開示を求めていたカルテのコピーが届いて2週間ほどになる。 何回も読み返してみたが、改めて思うのは 「脳転移までの妻は、それなりに順調な回復の道を辿っていたのでは ・・・」 ということである。


 「腫瘍マーカー」 というのは、がん細胞が生成する特殊なたんぱく質の血中濃度のことらしいが、この値はひとによっても、がんの質によっても異なることがあり、絶対的な何かを指し示すわけではなく、あくまでもがんの進行度合いを測る「目安」らしい。 妻の場合は、CEA というマーカーと CA15-3 というマーカーが測定されていたが、CA15-3 のほうは一度も「正常範囲」とされる値を超えたことはない。 一方 CEA のほうは、がん細胞の活性度にひじょうに敏感に反応していたようだ。 脳転移以前の治療とその結果を、 CEA の動きと合わせて書き留めておこう。 


 2003年7月の最初の診断では、右乳癌、鎖骨リンパと肝臓に多発転移ということであったが、このときの CEA の値は 15.4 。 Her2 3+ ということで、「ハーセプチンを軸とした化学療法を考えてみたい」 と医師から告げられていた。 しかし、まず最初はホルモン療法を試してみることになった(ホルモンレセプターは ER+, PgR - という検査結果であった)。 閉経後ということでアリミデックスが処方された。 しかし、このホルモン療法は、妻にはまったく効果がなかったようである。 2003年9月19日には、CEA は 43.3、 10月16日には 93.6 まで上昇し、胸の腫瘍も痛みが伴うようになっていたようである。  

 この時点でホルモン療法は適応なしと判断され、抗がん剤治療に移行することになった。 ハーセプチンの投与が検討されたが、このときの心機能検査の結果が思わしくなく、 ハーセプチンは見送られた。 ハーセプチンの重大な副作用として 「心毒性」 が報告されているらしい。 そこで、タキソテール+フルツロンの投与となった。 タキソテールは tri-weekly ("一週間に一度の点滴を3回続けて1週休む" が1クール) を6(?)クール行う予定であった。 この抗がん剤治療の1クールが終わったところ(11月20日)での評価は 「ひじょうに効果あり」 ということであった。 実際、胸および鎖骨リンパの腫瘍は、はっきりと縮小し、CEA も 33.6 まで低下していた。 また、妻自身も 「胸の腫瘍が縮小している自覚がある」 と言っていた。 しかし、この抗がん剤治療は1クールで中止となった。 


 <続きは日を改めて書くことにする>


by yamo-o

桜2005


2005年4月5日の桜、妻が写したものである。 



by yamo-o



脳腫瘍に対するガンマナイフ治療について書いてみよう。 あえて、「病歴」ではなく「医療情報」として書いてみる。 当然ながら、妻の病状についての記述も出てくるが、ネットで得た情報を中心として、妻の病状に触れる部分はできるだけ客観的に書くようにする。


まず、ガンマナイフの基本的知識を得るサイトとして http://www.gammaj.org/  を紹介しておく。 ガンマナイフが適応される脳腫瘍は、比較的小さな腫瘍で病巣の数も多くないものとされているようだ。 しかし、http://pine.zero.ad.jp/~zad66995/  の闘病記を読むと、かなりの数の腫瘍がある場合でもこの治療が施されることもあるのかもしれない。 (この方は、計7回ものガンマナイフ治療を受けられたようだ。) 妻の場合は、その病歴(概略)を見ていただければわかるように、腫瘍摘出手術およびガンマナイフ治療を受ける以前に 「全脳照射」 という放射線治療を受けている。 この全脳照射治療を受ける際に、外科(乳腺)の医師(主治医)と実際に脳腫瘍の治療にあたる脳神経外科の医師との間で治療法の検討がなされたようだ(いわゆる、カンファレンス)。 そこではガンマナイフ治療も検討の対象となったらしいが、主治医からの説明では、主として腫瘍の個数(MRI画像確認4個)を考慮して全脳照射を選ぶということであった。 私としては、それまでにネットで得ていた情報から 「全脳照射は症状緩和のための治療法でしかなく、ガンマナイフは治癒の可能性を持った治療法である」 と認識していたので、ガンマナイフ治療が選択されることを期待していた。 そこで私は、知り合いの脳外科医に 「ガンマナイフ治療を強く求めるべきか」 と相談してみたが、その答えに愕然とした。

「多発転移性脳腫瘍の場合、画像で確認されない病巣が多数存在するのが通例で、一般的にいえば、全脳照射をガンマナイフに変えても、期待される延命効果はせいぜい1~2ヶ月と思われる。 緩和効果がより確実に期待できるのは、全脳照射である。 症状から医師として想定する余命は、6ヶ月プラスマイナス2ヶ月というのが妥当であろう。」

というものであった。 医師たちは、腫瘍の個数だけでなく、このようなことも考慮に入れて、この時点では全脳照射を選択したのであろう。 なぜ妻が後に腫瘍摘出手術およびガンマナイフ治療を受けたかについては、日を改めて書くことにする。


ガンマナイフがその治療効果をもっとも発揮するのは、ある種の原発性脳腫瘍のようだ。 たとえば、http://plaza.rakuten.co.jp/junko8753/  を見ると、 「夢の治療法」 と呼ばれるのもあながち誇大宣伝とは言い切れない気もする。 余談になるが、このかたのフリーページにある 「神の手 Dr.福島」 に関する記事は一読に値する。  また、ガンマナイフは「三叉神経痛」にも有効であるようだ。


ガンマナイフ治療はその 「低侵襲性」 が大きなメリットとされている。 この 「低侵襲性」 はあくまで医師側からみた言葉であろう。 確かに、手術と比較すると、治療によって受ける体のダメージははるかに少ないようだが、麻酔をかけないで受ける治療なので、ガンマナイフの照射自体は患者にとってかなり厳しいもののようだ。 妻の訴えからも感じたし、ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/yumemin30/  の記事

http://plaza.rakuten.co.jp/yumemin30/diary/200603080000/  からも読み取れる。 照射中に吸入麻酔でもして、患者の照射中の負担を少しでも軽減する方法はないものだろうか。 これも余談だが、「侵襲」あるいは「侵襲性」という言葉は広辞苑にでていなようなのだが ・・・


最後に息抜きブログの紹介。 上に紹介した原発性脳腫瘍の方のお好みブログらしい http://plaza.rakuten.co.jp/vcruise/  。 

とくに、http://plaza.rakuten.co.jp/vcruise/diary/200511200001/  には笑った。 最後の「ナポリタンD」 ・・・



by yamo-o




プロフィールの写真を変えてみました。 写真の貼り付け実験でもありますが、ネット上(主に asahi.com)で拾った写真を時々貼り付けてみます。


虹


ちなみに、いままでの 「虹」 は asahi.com で拾った昨年8月のものです。 この虹とは異なるものでしたが、 妻と二人で病室から虹を見たことがあります。  

すばらしく大きく、美しい しかし 儚く消えた虹でした。


by yamo-o


妻が病を得て、それに関する情報を求めて始めた 「ネット漫遊」 。 ネット界の水戸黄門というわけではないが、年甲斐もなく迷いこんだネットというバーチャル世界の見聞録を記事にしようと思う。 といっても、 私の行動範囲が 「医療関係・闘病関係」 が中心なので、 病気に関する話題になってしまうことも多いかもしれない。


ブログを始めて一週間ほどで、もう猛省すべきことがある。

先日来の記事およびコメントでお気付きの方もおられるだろうが、「輝の姉」さんとのやりとりである。

私のとるべき行動は


(1) 相手のブログへのコメントとして、 「あなたの記事に対する考えを私のブログに書きました」 と報告して、 このブログに 「相手ブログのコメント欄に書いた内容」 を記事として書く


ではなかったかと、今は思っている。 あのコメントを消せるものなら消したいとも思っている。

一方、 次のような考え方もあるのかな  とも思う。


(2) 相手ブログに書き込んだコメントを 「消す権利」 は、 ブログの持ち主だけが一方的に所有している。 消したければ消せばよいのだから、 基本的には何を書き込んでもよい


私は、 (1) のほうがよいと思ったのだが、 果たしてどちらがよいのか あるいは もっと他によい方法があるのか?



これから折々に、 「漫遊記」 と称して、 いろいろな「方々」のあるいは「組織」の HP、ブログに対する「感想文」的なものを書こうと思う。 決してそれらの存在を「批判」したり「否定」したりするつもりはないが、 好き嫌いは多少ある。 

また、 「バーチャル世界における言葉」 に対する意見も書いてみたい。 コメント欄におけるやりとりなどは、 人と人が面と向かって話す 「言葉」 とは 「似て非なるもの」 だろうと思う。 現実の付き合いを抜きにした、 バーチャル世界だけでの言葉のやりとりは、 一種の 「創作」 という面も持っているように思う。



意味不明の長い挨拶ほど嫌われるものはないようなので、「ごあいさつ」 はこのあたりで終わりにします。

今日は、 「息抜き」 で訪れた、ちょっとホッとする HP を紹介しておきましょう。


http://www.st.rim.or.jp/~tokyo/


by yamo-o

2003年7月: 乳癌発覚、

         鎖骨リンパおよび肝臓に多発転移あり(いわゆる、ステージIV)

2004年5月: 抗がん剤他の化学療法により、転移巣の腫瘍消失(画像上)

         また、胸の腫瘍も縮小が確認される

2004年8月: 脳転移(多発性)発覚、放射線治療(全脳照射)、

         胸の腫瘍も再び増大傾向

2005年4月: 局所コントロール目的で右乳房摘出

2005年5月: 脳浮腫増大のため入院薬物治療

2005年6月~7月: 脳腫瘍摘出手術 および ガンマナイフ治療

2005年11月: 脳腫瘍再発のため入院薬物治療(脳浮腫軽減目的)

2005年12月23日: 息子の結婚式に出席

2006年1月: 脳浮腫増大のため入院

2006年2月22日: 死亡


病歴ではない「息子の結婚式」を加えたのは、これが妻の最後の目標であったからである。 また、妻が受けた治療やそれに伴う副作用の詳細は、カルテのコピーが手元に届いてからすこしずつ紹介しようと思う。


* 「局所コントロール目的で右乳房摘出」 については

         http://ameblo.jp/4yoko/entry-10009765688.html

   を参照。

* 「ガンマナイフ」 については 

         http://ameblo.jp/4yoko/entry-10009959568.html  

   を参照。




by yamo-o

妻と私は同い年で、結婚して30余年の苦楽をともにしてきた。 といっても、この数年の病気療養の他には 「苦」 もなく、 とりたてていうほどの 「楽」 もなく過ごしてきた。  あえて 「楽」 と言えば、 一人の息子と一人の娘に恵まれ、 その二人とも (ともかく現在は) 良い伴侶にめぐり合った、 ということだろうか。



(以下、会話文が混ざりますが、 我々は 「東京在住関西人」 ですので、 会話文は関西弁になります。)



病状がかなりすすんだころ、 妻は何回か 「わたしの ”生きた証し” て、何やろ?」 と問いかけてきたことがある。 妻は、 パートタイマーとして少しは働いたこともあるが、 「主婦」 を本業としていた。 自分は人生で何を達成したのか、 という自問であったのだろう。 

あるとき私は、 「子供たち、 ではあかんか?」 と聞き返したところ、 「子供は ”生き甲斐” やったけど、 ”証し” とは違うなあ」  ・・・ 

またあるときは、 少々断定的に 「それは、 私(yamo-o) やろ」 と言ってみた。 妻は、しばらく考え、 否定も肯定もせず、 微笑んだ  ・・・ 



by yamo-o

冒頭の死亡診断書の引用で 「局所コントロール目的で右乳房切除」 とある。

たとえ乳癌治療中であっても、この意味を正確に把握できない方もおられるようなので、説明しておこう。



乳癌で、しかも無治療を選択し、昨年亡くなられた歌人・宮田美乃里さんをご存知の方も多いと思う。宮田さんの、「無治療を選択する」という投稿から始まった、新聞投稿欄での宮田さんの発言とそれに対する反響が

 http://www6.plala.or.jp/fynet/6tokubetu-situ-miyataminori.htm  

に記録されている。 無治療選択への批判が7割、賛同もしくは同情が3割という印象である。 闘病半ばで、宮田さんは「左乳房切除手術」を受けられ、それを投稿欄へ報告されている。 それに対し、投稿欄では「やっと治療を受ける気になってくれた」と歓迎する投書が多く寄せられている。 これは、まったくの見当違いで、宮田さんが受けられた手術は 「局所コントロール目的」 であって、決して「全身病としての乳癌」の治療ではない。


胸の腫瘍が進行すると、皮膚外へ浸潤しQOLを著しく低下させる恐れがでてくる。 宮田美乃里さんの言葉を借りれば 「腐った乳房は捨てるしかない」 のである。 宮田美乃里さんの受けた手術が「局所コントロール目的」であったことは、その後出版された写真歌集で、誇らしく黒髪をなびかせる姿をみれば明らかである。


私の妻は、年齢を重ね子供も成長したことであり、

「髪よりも、乳房よりも、命を ・・・」 という想いであっただろう。 



by yamo-o

昨日T君に会って、心に残った彼の言葉。


「ひと目で yamo-o の奥さんがすばらしい人だということがわかったよ。 でも、俺の女房もすばらしい人なんだぜ」




by yamo-o

妻を亡くすことが、身にも心にもこんなに応えることだとは思わなかった。


妻の葬儀は、私の知人には知らせず、妻の死に本当の涙を流してくれそうな人に参列していただいた。


葬儀の後、私の友人・知人および勤め先には、主にメールを使って連絡した。

何人かの方から、悔やみの返信メールが届いた。 その中で、葬儀から十日経って昨日届いたT君からの次のメールに心打たれた。 悔やみの言葉がないことにむしろ心打たれた。


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その後どうですか?
今晩か明日あたりは夜は空いていませんか?


∮♪♪♪  ♪♪♪ 
    ♪ Il guerit quelquefois, ♪♪
♪♪ Il soulage souvent, ♯♪♪
♪ ♪ Il console toujours."  ♪

♭♪♪  ときには治せることも ♪♪♪
  ♪♪♪ しばしば救えることも   ∮♪♪♪   
♪♪ しかし癒すことは常にできる ♪♪ 
        ∮♪♪♪  ♪♯♪ 

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T君は、私の高校の同級生で、妻とも少しの縁があった。 妻の出身大学(某薬科大学)の同窓会が主催する医学をテーマにしたセミナーで講師を探していたときに、私が某国立大医学部教授(当時は講師?)のT君を紹介し、妻がその交渉役に当たって、少々お付き合いをしたという縁である。 メールでの交渉だったと記憶しているので、直接出会ったのは、セミナー当日だけだったかもしれない。 それ以来、妻はT君のファンであった。 

葬儀の席で、その同窓会の代表役員の方から 「T先生が奥様の病状を気遣っておられましたよ」 と伝えてくれたときも感激したが、上のメールを受け取って 「T君は名医だ」 と感じた。 医療者であるT君は私の訃報メールを受け取って、 「いまケアすべきは yamo-o だ」 と直感してくれたのだと思う。


これから、T君のスピリチュアル・ケアを受けてこよう。



by yamo-o