正直にお話をすすめてゆきましょう。
あと 何回 夏を迎えられるか。
あと何回 原爆忌を数えられるか
あと 何回 8月15日を過ごせるか。
切実に感じる夏です。
勉強して蓄積が進むと
太平洋戦争がなんだかなあ。
という考えが進みます。
当時の総理大臣である鈴木貫太郎は、
ポツダム宣言に対しての対応が原爆投下の政治的なトリガーを引いたことを終生、悔やんだと伝わります。
1945年5月のドイツ降伏で、戦争する理由がないと終戦してしまえばよかっただけです。
広島も長崎もなかった。
ソヴェトの残虐冷酷で民間人が苛まれることもなかった。
もっともっといいましょう。
1945年8月に忍び難きを忍び
というなら
1941年9月に
忍びましょう。
と言えなかった日本帝国のプロセスにあまりにも鈍感なのではないかと思うのです。
なんだかわからないけど3兆円つぎ込んだオリンピック
とか。やっぱりプロセスを隠蔽する。
お国のためにと散った命と特攻隊員を賛美するけど、それは嘘。
戦争しなけりゃすんだ話です。
命を散らせる命令を下したお偉いさんはこのほとんど畳の上だけで往生しているじゃありませんか。
ここで考えてみましょう。
戦争に勝つ
日本の戦争の負け方から逆算すると
海軍を殲滅できるか→殲滅されました。
都市間の往来は空襲の度に交通は寸断されました。
瀬戸内海や関門海峡さえB 29 の投下する機雷で船舶が動けません、
日中戦争以降食料品も配給制でやりくりして民間人の生活が深刻化して
一家の大黒柱が徴兵されて家計が破綻に瀕する。
1945年秋には塩さえ国内配給が難しい。
都市部でも計画停電が起こる。
それではこうしたことを相手国にできたでしょうか。
ワシントンとサンフランシスコの都市間交通を遮断できますか→できません。
B29の製造工場は、働く人のためのカフェテリアが完備されてはらぺこな労働者なんていないのです。
働く女性のために工場には託児施設も完備して安心です。
日本のように都市の空襲からの学童疎開なんてなかったのです。
航空母艦は小型の物なら毎週一隻のペースで進水します。
B29の乗員のための機銃の操作マニュアルを拝見したことがありますが、拙者でも2週間くらいの研修でマスターできるのでは?というくらい充実の中身です。
挙句。
原子爆弾開発のハイペースを目の当たりにしますと。
1941年でもやめておこうと言えなかった。
この国民や国家への背信行為の凄まじさに絶句します。
所得を申告しない。
納税の義務から逃げる。
刑事訴追されないから犯罪者ではない。
うすらとぼけるえらい方々を目の当たりにして。
やっぱりだめだなあ。
それは、思う過ぎでしょうか。
400万人近くを不覚悟で犠牲にしても変われなかった。
わざわざ国家と国民を衰退させて外国に委ねる結果になったけど。
それでもあの人たちは、あの戦争を始めて、頑張ろうと国民の生命と財産と未来を粉砕したあの人たちは、愛国者なのだろうか。
あと何回か迎える原爆忌に考えるのです。
より良い未来のために。