老齢からくる体力の低下で

自宅で一人は危険と

我が家で介護生活が始まってから約4年。

時に思い出話をしたり

味の濃いものが好きな姉に注意をしたり

植物が好きなので屋上の植物の手入れを頼んだり

毎日たわいのないことを語り合った日々でした。

我が家の近所のJR病院にお世話になって

肺がんが脳に転移したことが分かった昨年。

治療が功を奏したのはほんのひと月。

それでも押し車を押しながら院内を歩くことは出来ました。

なにがあってもおかしくない病状なので

亡くなるまでお世話になれる病院をと主人が手を尽くして探してくれて

数値が悪くなって2週間ほど入院しました。

放射線治療を勧められましたが、

前回の治療効果が2週間ももたなかったことを考えて

姉とも相談して辞退しました。

退院しましたが、とても体力が落ちて

休んでいるソファから立ち上がることも難しくなり

トイレも手を貸さなければ叶わなくなり

夜中に時にフロアーで動きが取れなくなって

通りかかった息子が手を貸したり

家族みんなが姉を気遣いながらの日々が続きました。

岐阜・岡山の『Life is Songs!』の出張時に

主人や子供たちに託するのは無責任だと思いお願いして

姉が入院して3日目、明日退院という日に

誤嚥が原因の肺炎にかかって高熱で意識が混濁。

そのまま眠り続けて。。。

帰京しても話が出来ないまま昨日を迎えてしまいました。

6月1日の鴻巣公演が終わったら

ゆっくりお見舞いに行ける。。。と思っていたのに。

3日の朝7時過ぎに見回り時に呼吸停止していらっしゃるのを確認と

看護婦さんからの電話で急ぎ病院に。

森嶋伸子さんから生前紹介を受けて

何回かお世話になった児玉さんにご相談して

10時には霊きゅう車でお迎えに来てくださいました。

看護婦さんも綺麗にしてくださいましたが

葬儀社のメイクアップ担当の方も手を尽くして下さり

長姉が駆け付けた時には美しく。。。

7人兄弟のうち一人だけが芸能に携わらずに

当時ベスト3に入るトランぺッター小俣尚也と結婚して

息子を育て良妻賢母としての日々を過ごしていました。

美佐姉と夫婦で赴いたハワイ旅行が

幸せな良い思い出だったと何度も語っていました。

夫婦とも母を早くに亡くした私たちにとって仕事をしながらの子育てには

美枝姉と翠姉がとっても手伝ってくれました。

その恩返しが少しでもできたかしら?と思っています。

6月10日11時~12時告別式

代々幡斎場にて

花に囲まれて見送れればと思っています。

写真は昨年9月JR病院に姪の渡辺万由美のお見舞いに

優しく微笑んでいるまだふっくらしている姿です。

生前優しくお世話頂いた皆様ありがとうございました。