多趣味のゼロです。
かってギネスブックにも掲載され、一躍有名になった226歳錦鯉の花子に関して新説がでました。
226歳の世界最高寿命は間違いだったという新説です。
月間錦鯉5月号
左側に月刊ヒストリア
鯉の年齢「200歳」の伝説はなぜ生まれたのか
三ページに渡って述べられています。
新説では1970年代に報道された鱗の200歳オーバーの錦鯉の年齢の勘違いした理由を、三ページに渡って検証されているが簡潔に言い表せれば。
①鱗の隆起線1本を、樹木の年輪1本と同じと勘違いした。
②鯉も鱗も死ぬまで成長すると勘違いした。
学問的に受け入れられている錦鯉の最高寿命は50歳以上とあり、錦鯉の花子の226歳は否定される。
以下は私が
岐阜県加茂郡白川村、越原家の池で飼われていた錦鯉の花子がいました。
宝暦元年1751年生まれ、1977年に永眠。
年齢は226歳で世界で一番長生きした錦鯉の花子。
宝歴元年とはテレビの暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗や江戸町奉行の大岡忠相の時代です。
この時代に生まれた錦鯉、ビックリ凄い長生きです。
1983年にギネスブックに認定されています。
越原家では7世代に渡り、花子を含む錦鯉の面倒を見ていたそうです。
花子を所有していた白川村の越原家は、何匹もの錦鯉を飼育している愛好家でした、
全日本錦鯉振興会では、越原家の池で1971年時点で花子に次ぐ150歳以上高齢の鯉を5匹紹介しています。
1964年に、名古屋女子大学の広正義さんにより採取した鱗の年輪で(1751)年生まれと確定され226歳でした。
2019年8月5日に世界最高寿命 錦鯉の花子を紹介したが今回はもうチョイ詳しく説明する。
岐阜県加茂郡白川村、越原家の池で飼われていた錦鯉の花子がいた。
宝暦元年1751年生まれ、1977年(昭和52年)に永眠。
年齢は226歳、世界で一番長生きした錦鯉の花子。
宝暦元年とは暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗が亡くなった年です。
花子が永眠した6年後の1983年(昭和58年)にギネスブックに認定されている。
江戸時代から越原家7世代に渡って飼育され、激動の時代を生き延びた花子。
約2世紀にも渡る花子の生存期間は、明治から令和までの期間よりも長い。
花子のギネス記録は現在でも更新されていない。
花子のデータ
【体長】73㎝
【体重】6.75㎏
【推定生年】宝暦元年(1751年)年輪調査による
【死亡年】1977年7月
【推定年齢】226歳
【居住地】岐阜県白川村、名古屋女子大学学長、越原公明氏の自宅(実家)の池
(全日本錦鯉振興会 錦鯉の紹介から抜粋)
越原公明氏と花子
現在では錦鯉飼育に必須といわれている水流やエアーレーションはないようにみえる
当時、最高齢(220歳)だった花子以下の鯉は、173歳の葵(あおい)を二番手とし、158歳だった力(ちから)、144歳の三太などがいました。平均を大幅に超える長い寿命の鯉がこれほど集まった池は、当時でも珍しかったでしょう。
1964年に、名古屋女子大学の広正義教授(生物学の権威)により採取した鱗の年輪で(1751)年生まれと確定された。
中央に座っておられるのが、広正義教授です。
越原家の池の中の花子
池の大きさは不明であるが、個人の自宅の池だからそれほど大きなものではないだろう。
広正義教授と、今回の高梨直治さんの新説、果たしてどちらが正しいのでしょうかね?
ただ越原家では7世代に渡り、錦鯉の面倒を見ていたことは事実でしょう。