衆議院選挙が始まりましたね。

 皆さんも、それぞれの考え方に基づいて、行動される事と思います。


 ワシは脱塔後、とにかく選挙には真面目に向き合い、必ず投票もしています。


 恥ずかしながら大学で授業を任される事が年に数回あるのですが、その際には10分ほど時間をもらって、若者の投票行動が政治に及ぼし得る意義を、熱弁するのが通例になっています。

 もちろん、元Jである家族にも、選挙に行くよう、ことあるごとに勧めています。


 まあ、正直言ってワシには強い政治的イデオロギーはないのですが、やはりJW時代に放棄してきた社会的責任を取り戻したい、との思いが強くあり、その想いが選挙に対する味方にも大きく影響してるのだろうな、と思います。

 

 また、職種的に代議士連中と絡む機会も多く、彼らの資質次第で国や地方は、良くも悪くもなり得る、と実感しているのも、選挙に足を向けるモチベーションになっています。



 ところで。

 JWは基本的に選挙に参加しませんよね。

 今の現役さん達は、どう選挙に向き合ってるのでしょうか?

 やはり、10数年前のワシの現役時代と同じく、選挙に行くなんて、もってのほか、とのスタンスでしょうか。


 ワシは現役中の大半を、地方の田舎の会衆で過ごしたこともあり、よく成員から選挙に関する悩みや質問を受けたもんです。

 やはり、土建国家の成り立ちが抜けない農村部では、保守系の族議員を集落や会社を挙げて支援する構図が根強く残っているため、会社や未信者の夫から選挙に行って推し議員に投票するよう、かなりの圧力を受けるのです。

 特に田舎は、地区の公民館などが投票所となっているため、選挙管理者も投票管理者も、名簿チェッカーもみんな、顔見知りであるケースが多く。

 そのため、「どこそこの嫁は、まだ投票に来ていない」といった個人情報が、平気で集落民の間で共有されます。

 だから、肩身の狭くなった未信者夫は、「お前、早く投票に行け!ワシの立場が無いやろ!」的な圧を、信者妻にかけるわけです。


 ワシの現役時、会衆のM姉妹は、未信者夫に投票所まで車で連れてこられ、さあ、行ってこい、と言われたため、公民館に入り、中でトイレを済ませるだけで、しれっと車に戻ったのよ、と。

 そんな笑い話を披露していました。


 ワシとしては、投票しないことより、夫を騙すことの方が罪深かろうに、と。

 複雑に思ったもんです。


 まあ、つまり。

 投票に行くとか行かないとかの問題は、地方の信者達にとって、それなりに大きな問題なのです。


 ワシは現役時、投票について悩む成員から相談を受けたときは、ものみの塔99年11月1日号の「読者からの質問」を参照して、「旦那に嘘つくくらいなら、個人の良心で行ってくれば?」的なアドバイスをしていたのを思い出します。

 まあ、それでも大抵の成員は、結局投票に行かない決定に落ち着くんですけどね…



 選挙をきっかけにそんな事を逡巡していると、久々にその該当記事を確認したくなり、読んでみることにしたわけで。

 今は知りませんが、ワシの現役時は、割とこの記事を、牧羊でよく使った記憶もあったし。

 そもそも、エホ証の選挙に対する見方を分かりやすく解説しているので、なんとなく、おさらいしておこう、と思いまして。


 で、久々に見ると、ホンマにバカバカしいというか。「論に落ちる」どころか、「論」にもなっとらんなー、というのが感想で。

 よくもまあ、ワシもこんな程度の「お達し」を真面目に何十年も守ってたなー、と情けなくなりました。


 この記事では、JWが投票しない理由を5つに分けて解説しています。


 1つ目に、我々は「世のものではない」ので投票しない、と。

 は?

 ガッツリ国の社会福祉の恩恵を受けている連中が、世のものでは無い?

 最近では生活保護の受給すら厚顔無恥に推奨する教団の面々が「世のものではない」?

 いやいや、選挙権より先に辞退すべきもんがあるだろーに。

 自分達に直接的恩恵をもたらすものに対しては、「政府が準備したセーフティネットに浴する権利がある」とばかりにホイホイ「わてらも国民ですねん」と、世の一員である事をアピールするくせに。

 バカバカしい。

 

 2つ目に。

 キリストと同様に、我々は「大使」としてこの世にいるから投票しない、だそうな。

 大使は政治的中立を期待されるのと同様、王であるキリストの代理、大使である我々は、政治に関与すべきではない、との理屈。

 いやー。大仰に出ましたな。

 アホらしすぎて頭痛がしてきました。

 何を自認してもらってもよいが、これも都合の良いキリトリの例えでしかないよ。

 各国の大使は派遣先の国家の法に縛られない特権を付与されている一方、派遣国の政治に直接影響を及ぼし得るアクションについては認められないわけよ。

 アンタらは、上述したが、派遣先?の各国で、その国の法で定めるあらゆる恩恵を、存分に味わってるじゃねーか。

 大使を気取るなら、キリストだけに従って、派遣先の法を活用するような真似をするなよ。

 イボバに養ってもらえ。

 その上で、大使を気取りなさい。


 3つ目に。

 投票した人が当選した場合、その当選者の行う事柄に責任を持つ必要が出てくるから、とか言い出してる。

 これが、一番、はぁ?????だな。

 テモテ第一5:22を参照聖句として挙げているが、もうこじつけも甚だしい。

 「22 誰にも性急に手を置いてはなりません*+。また,他の人の罪に関わってはなりません。常に潔白*でありなさい。」

 この聖句を民主政治に当てはめる、というのは、もはや難癖としか思えないが。

 なら、仮に投票した当選者が良い事を行ったら、その善行はワシらのお陰、ってなんのか?

 なら、フィフティフィフティやないか笑


 4つ目に。

 宗教が政治に関与すると、一致が損なわれる、という主張。

 まあ、5つの理由の中で唯一、一定の理解ができる主張ではある。

 日本でも他国でも、平和の邪魔をしているのは、往々にして宗教である事が多い。

 だから。

 教団単位で政党や政治的イデオロギーに距離を置く、というのは良いと思う。

 が。

 かと言って、個人の選挙権まで否定するのは、やはりやり過ぎたとしか思えない。


 5つ目に。

 政治的主張から距離を置いているので、どんな人にもはばかりなく語れる、のだとか。

 なんじゃ、そら。

 そんなもん、個々の気持ちの持ちようだろうがよ。

 ってか、アンタらの信仰とやらは、その程度で遠慮してしまう程度の信仰なのか、と軽蔑したくなりますな。

 これは、まさに逆なんじゃないの?

 「各個人が政治的主張を持っていますが、誰に対しも分け隔てなく、音信を語れます!」ってのがホンマもんの信仰だと思うがね。

 政治的主張などという、いかにも人間的で属人的な思想を宿した程度で自信を失う信仰なら、捨てちまいな、って。


 で。

 この5つの事を念頭に置いて、信者は自分の行動を決めなさい、とくる。

 その上で、法で投票を求められているケースや、法で求められてはないものの、身に危険が及ぶような場合には、各人で判断しろ、と。


 やれやれ、だな。

 こんな薄弱なこじつけのせいで、多くの信者が精神的苦痛を余儀なくされているのか…


 謎なのは、この記事は冒頭で、「投票行動」そのものは否定しない、とわざわざ書いていることで。

 法人の理事会が求める信任票や、会衆内の運営委任に関して、一票を投じることは、別に問題ない、と。

 

 いやいや、この記事で持ち出された3つ目の視点で言うなら、そーゆー多数決にも参加すべきではないじゃないの。

 投票により決定した事項や、委任代行者である理事達が罪を犯したら責任もてんから、投票出来ないやん。

 それに、5つ目の原則を当てはめるなら、意見を異にした人に、「はばかりなく」語れなくなるよね。信仰が弱い人たちだから笑


 なんか、聞かれてもいないのに、「ある法人団体の理事会が行う投票」に問題は無い、とわざわざ断りを入れてから、選挙批判を始めるあたりが、もう涙ぐましい。

 ある法人団体とは、暗に、いや、明らかに自分達のエホ教団を指しているのであり。

 あえて最初にそこを保護してからで無いと、自分達の組織運営手法にツッコミが入る事を十分意識しているからこそ、こんな言い訳がましい論理構成になっているのだろう。


 まあ、そもそも、ワシは法人や団体が民主的投票方式で物事を決定するプロセスと選挙を混同して語るつもりはさらさら無いが。

 教団が5つの原則で選挙投票拒否の正当性を訴えるなら、そこにも物申したくなるのが、人情でしょうに。



 それにしても。

 もし信者を啓発するなら、特定の政治的主張を教団内で流布したりしないよう求めるだけで、充分だと思うのだが。

 確かに、極端な思想や政党支持のスタンスを、宗教というフィールドに持ち込むべきでは無い、という考えには大いに賛同するが。

 お得意の「行き過ぎたルール」で、信者の行動の枝葉末節まで束縛しようとするスタンスは、呆れるばかりのパリサイ的行動原理ですね。


 ホンマに、自信がないんだろーなー。

 この人たち。



 日本のように、ある程度成熟した民主主義が行き渡った環境なら、選挙なんて、かなりシステマチックに捉えることも可能だし。

 政治的主張、とまで昇華されていない、生活や環境の改善を望んで一票を託す程度の権利を、世紀の大問題のように取り立てて騒ぐことじゃないだろーに。

 ホンマ、彼らの態度や主張はバカバカしい、に尽きる。



 今日の昼飯は、ムジカフェの、4品デリでした。なんかとっても茶色いチョイスになってしまいましたが😅


 それより驚いたのが、約2年ぶりにきてみたら、値段が1.5倍になってたこと!

 いやいや、給料は上がらないのに、これは厳しいよー。


 って事で、ワシは。

 そんな、ささやかな生活上の不満?を解消すべく、選挙公報をジロジロみながら、誰に投票するかを決めることにしますわ。


 ではでは、皆さん。

 よい一日を✋

 なんでもない平日の夕刻。


 故郷に降り立ったワシは、晩秋の冷気を浴びながら、なんとも言えない寂寞の感情に満たされるのを感じて。



 自分の乗ってきた電車が、ゆっくりと発車するのを見送りながら、この感情はなんだろう、と、暫し考える。


 故郷に帰ってきた時の懐かしさは、確かにある。

 が、その感情の陰に、わずかな後悔と、少しの怯えと、それを隠そうとする強がりを見た。


 駅前のホテルにチェックインしたワシは、インスタのDMで、甥っ子に連絡を取る。ちなみに甥っ子はもちろん、全くのノンエホである。

 甥っ子はこの街でバーを経営してるので、「今日は店にいるか?」と。


 残念ながら、その日は予定が合わず。

 ただ、店にサービスするよう連絡しておくので、飲んで帰ってよ、という優しい返事がきた。


 ホテルのベッドで横になってその返事を見るワシは、なんだか自分を笑いたくなり、ふっと天井を見上げる。



 両親が亡くなって久しい。

 だから、故郷に戻る事は殆どなくなり、今回はたまたま出張での帰郷だ。

 元Jの兄が住む実家には明日、顔を出すつもりだが、恐らく兄は仕事で不在だろうし、そもそも最近はこの兄とは口も聞かない。


 親父が集中治療室に入った時、輸血拒否を医師に伝える、と言い出した兄にブチ切れたワシは、文字通りボロクソに兄を罵った。


 それ以来、その兄はワシの目を見ない。

 まあ、しゃーない。


 だからワシは、実家に帰っても、今や居る場所が無いのだ。

 きっとそれをワシは、寂しい、と感じている。


 甥っ子に連絡したのも。 

 彼なら宗教も兄弟間の確執も関係なく、「おっちゃんお帰りー」って迎えてくれるはず、という寂しい中年の蜘蛛の糸で。

 そんな現実から逃げる自分を実感したので、ワシはホテルの部屋で自嘲的に天井を見上げたわけだ。


 甥っ子の気持ちをありがたく受け取りつつも、バーで店の女の子とヘラヘラする気持ちでもなかったので、晩飯にありつくために、駅前の大衆食堂に向かった。

 ワシがいた頃とはすっかり変わった街の中で、この食堂の一画だけはパッケージングされた昭和の空気感が残っている。


 おおよそ洒落っ気のないテーブル。 

 店のオヤジは無愛想に、壁上のテレビを見ながら、ぼーっと佇んでいる。





 が。

 出てくる飯は、安くて美味い。


 生中を煽り、空間に酔う。

 この店は小中の同級生の店で、オヤジはその同級生のお兄さんだ。


 ワシ、○君と同級生なんですよ、と、オヤジに話しかけ、暫し盛り上がる。こんな些細な事が、沁みたりする笑


 

 店を出たワシは、少し遠回りしながらホテルへの帰途につく。

 晩秋の夜の冷気が、飲んだ後の火照った頬を触り、なんとも気持ちがいい。

 田舎の地方都市は夜が早く、店は殆ど閉まり、暗闇に信号が点滅する景色が、侘しかった。

 


 ワシの頭に、ある晩の出来事がよぎった。



 ゴリゴリの現役だった二十歳そこそこのワシは、毎晩、自分のアパートに同年代のJWを招いて、深夜まで語り明かした。

 あの姉妹が可愛い、だの。

 誰それ兄弟が結婚する、だの。

 そんな他愛のない話や。

 集会で励まされた話、最新のものみの塔の記事の話、個人研究の重要性、など。今思うとバカらしくて欠伸が出る。

 そして、その日も、3人の現役とワイワイ楽しくしていたのだが。


 と、突然、固定電話が鳴った。


 電話の相手は、高校の同級生N君だった。

 当時のワシはまだ、地元に帰っては車自慢をし合ったり、飲みに行ったりと、故郷の世人ツレとの交友があった。


 N君の電話は、近日、地元でみんなと集まって飲もう、となっているが、ほすまんも来いよ、というお誘いだった。

 電話の向こうで数人の同級生の気配があり、後ろから「ほすまん、来いやー!」と囃す声も聞こえた。


 が。

 ワシは、部屋にいるJWの友人の目が気になった。ここで、「世との交友」を楽しむ自分を見せるわけにはいかない。

 それに、この交友は、神が憎まれるものだから、それを断ち切る良い機会では無いか、という、悲しいながらもピュアな思いがしゃしゃり出た。


 咄嗟に、無愛想な声で、「行かへんよ」と返した。いつもの調子と違うその返事に驚いたN君は、「お前、どーしたの?」と不満げに聞いてくる。

 そんな彼の言葉に対して、被せ気味に、「今何時だと思ってんのよ?」とワシは返した。時間は深夜11時だった。

 N君は、「あ?そーかよ!ならえーわ!」と言って電話を切った。


 スカした顔で振り返ったワシを、その場のエホ友は褒めてくれた。

 旧友に突然つれない態度を取るイタイ男を、誉めそやす、それはそれはカルティーな光景である。


 二十代前半を境に、ワシは故郷のツレどもとの交友を一切、絶ってきた。

 それが正しいと思ったし、それがJW的にカッコいいと思ったからだ。

 結婚して、子供ができて、教団内でのキャリアアップに夢中になってからは、ますます宗教に傾倒した。


 

 そして、その挙句。

 「真理の組織に所属した立派な人間」という役回りを演じた白昼夢は、40歳を前にして、霧散した。


 バカである。


 すると、どーだろう。

 この中年男は、途端に過去を懐かしみ始め、途中の無礼など何事もなかったかのように、世人とのノスタルジックな空間を共有したい、というワガママな思いに満たされはじめたのだ。


 情けない。


 

 故郷の駅に降り立った時、「懐かしさという感情の陰に、わずかな後悔と、少しの怯えと、それを隠そうとする強がりを見た」理由。


 それは。

 「真理」というマジックワードに翻弄されて大切な友人達を自ら突き放した自分への後悔。

 小さな街だから、バッタリと旧友に再会した時に、軽蔑の目で見られるのでは無いか、という怯え。

 なのに、それでも「オレは傷ついてなんかいないよ」と、虚勢をはりたいバカな強がりだった。



 ワシは、過去を捨てた。

 共に育ち、幼き日を共にしてきた多くの友人の思いに背を向けてきた。


 しかし、その動機となったカルトも捨てた。

 つまり、カルト時代の交友も、中年になってから、捨てた。


 もう、自業自得の権化だが。

 だから。

 ワシには、故郷にも、教団にも、まともな居場所はないのだ。


 それを、とても寂しく思っている。


 そんな事が、今回の帰郷で鮮明になった。

 アホな中年である。



 翌朝、仕事前に実家に寄り。

 朝飯をスタバで食べた。



 この場所は、学ランで「奉仕活動」に勤しむワシがやらかした場所だった。

 ピンポンを鳴らして出てきたのは、同級生のアイドル、エリちゃんだった。

 慌ててワシは、逃げた。

 ある種、ガチのピンポンダッシュである。


 そんな、エリちゃんの家はもちろん、周辺の区画がゴッソリなくなり、広大なスタバと蔦屋書店に変貌していた。

 なんだも言えない気持ちで、もしゃもしゃと朝飯を詰め込む。


 出張先には、路線バスで向かった。

 その車窓に映る景色は、中学、高校と奉仕をしまくっていたので、街の隅々、遠くの集落まで全てを把握しているワシにとって、全てが懐かしい光景だった。


 奉仕終わりに親父に迎えをお願いした電話ボックス。親父を待ったレコード屋。

 チャリで50分かけて向かった集落の水路。

 あそこのカモやメダカたち。

 移り変わる車窓が、遠くなっていく。


 ワシは当時、何を見て、何を思っていたのだろう。



 真理の道、と意気込み、やがて終わるこの世への同情に近い、いや、傲慢に近い思想に振り回された挙句、ワシは大切な時間や人を蔑ろにしてきたのだろう。



 帰路。

 なんとなく、昨日より侘しく見える駅に立つ。


 秋の夜は、物悲しい。



 

 全てが、自己責任である。

 こんな未来は、どこかで予想できたはずだから。


 そんな理性に蓋をしてきたのは、何者でも無い、自分で。

 その時その時に、カッコつけて、時に他の人を傷付けて生きてきたツケが、今の自分だ。


 恥ずかしい限りだ。



 帰りの電車に乗りつつ。

 窓に反射する、すっかり老けた自分を見ながら、思う。


 宗教という装置が、誰かの人生の一部である、時間を盗むことがあるなら。

 そのことに気付いた時に、素直にそのレールから降りた方が良い。

 後で気付いても、取り戻せない事があるのだ。


 ワシは、そ気付くのが遅過ぎた。




 JWや、他のカルトに所属している人たちよ。

 本当に大切なものを見失う前に、気付いて欲しい。


 宗教という色眼鏡を通さずに、愛すべき人を愛し、共に時間を過ごしたい人と夜を明かせ。


 そうする事が出来れば。

 晩秋の寂寞は、少し色を変えて貴方を迎えるに違いない、と。



 ワシは思うのです。

 

 義父がイタイ。

 もう、イタ過ぎて笑えない。


 義父は結婚後間も無く妻と共にJWに傾倒し、長老、大会監督、都市監督などの要職を歴任してきた。

 特権好きのJWのことである。

 どこに行っても義父はチヤホヤされていた。


 会衆ではずーっと主宰。

 大会では支部からの訪問者と共に大名行列さながらの行脚を披露して。昼休みは会場管理とかの理由で大量の「部下」を従えて、そこどけそこどけ、と。もう、白い巨塔である。

 とにかく、何かの集まりの類ではよく目立つ場所にいて、プログラムもそこそこの頻度で用いられていた。


 聖書的知識は薄く、話はド下手だった。

 講演ではくだらんジョークを交えて、愛想笑いする主婦層の反応を真に受けてご満悦。

 大会で目立つプログラムを果たすと、終了後も会場内を彷徨きまくり、帰ろうとしない。褒めて欲しい、チヤホヤして欲しい、をモロに態度に出す人だった。


 知識も話の技量もないから、大会のプログラムや、時に訪問講演の原稿すら、妻や、我々義理の息子たちが交代で監修した。いや、ゴーストライターした。


 目立つことは好むが、地道な善行には関心が無い人だった。


 とにかく、ええかっこしいで。

 お金やメシで人を繋ぎ止めるタイプ。


 遠方からの客人には迷いなく「泊まっていきなさい」と勧めていたので、家は常に多くの客人で溢れた。

 が、準備も後始末も、全て妻任せ。

 妻は、ヘトヘトになりながら、しょっちゅうくる客人を立派な料理でもてなした。

 義父は自宅で催される宴会の相手が欲しかっただけで、虚栄心はしこたまあっても、そこに暖かな親切など殆ど無かったのだと思う。

 そして客人の帰り際、これ持っていきなさい、と封筒を渡す。

 そう、現ナマだ。

 やりくりは妻に任せっきりなのに、気は大きい。他人への浅はかな支配欲求なんだろう。


 

 歳を経て、世代交代も進み。

 そんな義父の特権も減り始める。


 すると途端に焦燥感に駆られ、権威を笠にきた発言が目立つようになり。

 呆れた義理の息子たちのサポートがなくなったので、話し下手も一層、露呈し始めた。


 妻の認知が始まったため、親族で話し合い、長老を辞任させ。時間はかかったが、開拓も辞めさせた。

 そうすれば、流石に家族に目を向けると思ったのだが。


 義父は一層醜態を晒すようになる。

 認知の妻を無理やり奉仕に連れ出し、周りに「頑張ってる感」を出すことに腐心し始めた。

 暑い日も寒い日も、認知の妻を「奉仕」と称して、外へ連れ出すわりに、妻がコンビニで粗相をしても、知らぬふりで。

 たまりかねた奉仕仲間が娘たちに連絡を入れて、後始末をさせた。

 すみません、ご迷惑をおかけしました、と恐縮する娘や孫を置いて、自分はレジのお姉さんとヘラヘラ喋っていたそうだ。


 もう、クズである。


 勝手に高額な買い物をして借金をするし。

 年金を渡したら、ええかっこしいが高じて、それを他人に貸し始めた。

 通帳がマイナスになっても、ローンを娘に肩代わりしてもらっても、「そんなことしてない」と惚ける。

 妻を担当する女性ヘルパーさんには、「ボクの唯一の女性だから、自分でお世話したい」と、自己陶酔気味に語るくせに、家族には、妻を「早く施設にいれてくれ」としつこい。

 

 施設に入れるのにもお金がいるのだよ、諭しても、「お金はあるはずだ」と惚ける。人生の半分を「開拓」とやらに費やしているので、年金は平均より少ない。

 が。

 自分は払う気が無いので、全くそれを悩むそぶりもない。



 この男は、自分さえ良ければ、他はどうでも良いらしい。

 若い時から身を粉にして自分を立ててくれた妻のことには、利用価値がない今、殆ど関心がなく。

 今後も金はどーせ子どもらが何とかしてくれると、たかを括っている。


 認知の進んだ妻がお漏らししてもほっておくし、服が臭くなっても、そーだったか?と惚ける。

 以前、妻が転んで流血した時も、「ワシも病院に付き添わなあかんか?」とかと面倒くさそうに言うし。

 そのくせ、自分は長生きしたいらしく、高価なサプリを通販で買い込んだりしている。

 掃除もまともにしないし、料理なんてする気が無い。


 もう一度言うが、クズである。



 まあ、ワシにとって良かったことと言えば。


 なんだかんだ言っても嫁を世に生み出してくれたわけだし。

 節操はないが、義父は人好きだから、ヨメの親としては付き合いやすくはあった、ってことくらいか。




 少なくとも、過去数十年。

 JWという組織で、義父は「信者の模範」であり、立派な「特権持ち」として、偉そうに人前で「講演」し、数千人規模の信者を「監督」する立場にあったわけで。

 

 JWという宗教の特権システムは、こうした人間としての本質が劣悪で空っぽな男にも、少々取り繕えさえすれば、大いに登用して信者支配を委任する。

 そう、ガバナンスの行き届かない欠陥宗教なのである。

 


 長老でも、何ちゃら監督でも、開拓者でも無い、謙虚な良き夫、男、義父を見たかったのだが。

 長い間、妻に神輿を担がせていたのだから、引退後は妻の福祉に入れ込む、暖かな夫婦愛を見たかったのだが。


 この男には、無理なようである。


 

 ワシは。

 JWの「特権」に人生を翻弄されそうになったが、それが幻影であり、自己を不可逆的に蝕みそうだ、と察知して脱塔した。


 が。それでも。

 ワシはこの先、大丈夫だろうか、とも思う。


 ワシは今の社会的地位や、役職を失う歳になった時。

 ある時から名札がなくなった時、今と同じようなスタンスで義父を非難できるような生き方が出来るのだろうか、と。不安になったり…

 


 ワシは何者でも無い。

 ただ、人として、まともでなければならない。


 まともでいたい、と。




 こんな事が心配になるってのは、ワシも歳を経った証拠だろう、と。


 最近思う。

 すっかり秋めいた朝。

 通勤で駅のホームに立つワシは、実の兄弟で作ったグループLINEに、ノンエホの兄がメッセージを入れているのに気付く。



 そう、母の命日が、今年も来たのだ。

 

 実家に仏壇など勿論ないが、床の間に飾った両親の写真に、実家住まいのエホ兄に「代わりに声かけ」してくれ、という。

 兄の優しい人柄が、沁みる。



 母が逝ったあの日も、秋の冷気が忍び寄る、曇天の1日だった。

 深夜に長兄から電話が入り、母が救急車で運ばれたこと。

 その後、血圧が低下して、おそらく朝まで持たない事を知らせるLINEが入った。

 

 母は長らく闘病生活だったし、症状は悪くなるばかりだったが、これ以上、施す治療もないとの事で、前日の午後に退院して、数カ月ぶりに自宅に戻ったばかりだった。

 ワシら家族は、最後の日々を自宅で楽しく過ごさせてあげようと、その週末にみんなで集まって母を囲み、食事をする予定にしていた。


 が。

 母は、それを待ってくれなかった。


 深夜の長兄のLINEに胃が縮んだワシは、状況を知るべく、すぐに電話をした。


 電話に出た長兄は、漏れ出る嗚咽を抑えながら、「お母さん、ダメやったわ」とだけ、答えた。

 電話からは、長兄の震える声と重なるように、オヤジの慟哭が聞こえた。

 真っ暗な部屋でその音を聞くワシは、膝から崩れ落ちる、という経験を初めてした。


 翌朝、家族を連れて故郷に戻り、すでにセレモニーホールに安置された母と対面した。


 ワシは、妻とワシの子どもたちの前では泣かないでおこう、と決めていた。

 なぜだかは、分からない。

 だが、強い父性に憧れていたワシなりの意地だったのでは、と今は振り返る。


 先に着いていた次兄に促され、畳に寝かされた母と対面した時、自己抑制機能が働くより前に、涙が溢れてしまった。


 お母さん…


 絶句してそばに座り、暫し、時間が止まった。

 死後数時間が経つ母は、生前と違う顔をしているように見えた。あの柔和な笑顔を作り出してきた表情筋は冷たく顔に張り付くだけで。

 感情を失った土気色の母の顔が、脳裏に焼き付いた。



 人生とは、儚いものである。

 ワシを慈しみ、時に譴責し、共に喜び、共に笑った母は、鼓動が止まるとともに、生命の灯が消え、ただの肉の塊になってしまったのだ。



 ワシのなかでは。

 母との別れは、人生最大の苦悩だった。


 母が亡くなって数日後。

 親父が心配で再び1人で実家に戻った。


 兄達が訪れるのを待っている間、リビングのソファーでボーっとするワシは、耳元に伝わる微かな音に気が付いた。


 それは、傘に粉雪がカサカサと積もりゆく、あの音に似た、何かの囁きのような音で。

 続いて、パチ、パチ、と。

 水滴が床板に叩きつけられる音がした。

 

 ふと、音の方向に目を向けると。

 ワシにコーヒーを淹れようとしていた親父が、壁に寄りかかりながら、「しゃあねえ、しゃあねえ」と掠れた声で呟いていた。

 涙は頬を伝わり、フローリングを叩いた。


 正に、男泣き。


 思わず立ち上がってその背中をさすったワシも、涙を堪えられなかった。



 そんな親父も、10ヶ月後に呆気なく逝った。


 母の死から立ち直る時間を全くくれなかった親父。


 ノンエホ兄がポツっと。

 人間は、悲しみが容量超えると、何も感じなくなるんだよな、と。



 ワシは。

 身体の内に溜まった悲しみのエネルギーがうまく発散出来ずに、悶々と過ごした。

 

 が、両親の魂が霧散して数日後。


 夜に浴槽に浸かりながら、思いっきり泣いてみよう、と思い立ち。

 喉の奥の奥の、もっと奥の方にある悲しみの塊を、必死で出そうとした。


 最愛の両親がこの世にいない、二度と会えない、という事に今更ながらに戦慄したワシは。

 微かにあった強がりの壁を破って、内奥から強烈な感情の波が込み上げるのを感じた。

 その悲しみの塊は、吐き出す時に嵐のように声帯を振るわせ、轟音となって大気に散った。


 浴室でこだました悲しみの塊。

 幼い頃に転んで膝を擦りむいた時のように、ただ、ただ、泣いた。

 

 驚いてヨメが様子を見に来るほどだったが。

 その悲しみは、大気に拡散され、ワシの中から重さが消えた。


 そしてその時から、ワシを包む空気が変わったのだ。




 秋の朝。

 見上げた空に、母の顔が霞む。



 そして、思う。

 ワシのライフストーリーの中で。

 JWの事は、日に日に、小さく、薄くなっている、と。


 

 ワシの中では、親、家族との間にある愛情は人生で疑いようのないものであり。

 それに纏わる瞬間瞬間の映像は次々と蘇るが、その復刻される記憶の中で宗教が幅を利かすことは、少なくなりつつある。


 ワシと親との関係の中で、宗教信条はそんなに重要でなかったのかも、とすら思う。



 脱塔して10年以上経ち。

 JWというものを俯瞰して見れば見るほど、くだらない、あんなものは一介のカルトだ、ということが鮮明になる。


 それは世界唯一の真理では無く。

 聖書を正しく解釈する真のキリスト教でも無く。

 19世紀に勃興した新宗教の一派で。

 あらゆる偶然と欲望が宗教的淘汰に耐えただけの、ちっぽけなエセキリスト教サークルに過ぎない。

 似たような悪趣味な新宗教は他にもたくさんあるし。

 その大勢いる、社会的スポイルファクターの一つに過ぎないのだ。


 その昔、脱塔時にお世話になった某牧師は、もはやJWを宗教扱いするのでは無く、「ものみの塔運動」と呼び、歴史の中の一つのムーブメントと位置付けておられた。


 言い得て妙である。


 そう、JWなど、歴史の中ではただの「流行りモン」なのであり。

 その程度の薄っぺらなキリスト教ごっこなのだ。


 そう言えば。

 なんだか最近、大学進学が再び解禁されたのだとか。


 もう、怒る気にもならない。

 怒るにも値しない。



 義父母を見ていると、JWのクリスチャンごっこが、誰かの人格を陶冶することなど、無い、と確信するし。

 彼等は人並みに冷酷で欲深いし、意地悪で格好付けだ。

 JWを続けることで人生に何か意味が加わるとは、到底思えない。


 一方で。

 ワシは親や家族への愛が、JWであったことで強まったとも弱くなったとも思っていない。

 もちろん、入信したことで余計な危機とストレスはあったが。

 ワシがJWであっても無くても、大切な事は大切なままだったし。

 絆は、揺れることも無くなることも無かった。



 そう。

 だから、JWなんて、ただの暇つぶし程度のチンケな社会悪なのだ。


 そんな悪趣味なサークルの一員だった事は、ワシにとって、もはや苦笑いでしか無い。



 いまだに、脱塔者のサポートや、自立支援、時には組織糾弾の先鋒に加わらないか、という趣旨のお誘いを受けることがあるが。

 いつも、お断りしている。


 薄情に見えるかもしれないが。


 もはやワシにとって、JW問題など、貴重な時間や労力を使って取り組むような問題では無くなっているのだ。


 まあ、現役親族とは死ぬまで付き合いがあるのだろうし、JWの旧友が助けを求めてきたら、一肌脱ぐ程度のことは、今後もあるだろうが。


 JWなんて。

 もう、どーでもいい。

 勝手にしてくれ、なのである。



 なんか、取り留めなくなってきましたが笑


 母が逝った日々。

 ワシは、それなりの成長と。

 それなりの常識をやっと、手に入れようとしているのかもしれない。


 と、言うことで。

 コーヒータイム、終わり。

  

 やっとコーヒーから湯気が出る季節になりましたね。



 今日はこれから、飲み会やねん。


 ではでは皆さん。

 健やかにお過ごしくださいな😊