珍しく五反田から大渋滞で

道のりを河西さんとのあれこれを

(そんなに親しくさせて頂いていたわけではないのですが)

息子と語り合う時間を貰えました。

業界外から入った私にとっては

あのバーニングの宣伝部長でいらしたので

ちょっと怖がってもいたのですが、

お逢いする折節でとっても優しくしてくださって

8月の私共マナセプロダクションの75周年感謝の会にも

周防社長の代理でいらしてくださいました。

音事協の方々は河西さんが重い病状とご存じでいらして

何人もの方に河西さんがみえてましたね!お会いできて良かった!と

伺いました。とても痩せていらっしゃって。

そんな病状でもいらしてくださったのにも感謝でした。

会の後10日ほど経ってお礼に会社に伺った時も

周防さんにはお目にかかれなかったけれど、河西さんが対応してくださって。

本当にお仕事がお好きで全身で向かっていらっしゃるのだなと

最近身体をいたわり過ぎの自分を反省しておりました。

奥様の会葬御礼の暖かいお言葉にもお仕事がお好きでお酒もスポーツも海もお好きだった

河西さんの人となりを今更ですがとっても身近に感じました。

見事な宣伝マンとしての人生に藤あや子さんのCDプロデュースをなさったという

制作マンとしての人生にも『喝采』を送らせていただきます。

充分に時間を見て伺ったのにバタバタの到着で駐車場もない?かとおもわれたのに

一台だけ空いていますと通して頂いて、

お寺では受付からベルトコンベアーに乗せられたようにお焼香まで。

遺影の前でお焼香したひと時が夢の一瞬に感じるほど短くて。

申し訳なく思いましたが、河西さんが背中を押してくださったように不思議で

有難く、ご冥福を心から祈っております。