ACT8 白鳥座デネブ

 地球を出発して四十日目。
 ハヤトは、毎日艦内時間の八時と二十時にワープを繰り返し、今、白鳥座のα星『デネブ』付近を航行中だった。あと数回のワープで銀河系を脱出することになるだろう。予定のスケジュールからはやや遅れ気味だったが、デイモスの冥王星基地を葬り去ることができたとあって、艦内の士気は上々だった。
 周囲の空間を圧するかのように輝きを放つ、超巨星デネブ。その鮮やかな白い光を浴びて、ハヤトは宇宙の闇を切り裂いてゆく。
 その生活ブロックの一角にある農園で、猛は束の間の休息を楽しんでいた。プラネタリウム同様、ここも彼の気に入りの場所の一つである。
 農園と呼ばれるだけあって、ここでは農作物の栽培が行われている。乗組員たちの三度の食事に出される野菜類は、全てここで作られている物だった。
 そして、もう地球には存在しない自然の香りが、ここにはあった。
 擬似太陽の輝く空は立体映像で薄青く、その空の下には野菜畑の他にかなりのスペースの野原があって、黒い土の上に美しい蓮華草の花が咲き乱れている。人工的に造り出された小規模なものではあったが、遠く鳥の声が響き、蝶さえ舞うこの場所は、乗組員たちの心を和らげる不思議な力を持っていた。
 皆に愛され、いつも賑わっているこの憩いの場に、今日は珍しく人影がない。猛は、美しい緑と紅の配色の蓮華草の絨毯の上で、思い切り長い手足を伸ばした。花と草の香りをわずかに含んだ甘い風が猛を駆け抜け、見上げると、立体映像で描かれた空の青さが目に滲みるようである。
 その青さは、いつも猛にあの異星人の少女を思い出させた。
 霞のような青い衣。
 その青さと地面の赤さとの鮮烈過ぎるほどのコントラスト、銀に近い淡い金髪……。
 だが、いつの頃からか、そのイメージの断片は、ふわりと重なる舞の面影に覆われて、テティスの明確な輪郭を取ることがなくなってしまった。こうして空を見上げていても、舞の爽やかな笑顔や、闊達な身のこなしなどが目に浮かぶばかりで、かつては鮮やかだったテティスの面影も今は遠い。それは、猛が既に舞を心の奥深く住まわせ始めている証拠でもあったのだが、彼自身はまだそれに気が付いていなかった。

 遙かな時の彼方の
 遠い星の海で あなたは笑うよ

(歌だ!)
 聞き覚えのある歌声に猛がハッと頭を起こすと、少し離れた木の陰で、舞が何やら歌いながら花を摘んでいるのが見えた。
(『銀河の妖精』か……。)
 組曲『銀河』の中の一曲『銀河の妖精』。それをいかにも似つかわしいと感じながら、猛は、優しい薄紅色の蓮華の花を両手一杯に抱えて歌う舞の姿に見入った。
(美しい!)
 猛は素直にそう感嘆した。
 淡い日差しに照らされるその横顔には、何の邪心も恐れもない。微かな風に髪をなびかせ、時に蝶と戯れる軽やかな身ごなしは、まさに光の中で遊ぶ妖精のようだった。
 こうして見てみると、舞は少しもテティスには似ていない。猛と剛也が駆け付けた時、既に息絶えていたのだから当たり前なのだが、こんな健康的な美しさはテティスにはなかった。今の猛にはそれがわかる。それなのに、プラネタリウムでは、どうしてあれほど似て見えたのだろう。
 そう言えば、第二艦橋で皆と舞とテティスが似ているという話をしていた時、それを聞いていた舞が、ムッとした顔で出て行ってしまったことがあった。猛は、理由もわからずキョトンとその後ろ姿を見送っていたのだが、剛也と飛翔は、
「猛、お前な、少しは女心の研究でもしたらどうだ。」
と、二人で大笑いしていた……。
 とりとめもなくそんなことを思い出しながら、猛が舞を見つめていると、その視線に気付いたのだろう、艶やかな髪を扇のように散らせて舞が振り向いた。
 舞が振り向く時、猛はふと、また消えてしまうのではないかと心配になる。が、いつもそれは杞憂に終わった。
「猛さん……。いたの?」
 その表情には、わずかに、しまった、という思いが浮かんでいる。取り落とした数本の花が、内心の動揺を物語っていた。花を摘んでいたのは美央に頼まれたからなのだが、自分では子供っぽいと思う振る舞いを猛に見られていたのだと思うと、恥ずかしいというよりは、悔しいのである。
 誰もいない静かな場所で、思い切り歌うこと。
 それが、舞にとって何よりの気分転換方法だった。何もかも忘れてひたすら歌っていると、心が解き放たれ、飾らない自由な自分を取り戻すことができる。しかし、そんなところを他人には見られたくなかった。他人の目に触れさせるには、あまりにも無防備だからである。
 だが、そんな時に限って猛は現れる。今もそうだし、プラネタリウムで初めて出会った時もそうだった。就寝前の一時、誰もいないプラネタリウムで歌うのは、あの頃の舞の日課だったのだが、あの星空の下に猛がいたことに、舞は全然気が付かなかった。
 しかも、あの時は、こともあろうに就寝着に一枚羽織っただけの姿だったのだ―――。
 ハヤトの女子隊員の就寝着は、なぜか白のローブである。絹そっくりの光沢のある生地で作られたそれは、なめらかな肌触りが着心地よく、たっぷりギャザーを取ったデザインがちょっとしたドレス風で、舞は気に入っていた。疲れていても、部屋に戻ってこれに着替えると、身も心もリラックスできるような気がする。
 この就寝着にしろ、艦内服にしろ、ハヤトの制服は、機能的だが無味乾燥という制服一般のイメージからは遠く、随所に乙女心をくすぐるようなデザインが取り入れられていて、若い女子隊員には好評だった。
 もっとも、麗なぞは、ミニワンピースの艦内服は絶対着なかったし、就寝着のローブについても、
「一体、何を考えてこんなヒラヒラしたのを……。」
とぼやいているらしいが、そう言う麗だって、これを着たら、さぞ艶めかしく綺麗で素敵に違いない、と舞は思うのだ。だが、それは、やはり気軽に他人に見せてよい姿ではなかろう。相手が異性となればなおさらである。
 あの日、ハヤトに乗り組んだばかりだった舞は、神経が高ぶってなかなか眠れず、深夜にそっとベッドを抜け出して、プラネタリウムに足を向けた。お気に入りのローブに包まれて星の中で歌うことは、いささか少女趣味ではあるが、ロマンチックで、なかなかに気分の良いものなのである。だが、誰かに見られているとすれば、話は別だ。
 あの時は、タイミングよく明かりが落ちてくれたので慌てて抜け出したのだが、それを思い出すたびに舞の頬は赤くなる。今だって、猛がいると知っていれば、こんな少女っぽい振る舞いはすまい。
 なぜ、いつも猛にばかりこういうところを見られてしまうのだろう?
 自分では、他人の気配には敏感な方だと思うのだが、猛には、何かしら人の認識域の死角に滑り込んで来るようなところがある。気が付くと、何の違和感もなくそこにいるのだ。
 そして、あのプラネタリウムでの不思議な感覚。
 離れているのにすぐ側にいるような、長い間ずっと会いたかった人にやっと会えたような、不思議な懐かしさと親近感。
 猛と同じように舞もそう感じていた。あれは何だったのだろう?
「ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら?」
 こんなことは猛だけなのだが、と思いつつ、舞が心の動きを努めて押し包んで言うと、猛は、
「いや。」
と和んだ顔で少し笑い、再び草の上にゴロンと横になった。邪魔どころか、もう少し舞の歌を聞いていたかったくらいである。
 仲間たちの中では大人っぽい方で、舞に猛「さん」と呼ばせる何かを確実に持っている猛なのだが、制服の襟を寛げて寝転ぶその様はいかにも少年らしく、とても太陽系内の敵を一掃する原動力となった戦闘隊の隊長には見えなかった。
(ロマンチストなのよね。)
 その姿に誘われて、舞は思わず微笑した。
 猛が、時々こうして一人でプラネタリウムや農園で過ごしているのを、舞はよく知っている。もちろん、娯楽室で仲間と電子ゲームに興じる姿もよく見掛けてはいたが、猛がこういう場所で過ごすのを好むのは、そこにロマンを感じるからなのだろう。そのロマンチストぶりは、少年期に特有のものである。
 一体、猛はここで何を思い、何を考えているのだろう?
 それは、舞にとって興味深い命題だった。だが、それがハヤトの航海や地球の未来などではなく、自分のことであろうとは、舞には知る由もない。
 遠くで澄んだ鳥の声がした。仄かな草の香りが甘い。
 だが、この穏やかな美しい場所に二人だけでいることにドギマギする必要はなかった。突如鳴り渡った非常警報が、その微妙な空気を引き裂いたからである。
 跳ね起きた猛の顔には、一瞬のうちに戦闘隊長の厳しさと精悍さが戻っている。
「行こう、舞!」
「ええ!」
 一瞬迷った後で、舞は、せっかく摘んだ花を捨てて、駆け出した猛の後に続いた。その制服の胸に、細い花びらが名残惜しげに赤く残っている。二人は、三十秒ほどで第二艦橋に駆け戻った。

 銀河方面作戦司令長官として、イアラである妻セシリアと共にマゼラン星雲の基地に赴任したシェーンは、自分の母艦でもある自慢の最新戦闘空母『フォートレス』で、六甲板空母『マーナン』八、新型戦艦『ガレオン』四、駆逐艦『メスター』六という大艦隊を率いて、デネブ付近へ出撃して来ていた。
「是非私もお連れください。そうすれば、ハヤトがイアラであるか否かは、私にはわかりましょう。」
 そう懇願するセシリアを、シェーンはマゼラン雲の基地へ残して来た。
 セシリアにしてみれば、相手がイアラであるかどうかを判別することが、シェーンの身の安全のために、最も重要であると思われたのだ。もしハヤトが真にイアラであるのなら、それに対する熟慮と気構えがなければ、シェーンと言えども思わぬ不覚を取る危険性がある。無論、シーザスが自分を伴えと命令したのも、それを考えたからだと察した上での申し出である。
 だが、シェーンはそれを許さなかった。
 命令に従って、基地までは伴っても、シーザスの思惑通り、イアラを見分ける道具として、セシリアを危険な戦場へ連れてゆくようなことはしない。そこまでが、シェーンにできる譲歩であり、妥協だった。
 だが、万が一、シェーンの艦隊が何らかの被害を受け、ハヤトが生き延びることになれば、ハヤトはイアラと見なされ、セシリアを戦場に引っ張り出すようなことになるかもしれない。
 ――いや、必ずそうなる。
(断じてそうはさせぬ!)
 シェーンのエメラルドの瞳が、凄まじいまでの強い光を放つ。愛する者は己の手で守ってみせるという強烈な自負が、シェーンにはある。そして、セシリアのことを抜きにしても、また相手がいかなる者であろうと、敗れることはデイモスの常勝将軍の誇りと名誉が許さないのだ。
「ハヤト確認しました。」
「パネルを切り替えろ。」
 シェーンの命令で、フォートレスの艦橋の前面を占める大パネルに、ハヤトの姿が映し出された。
「これがハヤトか。」
 ヘルマスらがしたように、シェーンは小声でその名を呟き、個性的とも言えるハヤトの艦体に見入った。
 パネルに映るハヤトは、図体こそ大きく、砲門も多かったが、艦尾のティアリュオン型波動エンジンが目を引く他は、これと言って目新しい装備もない。一見した限りでは、デイモスとは比較にならぬ旧式な物のように、シェーンには思えた。これが、ただ一艦でデイモスの将軍を破ったとなると、やはり尋常ではない。だからと言って、シェーンの自信は小揺るぎもしないのだが、警戒は必要であろう。
「第一部隊のメスターは、マーナンを援護しながらハヤトの後方に回り込め。マーナンをやられるなよ。ガレオンはそのまま待機!」
 シェーンが命令を下すと、各艦が行動を開始する。
 その迅速な行動を見ながら、シェーンは、その端麗な横顔に満足げに笑みを浮かべた。
 シェーンは、部下に恵まれている。どのような名将も、その意思を体現する優れた部下を持たねば、力の半分も発揮できない。それは、シーザスの考えでもあるのだが、シェーンは部下を育てることに心血を注いで来た。その甲斐あって、彼らはデイモス一と呼ばれる部隊に成長している。文字通り、手足の如く動く部下たちなのである。
「敵艦隊確認。前方から左右に展開して、ハヤトの周りを取り囲んでいます。」
 ハヤトでは、レーダーがシェーンの艦隊を捉えていた。画面を素早く読み取って、舞が報告する。
「距離約千宇宙キロ、種別は確認できませんが、艦は全部で十九。大艦隊です。」
 言いながら、舞の顔は青ざめた。レーダーを不気味に彩る光点の数は、冥王星の時よりもさらに多い。
「千宇宙キロか。遠いな。主砲も届かないぞ。」
 猛が歯噛みする。冥王星ではその威力を存分に発揮したハヤトの主砲だが、有効射程距離が約三百宇宙キロだから、この距離では役に立たない。
「本城。油断するな。いつでも主砲を撃てるようにしておけ。」
 沖田が猛を戒めるように言った。
「アストロ・レオ発進! ハヤトの両翼で警戒せよ。」
 これまでの活躍で意気上がるアストロ・レオを発進させて、沖田は、手元のコンソールをレーダー画面に切り替えた。
(一体、どんな手で来るつもりなのか?)
 今までのデータからすると、この距離は敵にとっても遠過ぎるはずである。沖田は敵の出方に思いを巡らしつつ、その動きを示す画面に油断なく目を配った。
「ハヤト、方位確認。マーナン、全機、高密度粒子発射装置準備完了!」
 フォートレスの艦橋で、下士官が報告した。六甲板空母マーナンの前には、それぞれ二十機ほどの艦載機が待機している。
「よし。ハヤトのお手並み拝見と行こう。」
 シェーンは不敵にうそぶき、
「一番艦発射!」
と命令を発した。
「了解! 一番艦発射!」
 シェーンの命令が伝達されると、指定されたマーナンの艦首に据えられた高密度粒子発射装置から粒子の束が発射され、待機していた艦載機を押し流すようにして、ハヤトへ向かって進んで行った。
「エネルギー波接近。右舷通過します。」
 ハヤトの脇を粒子束が過ぎて行く。
(外れた……。)
 その安心感に乗組員たちがホッと浸った次の瞬間、目映く輝く粒子の流れの中から、艦載機が飛び出して来た。
「ああっ、艦載機です! エネルギー波の中から艦載機が現れました!」
 舞の悲鳴の終わらぬうちに、ハヤトは艦載機の激しい攻撃を浴び始めた。
「何っ!」
 メインスタッフたちは、思わず窓の外へ視線を向けた。襲い掛かって来る敵機の放つ弾光が、肉眼でも確認できる。
「アストロ・レオ! 右舷に敵機、応戦しろ!」
『了解!』
 猛が、叩きつけるようにマイクに向かって叫ぶと、涼のゴールデン・ジュピターを先頭に、アストロ・レオが右舷に移動して応戦を始めた。
「エネルギー波、第二波来ます!」
 舞の報告の数秒後、今度はハヤトの左舷を粒子束が過ぎて行った。
「気をつけろ。また艦載機が現れるかもしれん!」
 沖田が注意したが、その時には、新たな粒子束から飛び出して来た艦載機が、ハヤトの左舷に襲い掛かろうとしていた。
「Cブロック被弾!」
「第三主砲塔損傷!」
 完全に不意を突かれた格好になったハヤトは、次々に被弾し、敵艦載機群の正確な位置が掴めないまま混乱した。
「さすがのハヤトの艦載機も苦戦のようだな。」
 フォートレスの艦橋で戦況を眺めながら、シェーンは笑った。
 高密度粒子発射装置を備えた六甲板空母マーナンを使った艦載機の波状攻撃は、シェーンの艦隊が最も得意とする戦法の一つである。
 通常二艦一組で運用されるマーナンは、目標を挟んで向かい合わせになるように配置され、一方の発射した高密度粒子の流れをもう一方が減速させて受け取る、ということを繰り返している。ほとんどエネルギーを持たない特殊な高密度粒子は、マーナンの発射装置によって水の流れにも似た高速の粒子束となり、これによって艦載機を運ぶと、ほんの十数秒で、母艦と戦闘空域との間を移動させることができる。まさに神出鬼没の艦載機運用が可能になるのだ。ハヤト一艦を相手に使うには、巧妙過ぎるほどの戦法であると言えよう。
「手を緩めるな! 徹底的に叩いておけ!」
 シェーンの檄が飛び、粒子束による艦載機の攻撃はますます多彩になった。
「くそっ、こうあちこち振り回されちゃあ、どうにもならない!」
 猛が悔しそうに舌打ちする。
 とにかく、右と思えば左、上と思えば下、という具合に、敵の出現箇所の予想が全くつかないのだ。敵機は、出現するばかりでなく、時に流れに飲み込まれて姿を消す。やっと追い詰めたと思った敵機が輝く流れの中に消え、手薄な場所に新たな敵機が現れる。まるで嘲笑うかのような、見事な波状攻撃であった。
「あっ!」
 第二艦橋の前方で、目映い光茫が膨れ上がった。アストロ・レオの一機が、敵機の攻撃の直撃を受けて爆発したのである。
「くっ……!」
 猛は唇を噛んで顔を背け、こらえ切れぬように、
「主砲発射準備!」
と怒号した。
「やめろ、本城。無駄だ。」
 だが、沖田がずしりとした声でそれを押し止めた。
「しかし、艦長!」
 猛が振り向いて抗議したが、沖田はじっとパネルを見上げたまま、黙っていた。
 猛に言われるまでもなく、このままではハヤトの命運が尽きるのも時間の問題である。戦局を打開するためには、艦載機の自在な運用を可能にしている粒子束を何とかしなければならないが、粒子束自体は、水の流れのようなものだから、攻撃しても効果はない。
 となれば、粒子の流れを作り出しているらしい、ハヤトを囲んでいる空母を破壊するしか手はないのだが、相手が巧みにハヤトとの距離を保っているので、未だに主砲の射程距離内に目標を捉えることができないでいるのだ。
「Fブロック大破!」
「第三艦橋、使用不能!」
 ハヤトのあちこちが炎を吹き上げ、アストロ・レオも苦戦を強いられている。
(これは今までとは違う……!)
 沖田は低く呻いた。
 これまでのハヤトの戦いぶりを分析してのことだろう、敵は、まずハヤトの主砲を完全に封じるつもりらしい。艦隊を主砲の射程距離外に配置し、高速の粒子束で瞬時かつ自在に艦載機群を送り込んで、ハヤトを翻弄しつつ、主砲を始めとする武器を叩いてゆく。
 華麗な戦法だが、実行するのは容易ではないはずだった。相当熟練したパイロットでなければ、あの高速の流れの中からタイミングよく飛び出て来るのは難しいし、空母の艦長にも、相手がいかなる動きを取っても陣形を崩さないよう、互いに連携を取りつつ、迅速に艦を動かす能力が要求される。どれ一つ欠けても、これほど統制の取れた隙のない攻撃にはならない。恐らく、卓抜した司令官の元で、よく訓練された部隊なのだろう。
「艦長!」
 その時、一心にシステムを操作して敵の攻撃を分析していた舞が、ハッと気付いたように顔を上げた。
「これを見てください。」
 舞は、シミュレーション画面を沖田のコンソールに転送した。
「どうやら、向かい合った二つの艦の間で、エネルギー波をやり取りし合っているようです。」
「何、やり取りだと?!」
 沖田は思わず声を上げた。
 画面には、ハヤトを円形に取り囲んだ八つのマーナンが、ハヤトを挟んでちょうど真向
かいにあるマーナンと、粒子束のやり取りをしている様子が映し出されている。その流れに乗って、艦載機群が行ったり来たりしているのだ。
「よし、よく知らせた。」
 瞬間、沖田の頭に一つの考えが閃いた。
 これまで、粒子束のやって来る方向にばかり気を取られて、その去ってゆく先へまでは注意が回らなかった。それはそうだろう。艦載機は別として、発射された砲やエネルギーは、通常、当たるか外れるか、どちらかでしかないのである。外れた弾の行方を誰が追うだろう? 艦から発したエネルギーを別の艦が受け取るなどという発想は、普通持てるものではない。
 だが、舞はそれを見破った。その才能に非凡なものを感じながら、沖田は独を振り向いた。
「神宮寺! エネルギー波が発射されてから、本艦へ到達するまでの時間は?」
「約十五秒です!」
 沖田の問に、間髪入れず独が答えた。
「片桐。今度エネルギー波が発射されたら、それが本艦の至近距離を通過する時の座標を割り出せ。何秒で割り出せるか?」
 沖田の指示に、舞は素早くプログラミングを開始し、ほどなく、
「はい、三秒あれば。」
と回答した。
「よし! 本城。お前は、その座標に向かってミサイルを放出しろ。」
「放出、ですか?」
 放出という聞き慣れぬ言葉に、猛が問い返すと、沖田はニヤリと笑って猛をどやしつけた。
「そうだ。放出だ。機雷のように山ほどバラ撒いてやれ!」
「了解! ミサイル放出します。」
 猛の顔にも生気が戻った。彼にも、粒子束にミサイルを運ばせて、受け手の方の空母を破壊しようという、沖田の意図がわかったのである。
「いいな。エネルギー波が通過するまで十五秒。時間が勝負だぞ。抜かるなよ。」
「はい!」
「はい!」
 汗を滲ませながら返事をし、二人は早速準備に掛かった。これを成功させなければ、ハヤトは立ち直るきっかけを掴むことはできない。
「エネルギー波来ます! 通過座標、YU-三九!」
「ミサイル放出、座標YU-三九!」
 新たなるエネルギー波の接近を探知した舞の報告を受けて、猛が特別砲撃隊に指示を出すと、指定された座標付近に、バラバラとミサイルが放出された。それとほとんど同時に粒子束がミサイルを包んで流れ去り、わずかの間を置いて、その先に閃光がきらめいた。
「よし、ミサイル放出続けろ。この間に態勢を立て直せ!」
 沖田が叱咤し、ハヤトは粒子束へのミサイル放出を続けた。
「どうした! 何だ、あの光は。」
 モニターに映し出された閃光を見て、シェーンは立ち上がった。
「マーナン、一番、三番、五番艦、高密度粒子発射口損傷! ハヤトは、粒子束中にミサイルを放出した模様です。」
 下士官の報告に、シェーンは、
「フン、ヘルマスを破っただけのことはある。なかなかやるな。」
と独りごち、思案顔になった。
 ハヤトの取った戦法は、特にシェーンの意表を突くものではない。反撃の糸口を掴むには、これしか方法がないと言ってもよいだろう。しかし、これまでのシェーンの経験からすれば、この方法に気付き、それを実行する以前に、ハヤトは沈んでいるはずであった。なのに、傷ついているとは言え、ハヤトはまだ持ちこたえている。
 これなればこそ、ヘルマスが敗れ、シーザスがイアラへの夢を繋いだのだが、シェーンは一歩も退くつもりはなかった。シェーンに勝つことがハヤトがイアラであるための証明だとあっては、負けるわけには行かない。
「よし、マーナンを退げろ。接近戦だ。ガレオンとメスターは接近して攻撃開始!」
 シェーンの艦隊はゆっくり輪を縮め、ハヤトへの総攻撃を開始した。
「敵艦隊接近します!」
「応戦だ。主砲発射準備!」
 ハヤトは主砲を撃って応戦したが、敵艦載機の攻撃によって三つの主砲塔の一つを潰されていることもあり、巧みな操艦で死角に回り込んで攻撃して来る敵艦隊に対して、冥王星の時のように決定的な打撃を与えることはできなかった。
「くそっ! 艦長! このままでは艦が持ちません!」
 猛が叫んだ。ハヤトのあちらこちらが、さらに被弾して炎を吹き上げる。もはや、対症療法ではない、思い切った対策を取ることが必要だった。
 沖田は、意を決したように顔を上げた。
「陣! 反転九十度。真下に向かって全速前進!」
「了解! 反転九十度。」
 剛也は、沖田の命令に口を挟んだことはない。パイロットの絶対の信頼を得ているとい
うことは、指揮官にとって幸せなことだった。
「波動砲発射準備!」
「波動砲?!」
「艦長!」
 猛と同時に、第二艦橋から補修作業を指揮していた独が、鋭く沖田を見返った。
 自信はあった。いついかなる時でも波動砲を使うことができるように、点検も整備もし尽くして来ている。だが、それでも、こんな状態でテストもなしに波動砲を撃つことへの不安がチラリと脳裏をかすめてゆくのを、止めることはできなかった。
「わかっておる。」
 そんな独の不安は、沖田にもよくわかる。それを労りつつ独を見返すゆ沖田の目は、しかし、叱咤するように、これも鋭く燃えていた。
「だが、このままでは、いずれハヤトはあの艦隊の餌食になってしまう。テストは今すればよい。艦隊を引き付けておいて、波動砲で一気に片を付ける!」
 その燃える瞳には、不退転の男の決意が宿っている。
「波動砲発射準備!」
 猛が復唱し、ハヤトの艦内の灯が全て消えた。波動エンジンの発するエネルギーは、可能な限り、波動砲に回されるのである。独も黙って頷き、波動砲の発射準備に全神経を集中させた。
「逃がすなよ。」
 何を考えてか、九十度反転して逃走を始めたハヤトの後を艦隊に追わせながら、シェーンは勝利を確信していた。これでハヤトを潰せる。イアラの集団など、そう簡単に出現するものではないのだ……。
「波動砲内圧力正常。エネルギー充填百パーセント!」
 徳川が、緊張の滲んだ顔で報告した。
「よし、反転百八十度!」
 それを受けて沖田が命令し、ハヤトは、その巨体に似合わず敏速に反転した。
「止まれ!」
 モニターでそれを見ていたシェーンは、即座にそう指示した。
「ハヤトめ。一体何をするつもりだ? フォートレス停止。様子を見る。」
 このハヤトの行動は、シェーンの予測にはなかった。そう知った瞬間、彼の本能が前進を拒否したのである。
 ハヤトの第二艦橋では、焦燥感と戦いながら、猛が波動砲のターゲットスコープを覗いていた。
「艦長。敵が散開気味です。一隻は逃すかもしれません。」
 突然停止したフォートレスが、迫る艦隊に合わせられた照準から、外れて行きつつあるのだ。
「構わん。やれ!」
「エネルギー充填百二十パーセント、完了!」
 徳川が、波動砲のエネルギー充填完了を告げた。
「波動砲発射三十秒前。対ショック、対閃光防御!」
 それを受けて、猛が手順通り波動砲の発射を予告し、乗組員はゴーグルを着け、ベルトを着用する。引き金に指を掛けた猛は、もう迫って来る敵しか見ていなかった。
「十秒前! 九、八、七……。」
 秒読みと共に、エンジン音が高まってゆく。
「……舐めるなよ!」
 勝利を確信して真っ直ぐにハヤトを追って来る敵のど真ん中に照準を合わせながら、猛は呟いた。
「発射!」
 猛がグッと波動砲の引き金を引くと、ハヤトの艦首がカッと閃光を発し、その反動で艦体がわずかに後退した。
 その瞬間、シェーンの五感は危険を主張していた。
「後退! 全艦全速後退!」
 シェーンは叫んだ。
 だが、時既に遅く、波動砲の凄まじいエネルギーは、目映い光を発しながら、唸りを上げて宇宙空間を突き進み、近づきつつあった艦隊を包み込んだ。その空間に居合わせた者たちは、一瞬、真っ白になった世界に、この世の全てのものが失われたように感じただろう。そして、その一方は、光を知覚した次の瞬間に、己の艦もろとも消滅していたのである。
「これが波動砲……!」
 ようやく光が薄れて行った時、ハヤトの第二艦橋では、その結果を己が目で確かめたメインスタッフたちが茫然と立ち尽くしていた。
 エネルギーの残光で、まだ微かに明るい宇宙空間。つい先刻まで圧倒的な敵の艦隊で占められていたその空間に、存在するものは何もない。まさに想像を絶する威力であった。
「波動砲っ!」
 フォートレスでは、シェーンが茫然とスクリーンに見入っていた。
 波動エンジン応用の波動砲!
 それがハヤトに存在しているという事実は、シェーンに強い衝撃を与えた。
 何しろ、デイモスでさえもその実用は一年前に成ったばかりで、波動砲搭載の艦は、未だ建造途上にあるシーザスの直衛艦『ジュリアス3』一隻きりなのである。一月ほど前までワープさえできなかった星の人間が、波動エンジンを与えられ、すぐさまそれを波動砲へ応用することができるなどということは、シェーンにはとても信じられなかった。
「出力低下。全艦エネルギー、二十五パーセント。」
 うろたえて右往左往していた部下が、それでも落ち着きらしきものを取り戻して、そう報告した。
 一瞬にして自慢の艦隊は霧散し、最新鋭艦フォートレスも、直撃を免れたとは言え、波動砲のエネルギーの余波を受けてガタガタである。惨憺たる状況とは、こういうことを言うのであろう。
 部下にフォートレスの後退を指示しながら、シェーンは、初めて目にした波動砲の威力に、ともすれば虚脱しそうになる自分を、自分で叱咤せねばならなかった。それがまた惨めさを一層募らせる。
(こういうことをしてのける者もまた、イアラと呼ばれるのだ……。)
 目の眩むような屈辱感の中で、シェーンはそう認識していた。
「イアラ……。」
 口に出してそう呟くシェーンの言葉には、既に断定の響きがあった。

 再び漆黒の闇を取り戻した宇宙空間に、キラ、キラ、と細いきらめきが浮かんでいる。波動砲発射の際に退避していたアストロ・レオが、超巨星デネブの冷たい白光を浴びて、ハヤトに帰艦して来るのだ。
 猛は自席で立ち上がり、その様子を黙って見つめていた。傷つき、白い煙を吐くコスモゼロを必死で操り、それでも帰艦して来る仲間たち。だが、その数は、出撃して行った者の三分の二ほどに減ってしまっていた。
 猛の後方では、徳川が、波動砲発射によって空になった波動エンジンへのエネルギー注入作業を指揮し、独は、ハヤトの被害状況をまとめて、技術班に補修のプライオリティを指示している。
 そんな部下たちの動きを、沖田は黙って見守っていた。
 艦の被害は冥王星の時とは比べ物にならなかったし、アストロ・レオにはかなりの戦死者が出たようである。そんな惨状の中に一つ救いがあるとすれば、どうやらデイモスには波動砲に相当する武器はないらしい、ということだった。もし敵にも波動砲が存在していたら、ハヤトはとっくにこの世から消え失せていただろう。敵に対して決定的なアドバンテージを持つこの波動砲を上手く使えば、今後、同等以上に敵と渡り合うことが可能になる。それは、ハヤトにとって大きな光明であった。
 それにしても、と、沖田は、冥王星で波動砲を使用しなかったことに、ホッとせずにはいられなかった。あれほどの威力を以ってすれば、星一つ塵にすることなど造作もない。ハヤトにとってこの上ない力となるこの究極の武器は、使い方によっては、何もかもを破壊し尽くす悪魔の兵器となろう。使用に当たっては、細心の注意が必要である。その凄まじいまでの威力を思い返しながら、沖田はそう自戒した。
「ジェネレーターのチェックを急げ!」
 機関長席で、徳川が怒鳴っている。
 エネルギーはなかなか回復せず、まだ航行は可能にならない。これが波動砲の欠点だった。この欠点がある限りは、波動砲も万全とは言えない。いずれ、敵も波動砲を破る方法を考え出すことだろう……。
「敵ながら見事な統制だった。恐らく、第一線級の指揮官が指揮を執っていたのだろう。いよいよ敵も主力を繰り出して来たな。」
 この勝利は、デイモスがハヤトに向ける力をますます強大なものにするに違いない。勝つたびに、道はどんどん険しくなって行くのだ。剛勇沖田も思わず息をつく。
 猛は、そんな沖田の述懐も耳に入らぬように、まだ立ち尽くしている。ハヤト後部の艦載機着艦口は、未だ戻らぬ者の帰りを待つように、いつまでも閉じられはしなかったが、彼らが二度と戻りはしないことを、猛は知り過ぎるほどに知っていた。
(まだ早い! 泣くのはまだ……!)
 大切な仲間が永遠に失われる日が、いつかはやって来る。その覚悟はとうにできていたはずだった。しかも、アンドロメダ星雲までの距離を考えれば、ハヤトの旅は、ほんの一歩を踏み出したところでしかない。苦しい旅はこれからなのである。こんな所で泣いている暇はない……!
 ことさらそう自分に言い聞かせながら、しかし、猛は、溢れ出る涙を止めることはできなかった。
 機体の残骸がデネブの光を弾いているのか、宇宙空間のきらめきは消えない。それは、散って行った生命の放つ最後の光なのかもしれない。二度と彼らに会うことが叶わぬのなら、せめてその輝きだけでも胸に焼き付けておきたかった。
 食い入るように宇宙を見つめ続ける猛の、小刻みに揺れる逞しい肩を、メインスタッフたちもまた粛然と見守った。
 戦死者八名、負傷者多数。その痛手を癒す暇もなく、ハヤトは走り続ける。