機器等の販売会社に入って飛び込み営業。

飛び込み営業の中で、地元の惨状を痛感。


こうして、30歳すぎたころ

公務員にでもなれない限り、地元での安定した就職は難しいと、見切りをつけ

東海地方に本拠がある世界最大手の自動車メーカーの期間工になる。

このころ自動車業界は好調で、なかなか難しいが社員登用もあったし、3年フル満了で認められた人間は関連会社へ紹介という形で就職という制度もはじまってきていた。

だから、蓄えも底を尽きかけてきていたし、無料で寮まで提供されるこれに救いを求めた。

同時に資格の勉強をして、ここからの就職がダメなら資格でなんとかって考えた。


1年後、当時の上司から社員登用に対しての推薦してもらえるようにとりはかろうかと相談を受ける

(希望すれば登用試験は半年ごと受験できるが、登用されるには推薦がないと極めて難しい)

その数ヶ月後、夏になって、いわゆるリーマンショックが起こり、基本、期間工の契約更新はなくなる。


このとき特例として、認められた人間は本来3年満了時のみにあった紹介制度が適用

その中から今の会社を選んで 面接→入社 今に至る


そんなこんなで東海地方にきて5年半 6年近くになります。


今となってはいい思い出だけど、27歳ころからは苦闘の連続だったんです。

だから、今はすごく、穏やかで安定していてすごく幸せって思うのです。



若いころの希望とか抱いていた夢との差はともかく、

職にありつけ、飯に困らず、家まである。

なにもかも感謝だと思うのだわさ。


こんな生い立ちや人生だからこそ、自分でやっていかなきゃならないことに対する責任感を感じてたし、嫁や親に対しても、できる範囲でなんとかしなきゃって思うようになってきたわけで。


ちなみに、結婚して家を買ったときは親とかなり衝突してます。


『世の中こんなだから、先の先まではわからないけれど、生きるためこちらに当分居を構える覚悟』

はっきりこういう話をして、納得させたんです。

実家には5つ下の弟が幸いなことに職にありつけて同居していたし。


他のことでもあったと思うけれど

このときのやり取りを嫁も見ていたはずなのに・・・


嫁との差が出たのは、この 『幸せの価値観の差』 これに他ならないと思います。


最後の最後まで嫁は完全他力のお客様、ジャイアンだったんですね。

世の中嫌なこと、辛いことだらけ。でも負けてちゃいけない。

依存しあう寄り添いあって生きていくこと自体は悪くなかったと思うけれど、依存しすぎ。他力すぎ。

なにより、人を平気で踏みにじり感謝の心がない。そこなんですよ。


基本、僕はこんなだから、呑気でズボラで甘かったと思います。

尽くすこと、アテにされること自体はさほど苦じゃなかったし。

たまに『いいかげんにしろ!!!』 これだったんです。


嫁は裕福な家庭で、まともにずっと働けたことがない。

で、平気で金をちらつかせて甘やかす。気分屋でわが道をいく親。

平気で嘘尽くし、甘えればなんでもなんとかなるって育ってきてた。

問題はここなんだと思ってます。


嫁には 『恋と愛は違う。恋はいずれ必ず冷める。でも愛情は育むことができる』と常々言ってました。


別にいいんです。

いつも一緒にいなくても。

仕事や用事、趣味などでバラバラなことだってあるでしょう。


そりゃ寂しいことはあるでしょう。

肝心なときに集まれること、協力できること、心の拠り所であること。


これが一番大切なことなんじゃないかなと思うのです。

冷静に考えて嫁には足の引っ張り合いをさせられていたのは事実です。

戦力にはほとんどならなしし、知り拭いばっか。

家の中では下品極まりないのに、外では気位ばかり高くて平気で外で見栄を張るし、嘘をつく(汗)


僕は元々、雑だし結構足元のおぼつかない自由な浪費家な面もあるんです。

ただ、生きてきた中で

『責任の為に辛抱する』『やりたいことの為に節制する。倹約する』

これだけなんです。

ケチケチして金ためる趣味なんか一切ない。

さっさと生活を安定させてローンとかのメド立てて、今後いろいろする余裕をつくっておきたいだけ。


それだけなんだよ。

責任と、将来の不安に対する備え、あとは楽しんで生きるための余裕

『やりたいからやる』じゃなくて

『やりたいことをバランスとってやるためにはどうしていったらいいか』

これだけなんだよ。


別に人それぞれこだわりはあって当然だろうし、無理に生き方を強要したいと思わない。

だけど、やらないといけないことはあるし、守らなきゃいけない家族がある。


僕の場合、根っこ以外、自分がなくて簡単に折れて環境に合わせてしまう。

人の中で生きていくのに大切なのは

ズバリ『合わせること』 こう思うもん。



すごく長くなったけれど、とりとめのない話だったけれど、正直な心のうちです。



嫁のここが

他人で言わせるところの『B型女』と言われてしまうと、そうなのかもしれません。


なかなか、このことをうまく話せるか、伝えられるか、わかりあえるかわかりませんが、


ここ。

ここの肝を共感できる方と一緒にやっていきたいなと願ってます。


『幸せってなんだろな』


結局は心の持ちよう。感謝の気持ちの度合い。

ほんのささやかな心のつながり、温かさ。感謝・・・


何が起こるか、どうなっていくか読めないわからない世の中だからこそ、難しいことなんてどうでもいい。

伝え方もどうでもいい。


この根っこだけです。