《アフリカ滞在11年の体験談講義》の報告その2 | 地球家族を育む【4U World】(代表:Jun Yvonne Kitamura)の勇気と活気のブログ

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(続き)バイドアで小学校はすでに開始していたので、私たちは他の村と街の中で教育が届いていない地区の何千もの子供たちの世話をすることとしました。私たちの一番の優先順位は、子供たちを学校に返すことでした。最初に村の年配の人達、村長などから話を聞き始め、私たちの支援と共にプロジェクトを自分自身で主体的に取り組むように、彼らを動機づけました。そして、バイドアの外の村々に10校の学校を設立することができました。私たちは、多くの内戦で死亡してしまった教師と同じ数だけの新しい教師を訓練しました。学校開始にあたって、教師と子ども達の親のためにFood for Work (食糧支援)を提供しました。

今回のスピーチのテーマは平和のための教育です。まず、バイドアから30kmであるAwdinle村のAMURT教育委員会の63才の委員長であるアイザック・マリン・モハメドさんが私たちに話した内容を聞いていただきたく思います。

「内戦は、私たちの村に混沌をもたらしました。村の900人の子供たちはただただトラブルを創り出し続け、街を放浪しているチンピラのようになってしまいました。内戦時間の子供たちを比較してみると、最近の子供たちはとても人間らしくなりました。」

それを聞き、大きな気づきとなりました。実のところ、私はとても困惑していました。なぜ戦争でそこまで苦しんですべてを失った人達が、協力しあって学校を作ろうということができるのか?

ある日、ジロマドシェイクという村の村長のアダム・モハメド・バーカーンさんは言っていました。「教育は、世界の光です。それなしでは、目が見えない人のようです。」私は、最も貧困な場所でさえ、人間というものは同じなのだと気付きました。人間は、どんな状況にあっても人間社会において、より良く平和な社会を築き上げようとするのだと理解しました。

またお話したいことがあります。ソマリアでコミュニティ学校を具現化するため、国連機関や他のNG0sと協力して活動しなかったら、私たちの組織は成功することができませんでした。世界食糧計画(WFP)からの援助は、教師への報酬やスタッフの食糧の主な原資となりました。ユニセフは学校を復活させるのに必要な物資を提供しました。ユネスコは、テキストと教師のトレーニングを提供しました。ワールドビジョンのような他のNGOは、ビスケットやミルクを子供たちに与えました。国連は、学校のある村から行き来するのに、護衛を用意しました。また、私たちのスイスの支部は直接的な教育のプロジェクトに対しての応援をしました。そういった水面下の仕事は、とても重要です。どんな社会的なプロジェクトを具体化するためにも、初期費用と経費を創り出し、資金を供給することが必要です。

2年の間、ほとんど休む事なくバイドアで働いた後、ケニアのナイロビの本部へ行き、休暇を取りに行くよう指示が出されました。そして現地のスタッフやボディーガードの人達とお別れする時が来ました。彼らと2度と会う事はないのです。とても心苦しいものでした。

ソマリアは今なおまだ深い危機にあります。時折、私はそこで一緒に活動していた子供たちや、教師、コミュニティ・リーダーがその後どうなったのか、その後の運命について考えます。気になって仕方ありません。


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ルワンダ


ナイロビへ休憩を取りに行きました。戦争地帯に住む事によってストレスが溜まっていた私には、休憩が必要でした。ソマリアでは、いつも緊急事態が起こっていたので、着替えずに眠る日が続きました。

しかし、不思議なことに、また人生が変わることが起き、次にルワンダに行くよう指示されました。ホテル・ルワンダというアメリカの映画を見た事がありますか?ルワンダの1994年に起こった大量虐殺についての話です。その大量虐殺で、少数民族のツチ族の約800,000人が、フツ族というルワンダに住んでいる大多数の人々の過激派により、100日の間で虐殺されました。

1994年4月6日に、一機の飛行機が爆破され、ルワンダ中でその音が響き渡りました。キガリ空港に着陸しようとしていた、ルワンダのリーダーの乗っていた飛行機が撃ち落とされました。そしてハビャリマナ総裁、タリアミラ総裁、ブルンディアン総裁が殺されました。キガリは、ルワンダの首都です。フツ族の過激派(ウガンダに在住していた、和平協定に反対の反ツチ族)による攻撃だと予想されました。

その翌日、4月7日に総裁のボディーガードは、政治的な反対をする人達を虐殺することを法律として、承認しました。兵士、官僚と財界の指導者は虐殺を計画し、フツ族の兵隊(Interahamwe)と協同に動きました。

4月8日に、ツチ族主導の、ルワンダのパトリオティックフロント(RPF)がウガンダで基礎を形成し、和平協定をもとに、キガリに拠点を置く軍隊の中の600人を救い出すため、そして反抗者に殺害を終わらせるために、大攻撃を開始しました。国連と、西洋の力の不活動のために、虐殺がルワンダのパトリオティックフロントによって政府の軍の敗北で終えたとき、大量虐殺は殺害の100日間後に止まるだけでした。

ルワンダについて説明させてください。ルワンダは、中央アフリカの小さい国です。《1000の山のある土地》と人々は呼びます。《アフリカのスイス》とも他の人達は呼びます。

1994年9月4日に、キガリに到着した日をよく思い出します。ソマリアとは大違いです。私がソマリアのバイドアに到着したとき、目に見える家には屋根がついていませんでした。空港は戦場の様で、何百もの国連の兵士達が、忙しく仮小屋とテントを建てていました。ヘリコプターは私たちの頭上を飛びこえていました。キガリでは、すべてはとても異なり、とても普通に見えました。着陸の場所は、街から離れていました。街を囲んでいる丘、何千もの木。その風景はとても美しいものでした。また、空港はとても清潔でした。そして、兵士がとても礼儀正しくしていました。都市の中心では、ビジネスが進み、市場は活気づき、人々はいそがしく買い物をしていました。

2、3ヵ月前にこの国で500,000~100万人が大虐殺されたことはまず想像できないでしょう。私がその悲劇を理解したのは、人々に会い、彼らの話を聞き始めた時でした。隣人を殺している隣人、数百人もの人々が避難していた教会を爆破した酔った若い民兵、村全体の大量殺人... また、勇気と勇敢な物語を聞きました。殺人者からの強姦から避けるために自分自身で火の中飛び降りた若い女性、人々を銃撃の中かくまった兵士、キガリの闘争の中道にいる捨て子を救い出すソーシャル・ワーカー、両側から兵士を治療している看護婦たち...

私がソマリアでした経験から学び、政府が機能していないこの土地には、村のコミュニティーを確立するのではなく、まず自分たちのオフィスを設置しました。ルワンダの教育制度を再確立するために、私たちの支持を提案するようにと、ルワンダの教育省に連絡しました。新任の教育大臣に出会ったことは記憶深いです。彼のオフィスは、唯一そのビルの中で窓がある部屋でした。教育省は高い建物でしたが、すべて窓は、粉砕されました。そこから、激しく戦われる方法がキガリでの戦争であったと想像することができるでしょう。

キガリともう一つの近隣の県で、私たちの緊急リハビリテーション・プロジェクトが承認された後、私たちは教師のための3ヶ月のFood for Work (食糧支援) プログラムを始めました。多くの子供たちが大量虐殺で両親を失ってしまったので、教師が孤児の世話をするためにも食糧支援をすることがとても重要でした。また、子ども達の多くが自分たちの両親または友人が殺害されるのを見てしまったことからなどのトラウマを抱えていて、その子ども達の世話をすることも必要でした。

わたしたちがやってきたことをキガリの国連の職員に見せた日のことが忘れません。教室で多くの子ども達が泣き叫んでいました。本当に、戦争なんて起こすものではありません。

ルワンダでの私たちの仕事の大部分は、実務的なことでした。学習教材と食物を持ってきました。私たちは、コミュニティとの接触はソマリアでの活動のようには深く持ちませんでした。それよりも、国の官僚や学校の校長と一緒に仕事をしました。

私たちのプログラムにより、700トンの食物を2,500人の教師に配布することができました。教育制度のリハビリテーションで最も難しい期間にルワンダ政府を援助することができました。100,000人以上の学生のために学校教育を再開できました。この3ヵ月のプログラムの後、わたしたちの活動により、ルワンダ政府は教師の給料を支払うことができました。またユニセフにより、学校材料を配布して、内戦において損害を受けた校舎を修復することができました。

ルワンダで私たちの組織を法的に登録し、UNHCRと共に、25の学校の確立についての契約にサインしました。ブルンジ、タンザニア、ウガンダ、ケニヤなどの近隣諸国に避難した20,000人の難民となった子供たちの教育の支援となりました。

ソマリアとルワンダのボランティアとしての経験は、私たちの支援をもとに、教育が平和を促進することができたと証明しました。

戦争が終われば、現地の人々は通常の生活を送る事ができます。家族の世話をすることができて、子供たちを学校に通わせることができます。仕事につき、農業を始めたりします。ゆっくりとですが、虐殺された民族も、した民族も、赦しあい、戦争したことを忘れ、認め合うことができてきました。お互いに、受け入れ、理解を持ち、平和な社会、そして国を作り上げようとしています。 
  
ありがとうございました。


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