以前にも書いたかもしれませんが、ここ2〜3年で新規にFIAT500のオーナーになる人が増えている気がしています。
実際には降りる人も多くいて、トータルでの500オーナーの数は減っているのかもしれないし、単にSNSでの発信が増えているだけなのしれませんが、若い年齢層も増えている印象もあり、嬉しく感じています。
さてそんなFIAT500ですが、乗りたい持ちたい思いは同じでも、そこにある思い入れは人それぞれ。
23年目が始まるにあたり、自分はどうだったかも改めて振り返り、そんなことをツラツラと考えてみた次第です。
ということで今回は、インチキな振り返りだった去年・一昨年とは少し違う趣きで、
23年目スタート
~人それぞれの選択、それぞれの500~
です。
遡ること二十数年前。
自動車が楽に運転できるようにどんどん進化していくものの、過渡期のパワステや3速オートマのどこか作られた操作が、自分の感覚とずれていくような違和感を覚え始め、もっと単純で純粋に走るクルマが欲しいという気持ちが強くなっていた。
そんなこともあり、それを体感できるであろう小さく軽く小排気量で、小気味よく走りそうな古いライトウェイトオープン2シーターに憧れていたのです。
が、当初はスペック上ではあまりにも非力過ぎて眼中になかったFIAT500だった筈なのに、結果的に選んでしまったのは、その小さく丸く可愛らしくさえも見える外観は表層だけのデザインではなく、機能やキャパシティー、コストという内側からも作り込まれたものだとわかり、そんな設計姿勢や歴史的背景の概要を知ったことで、熱病に侵されたが如くに惚れ込んでしまったからでした。
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詳しくは”チンクエチェント物語〜リタ〜ンズ”で。
しかも試乗してみたら、想像をはるかに超えて走る走る。
そう、笑ってしまうほどにww。
で、
「これだ!」
となった次第です。
今では500の無い日常など考えられないほどに自身の生活に浸透してしまったのは、その時味わった楽しさが、終わることなく続いているからに他ならないからと言っても過言ではないでしょう。
2015'
FIAT500 ABARTH
全国ミーティングの景色。
居並ぶ個性豊かな500達。
2019'
500乗りさん達とプチミーティング。
どれひとつとして同じ状態、
乗り味の個体は無いのがまた面白い。
そうして500を手にしてから感じる旧車という存在に対する認識は、古い機械全般に言える様に、今の技術力には及ぶべくもなく、手間がかかる部分もあるものの、実はとてもよく考えられてできており、シンプルで修理しやすいが故に時代を超えて長く存在できるものであるというイメージです。
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詳しくは”チンクエチェント物語”で。
とまぁ私の場合はそんな感じですが、どんな理由でどんなクルマを選ぶかは、人それぞれなのは当然のこと。
□最新のハイテク車が好き。
□旧車の乗り味が好き。
□スポーツカーが好き。
□SUVが好き。
□大型車が好き。
□小型車が好き。
□家族が多いのでミニバンがよい。
□快適であれば車種にはこだわらない。
等々、使い勝手も含めて様々です。
旧車の持ち方は、
□資産、投資目的として持つ。
□とことんオリジナルにこだわって持つ。
□レストアなど機械弄りが好きで持つ。
□休日に楽しむ趣味車として持つ。
□実用車として持つ。
□それらの複合として持つ。
などもあるし、その付き合い方も、
□同じ想いのクルマ好きと繋がりたい。
□見せびらかしたい。
□いつまでも新車の様でありたい。
□年代に見合った”味”を保ちたい。
□クルマのために雨の日は乗らない。
□錆びるとわかっていても雨でも乗る。
等々。
これらは好みや生活スタイル、予算の問題などで本当に千差万別、十人十色、三者三様。
なので、
「オリジナルを変更するのは一切認めない。」
とか
「機械を弄れないなら乗る資格がない。」
などと原理主義的に世界感を押し付けたり、自分と違う趣旨の持ち方や付き合い方を否定する気は毛頭なく、個人的には人それぞれが好きな様に楽しめばそれで良いと思っています。
もちろんオリジナルの状態を大切にすることはとても素晴らしい!ことだと思うし、機械はある程度弄れれば、やはりそれに越したことはありません。
しかしそれはそうしたい人、そうできる人がすれば良いのです。
オリジナルのままでは無いけれども(私のも購入当初からすでにオリジナルではない)、乗っている人たちや、全く弄れなくてもちゃんと面倒をみてくれる主治医のおかげで故障も少なく、好きで楽しく、そして長く乗っている人たちも見ていると、価値観としての
「これこそが正しくてそれ以外は駄目だ。」
というような、わざわざ反目し合う二項対立や妙なレッテルなどはどうでもよく、こだわりなんぞはそれぞれの事情なのだから、多様であって当然だろう思えるのです。
もちろん、自分のそんな考えを人に押し付ける気もさらさらありません。
マナーや良識があればそれで良く、自分の立ち位置は自分で決め、居場所は自分で選べば良いのです。
そんな私にとってのFIAT500は、実用車でありつつ趣味であるとも言えるし、そもそも500しか持っていないので必要とあらば雨でも雪でも乗る、前述のとおりあって当たり前の存在。
自分の知識と拙い技量ではできる範囲は限られるけど、ある程度は自身でメンテナンスを行い、日常的に500の調子を肌で感じることで、走行不能に陥るトラブルは極力避けたいという気持ちで今も乗っています。
それこそ過去にも何度か書きましたが、私はメカニズムに特別詳しいわけではありません。
むしろできないことの方が多いです。
今までの500からの様々な
「おまえ…そこはもっと面倒みてくれよ。」
という要望と、主治医からの
「そこはこうしておかなきゃ駄目なんだよ。」
という教育的指導により、必要に迫られて今の状態にあるだけです。
調整しているんだか
壊しているんだか…。
変な不調で悩まされたばかりだし
大きなことは全く言えませんw。
色々と困ったこともあったけれど、それでも一度だけ主治医の500に牽引してもらった以外、辛うじて自走でドック入りできているのは、なんと言っても主治医であるSさんのおかげです。
主治医のところで
メンテナンス中のMEX号。
手前は同ガレージ出身、
スシオさん号。
また、良くあると言われるドライブシャフトのスプライン磨耗による空回りや、どういうわけか最近立て続けに耳にした、
「発電機側のプーリーが砕け散った!」
とか、
「ファンがバラけて木っ端微塵に!」
(お…恐ろしいじゃないか!)
というトラブルの経験がないのも幸いなのでしょう。
それにここ数年は、楽しく気の良い友人たちに、あれこれ助けられもいますしね。
そんな皆さんには深く深く感謝しております。
2020'
大阪にて。
ちゃんとしていれば
どこまででも走っていける!
と思える丈夫さは
やはり大衆車ならではでしょう。
現代の車事情から見れば、FIAT500はその見た目と小ささから想像以上に目立ってしまうけれど、気取らず普段着な大衆車なのにこれだけの個性を放ってしまうのは、イタリア人の成せる技でしょうか。
フォーマルスーツを着込んで(夏にそれは無理!)乗っても違和感ないし、本当に不思議なクルマです。
今後、年齢や化石燃料を取り巻く社会情勢などで、いつまで乗り続けることができるのかはわかりませんが、好きなクルマや乗ってみたいと思うクルマは多々あれど、所有して日常的に使いたいとなると、未だにこんなにも楽しい500があればそれで良いかな…などと思えるのは、よほど自分の身の丈・性分に合っていたのでしょうね。
ということでまだまだ色々とありそうですが、23年目、スタートです。
長々と面倒臭いことを書きましたが、要は、
「500が好きだ。」
「調子よく、そして楽しく乗れるならそれでいいじゃないか!」
という、二行で終わる話しですw。
涼しくなったら
また集まりたいですね^^。
23年目スタート~人それぞれの選択、それぞれの500~_END