昭和ネタよりチョット古い幕末~明治ネタ。

 

 

 

実在の人物で、千葉佐那・千葉佐那子・千葉さな子とも呼ばれています。

 

私は若いころ、原作 武田鉄矢 の漫画お~い! 竜馬」 全23巻 を読んで千葉佐那の大ファンになりました(笑)

 

 

この人の生き方が大好きでね、高知県立坂本龍馬記念館などにも足を運びましたが、千葉佐那の資料は殆ど皆無ですが、私なりに色々本を読んだり資料を集めていましたので紹介します。

 

 

 

二年後の2026年は、千葉佐那が亡くなってから130年目の節目になります。
二年後にこのブログをアップするつもりでしたが、ほっぺちゃんのブログなので続けたい思いもありますが、どうも二年先までブログを更新続ける自信がないので早めにアップしました(汗)

 

長くなるのでシリーズ3回に分けています。

是非皆さんも、読んでファンになって頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

北辰一刀流流祖、千葉周作(漫画 赤胴鈴之助のモデルになった人)の弟、千葉定吉道場の女剣士佐那。

 

佐那には心に決めた男性があった。

土佐から入門した坂本龍馬。

だが彼は勤王思想にめざめて京に去り、おりょうと結婚してしまう。

そしてその不慮の死。

 

 

私は坂本龍馬とおりょうは、好きじゃないです。

坂本龍馬は結局、千葉佐那を捨てたから。

おりょうは、千葉佐那の悪口を言いふらしていたから。

 

 

 

 

だが明治になっても、佐那は言い続けた。「私は坂本龍馬の婚約者でした」

桶町千葉道場の裕福な家庭で育ったにもかかわらず、薄幸な生涯をおくった千葉佐那。

若くして亡くなった姉に代わり、その子供を養子にもらい「龍太」という名も付けています。

 

 

 

30年以上前の古い本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌やネットでは、千葉佐那と紹介されている画像がありますが、全て間違いです。

千葉佐那の画像は現存していません。

 

 

雑誌やネット上で千葉佐那と評されている写真。

この写真は1800年代の芸者で美容師の斉藤きち。

『唐人お吉』の愛称で親しまれている。

きち19歳の時に撮影。

 

 

 

 

 

この写真は、日本で初めて西洋医学を専門とした楠本イネの娘・高子。

これは明治5年(1872)に撮影されたもので、高子は20歳。

日本初の女性産科医です。

 

 

 

 

シリーズ②は千葉佐那自身の証言談話がありますので乞うご期待。