曾祖父のジョセフ・ヒギンボサムは

イギリスはマンチェスター出身で紡績で財を成し

海外に発展しようとバク今つの頃日本にわたってきて

牧野キンと結婚、横浜で商社勤務の後

オハラ・アンド・ヒギンボサム商会を設立し

4男1女を得て事業も発展させました。

譲(ハワイへ左から2番目)・映次郎(祖父右端)・

金三郎(ハワイ報知左端)の男3兄弟と

メイ(中央)は当時珍しい女性のキャリアウーマンで

藤沢の大きな家に住んで威厳がある方だったとか。

とってもエネルギーのある個性的な家族だったのですね。

ジョゼフは帰国の途上で上海で心臓病で亡くなったそうです。

祖父映次郎は横浜で当時世界一の商社だった

ジャーディン・マセソン商会に勤め

そこで日米ハーフのケイティ・キーツ・年枝と出会い結婚。

1900年に生まれた母花子を筆頭に5男2女をもうけました。

独立して『ヒギンボサム・カンパニー』を設立して

自前の船を持つほどの貿易商として

横浜の小財閥と呼ばれるほどの財力に恵まれ

高島台に広大な土地と邸宅を所有、

ジョゼフ亡きあとの再婚した母ギンとその子供たち

そして弟妹を慈しみました。

見渡す限りが牧野の土地で映次郎は

亡父ジョゼフ譲りの馬好きだったので

日本馬匹改良会社の取締役の他

京浜競馬倶楽部の理事も務めました。

この写真は高島台の牧野家で行われた

馬術競技会の時の1枚です。