梅雨の季節になりましたね。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
ワシは最近、再び読書にハマっています。
数年に一度、活字を大量に取り入れたくなり、あらゆる本を買って読み漁ります。
で、満足すると、また数ヶ月から数年、全く読まなくなる、という。
変態です。
この前読んだ小説に、とても心に響く言葉がありました。
人生における、とてもシンプルな真理、というか。
先端医療を司る医師を題材にしたフィクションなのですが、そこに登場する魅力的な医師や、大学病院の経営陣、患者などの心理描写が素晴らしく、分厚い文庫でしたが、あっという間に読了しました。
この作家は、専門性が強く求められる世界を演出するために、相当緻密な取材をしたうえで執筆したらしく、後書きでは、現実の医療の最前線で働く医師からも、「現実世界に近い」との評を得るほどの力作でした。
さて。
この作品のある場面で主人公は、葛藤を抱え苦悩しつつ、こんな事を語るのです。
自分が出会ってきた多くの患者は、さまざまな決断を強いられる中で、孤独と闘い、ときに誰かに助けられながら、自分で道を決めてきた。
自分で道を選んだ患者は、結果が自分の望んだものとは違ったとしても、後悔をすることなく、自分の人生を受け入れた。
逆に、人に決定を委ねた者は、何事においても不満を抱く。
医療者も患者も、自分で進む道を選ばなかった者は、少しでも自分が考えていた経過と違うと、誰かを責める。
こんな事になっているのは自分のせいじゃない、お前のせいだ、と訴える。
人生の意味は、自分が納得できるか、だ。
結果がどうあれ、自分が決めた道なら後悔はない。
刺さりました。
正に、医療現場のみならず、人生そのものではないか、と。
仕事でも家庭でも、あまりに他責志向の跋扈する近年の風潮ゆえに、問題が起きても、とにかく他者に要因を求め、自分を諌める場面に出くわす。
ワシの脱塔経緯も、こんな他責思考との壮絶な闘いだった。
親から継承されたカルトに束縛された日々を呪って見せるくせに、家庭環境や経過した時間を理由に、離脱する苦悩に立ち向かうことから逃げ続けていた。
そして、心のどこかで、いつも他責思考が蠢いた。
カルトから出られなくても、仕方ないよ。
親に小さい時から洗脳され、家族や友人を信者で埋め尽くされたのだから。
ネットに浸ると、こんなワシをみんなが慰める。
仕方ないよ!
ほすまんはよく頑張ってるじゃん!
離脱できなくても、大丈夫だよ!
僕たち、私たちは、君のことを理解してるよ!
だから、一緒に留まりながら、教団や親を呪いながら、ガス抜きして生きていこう!
君は悪くない、悪くない…
仮初の安心が、ワシを支えた。
が。
そんなワシに本当に必要だったもの。
それは。
「さまざまな決断を強いられる中で、孤独と闘い、ときに誰かに助けられながら、自分の道を決める」ことだった。
「結果が自分が望んだものと違ったとしても、後悔することなく、自分の人生を受け入れ」る事ができる道を選択する勇気だった。
今。
ワシも、心から思う。
「人生の意味は、自分が納得できるか、だ。」
ワシにとって。
離脱に伴う苦しみや傷を誰かのせいにして回避し、死ぬまでカルトメンバーとして生きて行くことは、全く納得のいかない人生だ。
誰が慰めても。
誰が唆しても。
覚醒しつつも教団に留まる道を選択することは、人生の意味を無くすに等しいものだった。
ワシは、ワシの納得できる道を進む事が、死ぬより大事だったから。
もし、まだ、のほほん、と信者ヅラして留まっていたら、どーなっていただろう?
きっと。
ワシの生い立ちを考えると、しゃーないさ。
誰それも、そーした方がいい、って言ってたし。
ヨメも、親も、波風立てるな、って言ってるし。
親が悪いのさ。
組織が悪いんだ。
いや、社会構造の問題じゃねーか?
2世信者は同情されて然るべきだ。
法律変えろよ。
教団潰せよ…
とかって、自分を慰めてたろうな。
ヤバ。
マジで、ありそうで怖い。
ワシは、そんな奴だから。
でも、死ぬまでそんな言い訳してる人生なんか、ゾッとするよ。
そしてね。
忘れちゃならんのは。
たとえ脱塔したからと言って、無条件に幸せが待っていたわけではない、って事。
脱塔後、親子関係も、家族関係も、親戚付き合いも、お世辞にも上手くいったわけではない。せいぜい、いまだに、微妙なラインといったところ。
途端に仕事がうまくいくこともなかったし。
脱塔後に起業した、投資が上手くいった、資格をとって転職した、といったキラキラ系の投稿をよく見掛けるが、ワシに限って言えば、そんな事も全くない。
素敵な出会いがあったわけでも、もちろんないしね(もちろん、そんな歳ではないので笑)。
言ってみれば、穏便に信者ヅラしてた方が、ある意味、それなりに穏やかな日々だったかもしれないのだ。
脱塔することによって、かえって抱えなくて済むストレスを数多く拾ってきた、と言えなくもないから。
が。
しかし。
ワシは、大切な事を知っている。
そう。
ワシの道は、ワシが選んだのだ。
だから。
この道がどんな結果を連れて来ようと、ワシは自分の人生に納得している。
このことは。
どんな事より重要で。
どんな事より尊い、ワシにとっての人生の美学に等しいのだ。
仕事帰りに、駅前に立つ若いJW男女を見かけた。
君ら。
目が死んでるぞ。
君らが、ホンマに信じてるなら、ええよ。
勝手にしてくれ。
が。
少しでも覚醒してるなら、納得できる選択をしなさい、と。ダサすぎるぞ。
お節介にも心で毒づきながら、彼らの前を通り過ぎる。
カッコよく生きることは、ワシにとって重要だ。
ワシにとってのカッコよさは、他責に溺れるのではなく、自分で信じた道を、自ら選択し、その選択に責任を持って生きることだ。
キラキラした日々が待っているわけではない。
友達も、家族すらも離れて行くかもしれない。
だけど。
ワシは、自分の人生に納得している。
意外にも、文庫本に読み耽る午後に、そんなことに、気付いた。





