妻の入院 | 英語できない資格もないパパ & 村上家の4姉妹 オランダ移住物語

2015年6月。

長女年長、次女年少、三女1歳9ヶ月と3人の娘達はすくすくと育ち、家族との時間を優先できる仕事のスタイルを確立でき、おまけに妻は8月末出産予定日の第四子を身籠っており、お金はないながら、未だかつてないほど幸せな日々を過ごしていました。

 

ところが、ある日突然、妻が異常な腹痛を訴え、朝方救急で駆け込んだ市民病院にそのまま緊急入院となってしまいました。

 

切迫早産の疑いもありましたが、エコー検査で右腹部に腫瘍のようなものが映っており、盲腸か卵巣系の腫瘍か、妊娠30週の終わり頃ということもあり、お腹を切って確認しようにも刺激で早産になる可能性を避けたいという判断で抗生剤の投与で様子を見ることになりました。

 

入院期間は無期限ということで、3人の娘は突然母親のいない生活が始まることになったのです。

 

朝起きたら洗濯機を回しながら朝食を作り、食べ終わった頃に洗濯物を干し、3人を営業車にぎゅうぎゅうに乗せて出発。実家に三女を預け、長女と次女を幼稚園に送ってから出勤。帰りは幼稚園バスが実家の真ん前に停まるということもあり義母さんに晩ご飯の世話までお願いして、なるべく早く帰ることを心掛け、実家に迎えに行った後、3人と風呂に入って寝かし付けるというルーティンでした。

 

ここで日頃の妻の仕込みの成果、僕が朝食を作ることも洗濯することも、子供たちを風呂に入れることも寝かしつけることも難なくこなすことが出来ることが分かりました。

 

正にベストキッドのペンキ塗り、カリン塔の超聖水状態でした。(意味が分からない方は申し訳ありません。)

 

次女が幼稚園の先生から「お母さんがいなくて寂しい」と泣いていたという報告を聞いたりもしましたが、休日は妻側の従姉妹の協力の基、公園や室内遊園地に連れて行き思い切り遊んだりして、妻の入院中に娘たちとパパの絆が強くなったような気がしました。

 

入院から1週間経っても妻の容態は良くならず、子供が呼吸器官がギリ出来上がっているであろうと言われる32週目に突入しているということもあり手術に踏み切ることになりました。

 

手術は一瞬で終了。原因は卵管水腫捻転。

卵管に出来た水ぶくれみたいなものがクルクルと捻転してしまい、ねじれたことでその水腫付近の卵管が壊死し痛みを伴うという非常に珍しい症状で、妻は右卵管摘出となりました。

 

ほとんど前例がない症状ということで、医学会発表の可能性を容認する書類にサインもしました。

 

しかし手術後、一番恐れていた事態に!

手術の刺激から陣痛が来てしまい、お腹の張りを抑える点滴を投与してもらうも、陣痛は収まらず右卵管摘出手術の数時間後に緊急出産となり、1,580gの小さな小さな四女が生まれました。

 

四女はNICU(新生児特定集中治療室)に入り、妻は退院後、毎日2回の授乳をしに病院に通い、お蔭様で何の問題もなく四女はすくすく育ち、1ヶ月半ほど経った元々の出産予定日辺りで体重2,500g程で退院しました。

 

我が家にとっては濃厚な期間となりました。