妻momoです。

やはりお知らせしなければと…。

 

夫motoです。という書き出しのブログは書けなくなりました。

すい臓癌4b、手術・放射線不可と分かってから2年6ヶ月。とってもよく頑張ってくれた夫は永眠いたしました。

12月21日、早朝でした。私と子ども達が見守るなか、静かに旅立ちました。62歳でした。

ブログでたくさんの方に励まされ、勇気をもらい、すい臓癌と共存しながら5年後に元気でいることをめざしていました。

 

最後は、多臓器不全。門脈、動脈を取り巻いた腫瘍が血液の流れをせき止め、肝臓に血液が行かなくなりました。肝臓が小さくなっていました。肝臓に行けない血液は、染み出して、腹水となりました。腹水の中に癌細胞はほとんど無かったとのこと。肝臓の機能不全に伴い、腎臓副腎の働きも落ちていったようです。ミネラルのバランスが崩れ、カリウムが高くなり、アンモニアで意識障害が起こりました。

 

12月は夫にとって苦しい闘病期間でした。身体の不快感が取りきれず、合う薬もみつからずでした。でも、最後まで弱音を吐かず、希望も失わず、頑張ってくれました。漢方薬を飲み、氣を当ててもらい、落ちた筋肉を取り戻そうとスクワットもしていました。

最後の三日間は会話が出来ず、心残りです。でも、耳元でたくさん話しかけたのが届いていると思います。

 

遺影の写真はふっくらとして、満面の笑みです。遠くを見て幸せそうに笑っています。これから軽くなった身体でやりたかったことをたくさんするのでしょう。一緒にしたいことがたくさんあるのに残念です。でも、待っててね。次は、一緒に世界を駆けめぐりましょう。

 

まだまだ心の整理も出来ず、涙に暮れる毎日です。一生懸命頑張ったのに。良いと思うことはみんなしたのに。たどり着けなかった方法があったのかもしれません。癌と共存という目標が2年半でとぎれてしまいました。

 

生前の夫のメモに、「こんな状態でよく頑張っていると思う。生きていることに感謝。」とありました。もっともっと生きたかったんだと思います。私も一緒に生きたかった。この2年2ヶ月はほぼ24時間一緒の生活でした。仕事で忙しかった時の分と、これからの分も一緒にいてくれたのかもしれません。

やっぱり声が聞きたいな。温かい体に触れていたいな。呼んでも返事してくれないから夫の携帯のラインにメッセージを送ります。読んでくれているかな。きっとどこかで私を見てくれていると思うんだけど。

 

いろいろ工夫して頑張っていらっしゃる同志の皆さん、今後の治療がうまくいくことを毎日一生懸命祈っています。