ゼロの昭和ネタ。
66年前の今日、1958年(昭和33年)2月24日は映画でも有名になった、南極物語のタロとジロを含む樺太犬(カラフト犬)15頭が、南極に置き去りにされた日です。
南極物語(1983年公開)は高倉健主演の映画にもなって、タロとジロの名前が再び世に知らされましたね。
昭和31年(1956) 11月8日、南極観測船宗谷が東京湾を出港して南極に向かいました。
随伴する海鷹丸より見た、「暴風圏」で悪戦苦闘する南極観測船宗谷。
船の科学館よりコピペ。
1月29日、第 1 次隊南極地域観測隊が南極のオングル島に上陸した。
ここを「昭和基地」と命名、南極に高々と日の丸の旗が掲げられました。
遠い祖国日本でも、号外が出され、その快挙に国中が沸きあがったのです。
しかし2月14日、天候が悪化し、南極観測船宗谷が氷海脱出も危うくなった。
永田隊長から、一旦外洋に出てから天候が回復しだい再進入する計画なので3名は宗谷に戻るように指示したが、3名は第1次隊が残した食料と樺太犬がいるので再進入の計画があるならばこのまま越冬準備を続けたい、万一再進入できなくても3名での越冬も十分可能であることを強く訴えた。
正午、隊長からは次のような最後通告が戻ってきた。
「3名を収容して外洋を出るのには、気象的にも空輸の可能性は後1便しかない」
越冬には樺太犬が必要なので野犬化したり、共食いしたりしないよう、必ず鎖につないで、首輪を強く絞めて帰船してほしいと命令。
3人は南極生まれの子犬8頭とその母犬のシロ子はなんとしても連れ帰ることにした。
他の15頭の犬の食料2か月分を分配した後、迎えに来た昭和号(DH-2)に子犬8頭とシロ子と共に昭和号に乗り込んだが、荷重超過で機は離陸できなかった。
不時着用の燃料と食料を降ろすという森松整備士の機転によって帰船することができたが、15頭の犬は首輪で昭和基地付近につながれたままにされた。
残された犬達の生存は絶望視され,この犬達を置き去りにしたことにより、観測隊は国民から激しい非難を浴びることとなった。
そして約一年後、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存していることが確認される。
着陸すると駆けてきて操縦士に寄ってきたが、個体の判別がつかなかった。
急遽、第1次越冬隊で犬係だった北村氏が次の機で基地に向かうことになった。
犬達は北村に対しても警戒していたが、北村は2頭の中の1頭の前足の先が白いのを認め、「ジロ」ではないかと考え名前を呼んだところ反応して尻尾を振った。
もう1頭も「タロ」との発声に反応したことから、この兄弟犬が生存していたことが確認されたのである。
タロとジロが発見された9年後の1968年2月、南極。日本南極地域観測隊・昭和基地近くで、一頭の樺太犬(カラフト犬)の遺体が発見された。
この情報は一般には知らされず、半世紀たった現在も封印されている。
なぜ、これまでその存在が明らかにされなかったのか?
はたして、犬の正体は? あのタロとジロの奇跡から、第一次南極越冬隊の「犬係」で、タロとジロとの再会を果たした唯一の隊員である北村泰一氏が、謎多き“第三の犬"について語り始める……。
南極第一次越冬隊・最後の証人が明かす真実の南極物語。
全く報道されなかったこの事実について、南極第一次越冬隊最後の生き証人となった北村泰一さんと、元新聞記者の嘉悦洋さんが検証を試みる。
87歳の北村泰一さんは高齢者施設に入居されており、取材開始時には記憶が覚束ないところもあったという。
しかし、「犬たちが南極でどう生き、死んだのか、すべてを証言しますから、それを記録に残して欲しいのです」「タロとジロ以外は今もなお、名もなき存在のままです」
彼らが南極で苦しんだり喜んだりしたすべての真実を、世の中に知ってもらいたい。
そうでなければ、私は死んでも死にきれないという一念で長期に渡る取材に臨んだという。
北村青年の南極行きに懸ける強い意志と行動、共に過ごす中で培われた犬達への信頼と尊敬、そして南極を離れる際に“逃げられないように首輪をいつもよりひとつ縮め、きつく締めた”こと。
今更、賛否について語るつもりはない。
だが本書を読むことで、北村氏が伝えたかった、犬たちのソリ犬としての誇りを、確かに受け取ることができるはずです。
1958年2月、日本の南極地域観測隊は昭和基地で第1次越冬隊と第2次越冬隊の交代作業を進めていた。
ところが、あまりの悪天候のため第2次越冬は急きょ中止となり、関係者全員が南極から脱出した。
隊員たちと苦楽を共にし、重いそりを引いて貢献してきた15匹の樺太犬は、救出する余裕がなく、やむなく基地に残された。
最後の隊員が離れるとき、不穏な空気を察したのか、犬たちは一斉に「ウオ~ン」とほえたという。
「『もう犬たちは終わりだ』と絶望的になりました」。
第1次隊でオーロラ観測を担う一方、犬係として訓練を担当した北村さんは振り返る。
その後、北村さんは第3次隊員として再び南極に向かった。
「せめて手厚く葬ってあげたい。それだけを願って参加したのです」
タロ、ジロと奇跡の再会「雪上を転げ回った」
59年1月、基地に到着した隊員たちは驚きの声を上げた。鎖から離れ、極寒の地で2匹が生き延びていたのだ。
どの犬なのか、北村さんは分からず、残した犬の名を順に呼ぶが反応がない。「私のことを忘れてしまったのか」。1年前はまだ幼かったタロとジロの名が残った。
「タロ」。そう声を掛けると1匹の尻尾がぴくりと動いた。「タロだったのか」。もう1匹にも呼び掛けた。「おまえはジロか」。すると右の前足を前方に上げた。ジロの癖だった。
北村さんは甘える2匹と南極の雪上を転げ回った。
15匹のうち、ほかの7匹は鎖につながれたまま氷雪に埋もれて死んでいた。
あと6匹の姿はなかった。「鎖につながれて息絶えたり、行方不明になったりした犬たちには本当に申し訳なかった」。
北村さんには今も自責の念がこみ上げる。
親代わりの「リキ」2匹を守り力尽きた?
タロとジロの生還から9年後の68年、昭和基地のそばの解けた雪の中から、1匹の樺太犬の死骸が見つかった。
北村さんにも連絡があった。
タロ、ジロ以外にも鎖から離れ、一時は基地周辺で生きていた「第3の犬」が存在したことになる。
灰色で短毛。特徴から、行方不明6匹のうち「リキ」と思われた。
第1次越冬中、幼かったタロとジロに自分の餌を与え、実の親のように片時も離れず2匹の面倒を見ていた姿が北村さんの脳裏に焼き付いている。
「リキは鎖から逃れた他の5匹の犬と同様、どこにでも行けた。
しかし自力では食料を得られそうにない幼いタロとジロを見捨てて逃げることができず、一緒に基地に残ったのではないか」「若いタロ、ジロと違い7歳の最年長だったリキは徐々に体力を失い、力尽きてしまったのだろう」
リキの確認からは今年で50年。北村さんは「タロとジロのことは多くの人が知っているが、リキのことを知る人は少ない。
リキも同じように極寒の昭和基地近くで必死に頑張って生きようとしたことを、多くの人に知ってほしい」と語った。