同じバレエのクラスに出ていた東洋系の若い女性が、
クラスが終わった後、
人目もはばからず、片手で持ったスマホに向かって、
首をかしげてくねっとしてみたりと、
「レッスン後のかわいい私」をテーマとした自撮り大会を繰り広げている姿を見て、
はーーーー、なんだかなー、人類もとうとう恥じらいすら失いつつあるのか、と、
何ともビミョーな絶望感でいっぱいになる一幕があった。
50の自称大和なでしこのおばちゃんには
人前であのような無様な姿を曝け出すことに
一抹の恥ずかしさも感じないその思考回路というか感覚が
もう宇宙人にしか思えなかった。
そんな思いが一瞬頭の中でぐるぐる渦巻いてしまったのだが、
そこから一歩引いたときに、
そもそもあれを「無様」、「恥ずかしい」こと、と判断するのは、
あくまでも私の価値観が基軸となっているからだと気が付き、
はっとした。
ああいうメイキングシーンみたいなのは人目を忍んでこっそりやるべきことであり、
外ではクールに振舞うのが、人としての品格・
あれは「無様」で「恥ずかしい」ことになるのであって、
そういう価値観を持っていない彼女のような人にしてみれば
え?品??なにそれ?となるのではないか、と。
彼女とて、
休憩エリアの一角で勝手にひとりでくねくねポーズをとっていただ
どうせ、インスタとかTikTokに投稿するものなんだから、
世間様に投稿を見られるのも、
それを撮っているところを見られるのも同じだという感覚なのかもしれない。
だからそれは、無様でも恥ずかしいことでもないというわけだ
電車の中でファンデを塗りたくるところからフルメイクを始める女性たち
(
あの真っ白なシートを顔に載せて、
公共の場で爪をやすりで研ぐ女性たち
(
「ルームウェア」もしくは「パジャマ」に分類されるべき、
そういう人たちも、おそらく公開型自撮り女子と同類だろう。
こういう類の人を見ると
内と外の区別がなさすぎる、
レッドカードを出したい衝動に駆られるのだが、
もし仮にそうしたところで、
別に他人に迷惑かけてるわけじゃない、だったら何が悪い、
日本では、品の良さ、品位、きちんとしていること、は、
ロンドンに住んで、かくなる人々をしょっちゅう目にしていると、
果たして、本当にそうなのか、
そもそも品とは何なのかすらわからなくなってくる。
「品」なんて、所詮は各人の頭の中にしか存在しない
ひとつの価値
ただ、個人的には、自分の定義するところの「品」、「品格」
目指すはちょっと気品漂うばばあである。
おほほほ、って笑ったり、
紅茶のことを「お紅茶」とか言うのは無理だけど。