なんでもない平日の夕刻。


 故郷に降り立ったワシは、晩秋の冷気を浴びながら、なんとも言えない寂寞の感情に満たされるのを感じて。



 自分の乗ってきた電車が、ゆっくりと発車するのを見送りながら、この感情はなんだろう、と、暫し考える。


 故郷に帰ってきた時の懐かしさは、確かにある。

 が、その感情の陰に、わずかな後悔と、少しの怯えと、それを隠そうとする強がりを見た。


 駅前のホテルにチェックインしたワシは、インスタのDMで、甥っ子に連絡を取る。ちなみに甥っ子はもちろん、全くのノンエホである。

 甥っ子はこの街でバーを経営してるので、「今日は店にいるか?」と。


 残念ながら、その日は予定が合わず。

 ただ、店にサービスするよう連絡しておくので、飲んで帰ってよ、という優しい返事がきた。


 ホテルのベッドで横になってその返事を見るワシは、なんだか自分を笑いたくなり、ふっと天井を見上げる。



 両親が亡くなって久しい。

 だから、故郷に戻る事は殆どなくなり、今回はたまたま出張での帰郷だ。

 元Jの兄が住む実家には明日、顔を出すつもりだが、恐らく兄は仕事で不在だろうし、そもそも最近はこの兄とは口も聞かない。


 親父が集中治療室に入った時、輸血拒否を医師に伝える、と言い出した兄にブチ切れたワシは、文字通りボロクソに兄を罵った。


 それ以来、その兄はワシの目を見ない。

 まあ、しゃーない。


 だからワシは、実家に帰っても、今や居る場所が無いのだ。

 きっとそれをワシは、寂しい、と感じている。


 甥っ子に連絡したのも。 

 彼なら宗教も兄弟間の確執も関係なく、「おっちゃんお帰りー」って迎えてくれるはず、という寂しい中年の蜘蛛の糸で。

 そんな現実から逃げる自分を実感したので、ワシはホテルの部屋で自嘲的に天井を見上げたわけだ。


 甥っ子の気持ちをありがたく受け取りつつも、バーで店の女の子とヘラヘラする気持ちでもなかったので、晩飯にありつくために、駅前の大衆食堂に向かった。

 ワシがいた頃とはすっかり変わった街の中で、この食堂の一画だけはパッケージングされた昭和の空気感が残っている。


 おおよそ洒落っ気のないテーブル。 

 店のオヤジは無愛想に、壁上のテレビを見ながら、ぼーっと佇んでいる。





 が。

 出てくる飯は、安くて美味い。


 生中を煽り、空間に酔う。

 この店は小中の同級生の店で、オヤジはその同級生のお兄さんだ。


 ワシ、○君と同級生なんですよ、と、オヤジに話しかけ、暫し盛り上がる。こんな些細な事が、沁みたりする笑


 

 店を出たワシは、少し遠回りしながらホテルへの帰途につく。

 晩秋の夜の冷気が、飲んだ後の火照った頬を触り、なんとも気持ちがいい。

 田舎の地方都市は夜が早く、店は殆ど閉まり、暗闇に信号が点滅する景色が、侘しかった。

 


 ワシの頭に、ある晩の出来事がよぎった。



 ゴリゴリの現役だった二十歳そこそこのワシは、毎晩、自分のアパートに同年代のJWを招いて、深夜まで語り明かした。

 あの姉妹が可愛い、だの。

 誰それ兄弟が結婚する、だの。

 そんな他愛のない話や。

 集会で励まされた話、最新のものみの塔の記事の話、個人研究の重要性、など。今思うとバカらしくて欠伸が出る。

 そして、その日も、3人の現役とワイワイ楽しくしていたのだが。


 と、突然、固定電話が鳴った。


 電話の相手は、高校の同級生N君だった。

 当時のワシはまだ、地元に帰っては車自慢をし合ったり、飲みに行ったりと、故郷の世人ツレとの交友があった。


 N君の電話は、近日、地元でみんなと集まって飲もう、となっているが、ほすまんも来いよ、というお誘いだった。

 電話の向こうで数人の同級生の気配があり、後ろから「ほすまん、来いやー!」と囃す声も聞こえた。


 が。

 ワシは、部屋にいるJWの友人の目が気になった。ここで、「世との交友」を楽しむ自分を見せるわけにはいかない。

 それに、この交友は、神が憎まれるものだから、それを断ち切る良い機会では無いか、という、悲しいながらもピュアな思いがしゃしゃり出た。


 咄嗟に、無愛想な声で、「行かへんよ」と返した。いつもの調子と違うその返事に驚いたN君は、「お前、どーしたの?」と不満げに聞いてくる。

 そんな彼の言葉に対して、被せ気味に、「今何時だと思ってんのよ?」とワシは返した。時間は深夜11時だった。

 N君は、「あ?そーかよ!ならえーわ!」と言って電話を切った。


 スカした顔で振り返ったワシを、その場のエホ友は褒めてくれた。

 旧友に突然つれない態度を取るイタイ男を、誉めそやす、それはそれはカルティーな光景である。


 二十代前半を境に、ワシは故郷のツレどもとの交友を一切、絶ってきた。

 それが正しいと思ったし、それがJW的にカッコいいと思ったからだ。

 結婚して、子供ができて、教団内でのキャリアアップに夢中になってからは、ますます宗教に傾倒した。


 

 そして、その挙句。

 「真理の組織に所属した立派な人間」という役回りを演じた白昼夢は、40歳を前にして、霧散した。


 バカである。


 すると、どーだろう。

 この中年男は、途端に過去を懐かしみ始め、途中の無礼など何事もなかったかのように、世人とのノスタルジックな空間を共有したい、というワガママな思いに満たされはじめたのだ。


 情けない。


 

 故郷の駅に降り立った時、「懐かしさという感情の陰に、わずかな後悔と、少しの怯えと、それを隠そうとする強がりを見た」理由。


 それは。

 「真理」というマジックワードに翻弄されて大切な友人達を自ら突き放した自分への後悔。

 小さな街だから、バッタリと旧友に再会した時に、軽蔑の目で見られるのでは無いか、という怯え。

 なのに、それでも「オレは傷ついてなんかいないよ」と、虚勢をはりたいバカな強がりだった。



 ワシは、過去を捨てた。

 共に育ち、幼き日を共にしてきた多くの友人の思いに背を向けてきた。


 しかし、その動機となったカルトも捨てた。

 つまり、カルト時代の交友も、中年になってから、捨てた。


 もう、自業自得の権化だが。

 だから。

 ワシには、故郷にも、教団にも、まともな居場所はないのだ。


 それを、とても寂しく思っている。


 そんな事が、今回の帰郷で鮮明になった。

 アホな中年である。



 翌朝、仕事前に実家に寄り。

 朝飯をスタバで食べた。



 この場所は、学ランで「奉仕活動」に勤しむワシがやらかした場所だった。

 ピンポンを鳴らして出てきたのは、同級生のアイドル、エリちゃんだった。

 慌ててワシは、逃げた。

 ある種、ガチのピンポンダッシュである。


 そんな、エリちゃんの家はもちろん、周辺の区画がゴッソリなくなり、広大なスタバと蔦屋書店に変貌していた。

 なんだも言えない気持ちで、もしゃもしゃと朝飯を詰め込む。


 出張先には、路線バスで向かった。

 その車窓に映る景色は、中学、高校と奉仕をしまくっていたので、街の隅々、遠くの集落まで全てを把握しているワシにとって、全てが懐かしい光景だった。


 奉仕終わりに親父に迎えをお願いした電話ボックス。親父を待ったレコード屋。

 チャリで50分かけて向かった集落の水路。

 あそこのカモやメダカたち。

 移り変わる車窓が、遠くなっていく。


 ワシは当時、何を見て、何を思っていたのだろう。



 真理の道、と意気込み、やがて終わるこの世への同情に近い、いや、傲慢に近い思想に振り回された挙句、ワシは大切な時間や人を蔑ろにしてきたのだろう。



 帰路。

 なんとなく、昨日より侘しく見える駅に立つ。


 秋の夜は、物悲しい。



 

 全てが、自己責任である。

 こんな未来は、どこかで予想できたはずだから。


 そんな理性に蓋をしてきたのは、何者でも無い、自分で。

 その時その時に、カッコつけて、時に他の人を傷付けて生きてきたツケが、今の自分だ。


 恥ずかしい限りだ。



 帰りの電車に乗りつつ。

 窓に反射する、すっかり老けた自分を見ながら、思う。


 宗教という装置が、誰かの人生の一部である、時間を盗むことがあるなら。

 そのことに気付いた時に、素直にそのレールから降りた方が良い。

 後で気付いても、取り戻せない事があるのだ。


 ワシは、そ気付くのが遅過ぎた。




 JWや、他のカルトに所属している人たちよ。

 本当に大切なものを見失う前に、気付いて欲しい。


 宗教という色眼鏡を通さずに、愛すべき人を愛し、共に時間を過ごしたい人と夜を明かせ。


 そうする事が出来れば。

 晩秋の寂寞は、少し色を変えて貴方を迎えるに違いない、と。



 ワシは思うのです。

 

 義父がイタイ。

 もう、イタ過ぎて笑えない。


 義父は結婚後間も無く妻と共にJWに傾倒し、長老、大会監督、都市監督などの要職を歴任してきた。

 特権好きのJWのことである。

 どこに行っても義父はチヤホヤされていた。


 会衆ではずーっと主宰。

 大会では支部からの訪問者と共に大名行列さながらの行脚を披露して。昼休みは会場管理とかの理由で大量の「部下」を従えて、そこどけそこどけ、と。もう、白い巨塔である。

 とにかく、何かの集まりの類ではよく目立つ場所にいて、プログラムもそこそこの頻度で用いられていた。


 聖書的知識は薄く、話はド下手だった。

 講演ではくだらんジョークを交えて、愛想笑いする主婦層の反応を真に受けてご満悦。

 大会で目立つプログラムを果たすと、終了後も会場内を彷徨きまくり、帰ろうとしない。褒めて欲しい、チヤホヤして欲しい、をモロに態度に出す人だった。


 知識も話の技量もないから、大会のプログラムや、時に訪問講演の原稿すら、妻や、我々義理の息子たちが交代で監修した。いや、ゴーストライターした。


 目立つことは好むが、地道な善行には関心が無い人だった。


 とにかく、ええかっこしいで。

 お金やメシで人を繋ぎ止めるタイプ。


 遠方からの客人には迷いなく「泊まっていきなさい」と勧めていたので、家は常に多くの客人で溢れた。

 が、準備も後始末も、全て妻任せ。

 妻は、ヘトヘトになりながら、しょっちゅうくる客人を立派な料理でもてなした。

 義父は自宅で催される宴会の相手が欲しかっただけで、虚栄心はしこたまあっても、そこに暖かな親切など殆ど無かったのだと思う。

 そして客人の帰り際、これ持っていきなさい、と封筒を渡す。

 そう、現ナマだ。

 やりくりは妻に任せっきりなのに、気は大きい。他人への浅はかな支配欲求なんだろう。


 

 歳を経て、世代交代も進み。

 そんな義父の特権も減り始める。


 すると途端に焦燥感に駆られ、権威を笠にきた発言が目立つようになり。

 呆れた義理の息子たちのサポートがなくなったので、話し下手も一層、露呈し始めた。


 妻の認知が始まったため、親族で話し合い、長老を辞任させ。時間はかかったが、開拓も辞めさせた。

 そうすれば、流石に家族に目を向けると思ったのだが。


 義父は一層醜態を晒すようになる。

 認知の妻を無理やり奉仕に連れ出し、周りに「頑張ってる感」を出すことに腐心し始めた。

 暑い日も寒い日も、認知の妻を「奉仕」と称して、外へ連れ出すわりに、妻がコンビニで粗相をしても、知らぬふりで。

 たまりかねた奉仕仲間が娘たちに連絡を入れて、後始末をさせた。

 すみません、ご迷惑をおかけしました、と恐縮する娘や孫を置いて、自分はレジのお姉さんとヘラヘラ喋っていたそうだ。


 もう、クズである。


 勝手に高額な買い物をして借金をするし。

 年金を渡したら、ええかっこしいが高じて、それを他人に貸し始めた。

 通帳がマイナスになっても、ローンを娘に肩代わりしてもらっても、「そんなことしてない」と惚ける。

 妻を担当する女性ヘルパーさんには、「ボクの唯一の女性だから、自分でお世話したい」と、自己陶酔気味に語るくせに、家族には、妻を「早く施設にいれてくれ」としつこい。

 

 施設に入れるのにもお金がいるのだよ、諭しても、「お金はあるはずだ」と惚ける。人生の半分を「開拓」とやらに費やしているので、年金は平均より少ない。

 が。

 自分は払う気が無いので、全くそれを悩むそぶりもない。



 この男は、自分さえ良ければ、他はどうでも良いらしい。

 若い時から身を粉にして自分を立ててくれた妻のことには、利用価値がない今、殆ど関心がなく。

 今後も金はどーせ子どもらが何とかしてくれると、たかを括っている。


 認知の進んだ妻がお漏らししてもほっておくし、服が臭くなっても、そーだったか?と惚ける。

 以前、妻が転んで流血した時も、「ワシも病院に付き添わなあかんか?」とかと面倒くさそうに言うし。

 そのくせ、自分は長生きしたいらしく、高価なサプリを通販で買い込んだりしている。

 掃除もまともにしないし、料理なんてする気が無い。


 もう一度言うが、クズである。



 まあ、ワシにとって良かったことと言えば。


 なんだかんだ言っても嫁を世に生み出してくれたわけだし。

 節操はないが、義父は人好きだから、ヨメの親としては付き合いやすくはあった、ってことくらいか。




 少なくとも、過去数十年。

 JWという組織で、義父は「信者の模範」であり、立派な「特権持ち」として、偉そうに人前で「講演」し、数千人規模の信者を「監督」する立場にあったわけで。

 

 JWという宗教の特権システムは、こうした人間としての本質が劣悪で空っぽな男にも、少々取り繕えさえすれば、大いに登用して信者支配を委任する。

 そう、ガバナンスの行き届かない欠陥宗教なのである。

 


 長老でも、何ちゃら監督でも、開拓者でも無い、謙虚な良き夫、男、義父を見たかったのだが。

 長い間、妻に神輿を担がせていたのだから、引退後は妻の福祉に入れ込む、暖かな夫婦愛を見たかったのだが。


 この男には、無理なようである。


 

 ワシは。

 JWの「特権」に人生を翻弄されそうになったが、それが幻影であり、自己を不可逆的に蝕みそうだ、と察知して脱塔した。


 が。それでも。

 ワシはこの先、大丈夫だろうか、とも思う。


 ワシは今の社会的地位や、役職を失う歳になった時。

 ある時から名札がなくなった時、今と同じようなスタンスで義父を非難できるような生き方が出来るのだろうか、と。不安になったり…

 


 ワシは何者でも無い。

 ただ、人として、まともでなければならない。


 まともでいたい、と。




 こんな事が心配になるってのは、ワシも歳を経った証拠だろう、と。


 最近思う。

 すっかり秋めいた朝。

 通勤で駅のホームに立つワシは、実の兄弟で作ったグループLINEに、ノンエホの兄がメッセージを入れているのに気付く。



 そう、母の命日が、今年も来たのだ。

 

 実家に仏壇など勿論ないが、床の間に飾った両親の写真に、実家住まいのエホ兄に「代わりに声かけ」してくれ、という。

 兄の優しい人柄が、沁みる。



 母が逝ったあの日も、秋の冷気が忍び寄る、曇天の1日だった。

 深夜に長兄から電話が入り、母が救急車で運ばれたこと。

 その後、血圧が低下して、おそらく朝まで持たない事を知らせるLINEが入った。

 

 母は長らく闘病生活だったし、症状は悪くなるばかりだったが、これ以上、施す治療もないとの事で、前日の午後に退院して、数カ月ぶりに自宅に戻ったばかりだった。

 ワシら家族は、最後の日々を自宅で楽しく過ごさせてあげようと、その週末にみんなで集まって母を囲み、食事をする予定にしていた。


 が。

 母は、それを待ってくれなかった。


 深夜の長兄のLINEに胃が縮んだワシは、状況を知るべく、すぐに電話をした。


 電話に出た長兄は、漏れ出る嗚咽を抑えながら、「お母さん、ダメやったわ」とだけ、答えた。

 電話からは、長兄の震える声と重なるように、オヤジの慟哭が聞こえた。

 真っ暗な部屋でその音を聞くワシは、膝から崩れ落ちる、という経験を初めてした。


 翌朝、家族を連れて故郷に戻り、すでにセレモニーホールに安置された母と対面した。


 ワシは、妻とワシの子どもたちの前では泣かないでおこう、と決めていた。

 なぜだかは、分からない。

 だが、強い父性に憧れていたワシなりの意地だったのでは、と今は振り返る。


 先に着いていた次兄に促され、畳に寝かされた母と対面した時、自己抑制機能が働くより前に、涙が溢れてしまった。


 お母さん…


 絶句してそばに座り、暫し、時間が止まった。

 死後数時間が経つ母は、生前と違う顔をしているように見えた。あの柔和な笑顔を作り出してきた表情筋は冷たく顔に張り付くだけで。

 感情を失った土気色の母の顔が、脳裏に焼き付いた。



 人生とは、儚いものである。

 ワシを慈しみ、時に譴責し、共に喜び、共に笑った母は、鼓動が止まるとともに、生命の灯が消え、ただの肉の塊になってしまったのだ。



 ワシのなかでは。

 母との別れは、人生最大の苦悩だった。


 母が亡くなって数日後。

 親父が心配で再び1人で実家に戻った。


 兄達が訪れるのを待っている間、リビングのソファーでボーっとするワシは、耳元に伝わる微かな音に気が付いた。


 それは、傘に粉雪がカサカサと積もりゆく、あの音に似た、何かの囁きのような音で。

 続いて、パチ、パチ、と。

 水滴が床板に叩きつけられる音がした。

 

 ふと、音の方向に目を向けると。

 ワシにコーヒーを淹れようとしていた親父が、壁に寄りかかりながら、「しゃあねえ、しゃあねえ」と掠れた声で呟いていた。

 涙は頬を伝わり、フローリングを叩いた。


 正に、男泣き。


 思わず立ち上がってその背中をさすったワシも、涙を堪えられなかった。



 そんな親父も、10ヶ月後に呆気なく逝った。


 母の死から立ち直る時間を全くくれなかった親父。


 ノンエホ兄がポツっと。

 人間は、悲しみが容量超えると、何も感じなくなるんだよな、と。



 ワシは。

 身体の内に溜まった悲しみのエネルギーがうまく発散出来ずに、悶々と過ごした。

 

 が、両親の魂が霧散して数日後。


 夜に浴槽に浸かりながら、思いっきり泣いてみよう、と思い立ち。

 喉の奥の奥の、もっと奥の方にある悲しみの塊を、必死で出そうとした。


 最愛の両親がこの世にいない、二度と会えない、という事に今更ながらに戦慄したワシは。

 微かにあった強がりの壁を破って、内奥から強烈な感情の波が込み上げるのを感じた。

 その悲しみの塊は、吐き出す時に嵐のように声帯を振るわせ、轟音となって大気に散った。


 浴室でこだました悲しみの塊。

 幼い頃に転んで膝を擦りむいた時のように、ただ、ただ、泣いた。

 

 驚いてヨメが様子を見に来るほどだったが。

 その悲しみは、大気に拡散され、ワシの中から重さが消えた。


 そしてその時から、ワシを包む空気が変わったのだ。




 秋の朝。

 見上げた空に、母の顔が霞む。



 そして、思う。

 ワシのライフストーリーの中で。

 JWの事は、日に日に、小さく、薄くなっている、と。


 

 ワシの中では、親、家族との間にある愛情は人生で疑いようのないものであり。

 それに纏わる瞬間瞬間の映像は次々と蘇るが、その復刻される記憶の中で宗教が幅を利かすことは、少なくなりつつある。


 ワシと親との関係の中で、宗教信条はそんなに重要でなかったのかも、とすら思う。



 脱塔して10年以上経ち。

 JWというものを俯瞰して見れば見るほど、くだらない、あんなものは一介のカルトだ、ということが鮮明になる。


 それは世界唯一の真理では無く。

 聖書を正しく解釈する真のキリスト教でも無く。

 19世紀に勃興した新宗教の一派で。

 あらゆる偶然と欲望が宗教的淘汰に耐えただけの、ちっぽけなエセキリスト教サークルに過ぎない。

 似たような悪趣味な新宗教は他にもたくさんあるし。

 その大勢いる、社会的スポイルファクターの一つに過ぎないのだ。


 その昔、脱塔時にお世話になった某牧師は、もはやJWを宗教扱いするのでは無く、「ものみの塔運動」と呼び、歴史の中の一つのムーブメントと位置付けておられた。


 言い得て妙である。


 そう、JWなど、歴史の中ではただの「流行りモン」なのであり。

 その程度の薄っぺらなキリスト教ごっこなのだ。


 そう言えば。

 なんだか最近、大学進学が再び解禁されたのだとか。


 もう、怒る気にもならない。

 怒るにも値しない。



 義父母を見ていると、JWのクリスチャンごっこが、誰かの人格を陶冶することなど、無い、と確信するし。

 彼等は人並みに冷酷で欲深いし、意地悪で格好付けだ。

 JWを続けることで人生に何か意味が加わるとは、到底思えない。


 一方で。

 ワシは親や家族への愛が、JWであったことで強まったとも弱くなったとも思っていない。

 もちろん、入信したことで余計な危機とストレスはあったが。

 ワシがJWであっても無くても、大切な事は大切なままだったし。

 絆は、揺れることも無くなることも無かった。



 そう。

 だから、JWなんて、ただの暇つぶし程度のチンケな社会悪なのだ。


 そんな悪趣味なサークルの一員だった事は、ワシにとって、もはや苦笑いでしか無い。



 いまだに、脱塔者のサポートや、自立支援、時には組織糾弾の先鋒に加わらないか、という趣旨のお誘いを受けることがあるが。

 いつも、お断りしている。


 薄情に見えるかもしれないが。


 もはやワシにとって、JW問題など、貴重な時間や労力を使って取り組むような問題では無くなっているのだ。


 まあ、現役親族とは死ぬまで付き合いがあるのだろうし、JWの旧友が助けを求めてきたら、一肌脱ぐ程度のことは、今後もあるだろうが。


 JWなんて。

 もう、どーでもいい。

 勝手にしてくれ、なのである。



 なんか、取り留めなくなってきましたが笑


 母が逝った日々。

 ワシは、それなりの成長と。

 それなりの常識をやっと、手に入れようとしているのかもしれない。


 と、言うことで。

 コーヒータイム、終わり。

  

 やっとコーヒーから湯気が出る季節になりましたね。



 今日はこれから、飲み会やねん。


 ではでは皆さん。

 健やかにお過ごしくださいな😊

 高校野球も終わり、夏も終わりですな。

 まだまだ異常な暑さが続きますが、終わるもんは終わるのです。


 さて。


 ワシは、ここ数年でも、一番いい夏でした。




 ご覧ください、ほすまん猫額農園で獲れたこの見た目の悪い夏野菜を。
 見た目がバッチぃので、息子は全く見向きもしてくれません笑でしたが、まあ、でもこれが美味かった。
 見よう見まねの農民ごっこで、来年もまたチャレンジするもんね😤
 土を触ることは、ワシにとってよきメンタルコントロールになっているようです。


 7月の中旬、出張でお邪魔した大宮にて、繊細で優美な盆栽に感動したところから、充実の夏が始まりました。

 出張帰りに立ち寄った大好きな野沢温泉では、朝の散歩で荘厳な山寺に参り。
 清々しい空気の中、日本人の古来からの信仰心に思いを馳せました。



 近代文明なき時代を生き抜き、農や狩猟で命を支えてきた人々が、壮絶な歴史の中で生み出した信仰や、継承されてきた土着文化の前では、たかだか150年程度の歴史しかないアメリカ発の異端の軽薄さなど、比較にならないな、と。改めて思わされます。



 そして。

 お盆前には、これまたワシの生き甲斐、甲子園へ。



 まあ、とにかく、あの場所、あの空気、匂い。

 強い日差しも、ビールカップについた滴る露も。

 ワシの情緒を凝縮した、ザ・夏の空間を全身で感じることが、最高に心地よいのです。



 球児の息遣いまで聞こえる、ベンチ横の2列目に陣取った試合では、ゴツいカメラを構えるマニアギャルに囲まれながら手に汗握り。

 後で録画を確認するとワシもテレビに何度も見切れていて大満足笑

 ↑最初からテレビに映るつもりで録画予約している事にひかないでね笑


 午前の部2試合が昼過ぎに終わり、午後の部2試合が始まる16時過ぎまでの間に。

 ただブラブラするのも勿体無いので、電車を乗り継ぎ六甲山へ行ってやろう、と。

 午前の部の試合後の帰宅混雑を避けて、徒歩で甲子園駅の隣駅まで歩き、阪神、阪急、また阪急、市バス、ケーブルカーと乗り継ぎ、六甲山の中腹へ。



 山頂の涼しい風を10分程度味わったら、すぐに下山して甲子園へ戻る。


 そしてそのままナイターで2試合楽しむという、我ながらそのせっかちさと体力に笑えてきましたがね。


 一泊二日の甲子園旅から戻った翌日は、地域の夏祭りで盆踊りと屋台の焼きそばを堪能し。

 翌週はお盆でガラガラな通勤を楽しみながら、フル出勤。


 そしてそして、その後、この夏のクライマックス、北海道旅へ。


 とにかく好きなことを詰め込んだ北海道旅。


 初日、伊丹を発ち、夕方に千歳のホテルにチェックイン後、すぐにエスコンへ。



 エスコンは最高に素晴らしいエンタメステージで。隣のオバハン二人組の品がないのに辟易しつつも、上階最前列で日ハム戦を満喫。

 大満足でホテルへ戻り、爆睡。


 翌朝、鉄オタとして死ぬまでに乗らねば、と思っていた、北海道のレールスター、キハ261系にワクワク乗車。



 とにかくディーゼル、ってのがいい。

 荒々しいエンジン音、黒煙、そしてあの匂い。

 電車のモーター音より、圧倒的に男っぽくて好き。

 雄大な原野を荒くれ者のように駆ける勇姿に、胸キュン(キモいと自覚してます笑)してしまいました。


 帯広で途中下車して、ご当地グルメの豚丼を食べるべく、駅前でレンタサイクルを借りて、キコキコと20分ほど漕いで有名店へ。

 行列で40分も並びましたが、待つ価値ありの極ウマ。ブタさん、ありがとう。



 いやー、想像の上をいったね、とかとブツブツ言いながらチャリをまたキコキコ漕いで、再び駅に戻り。

 え?豚丼食べるだけで帯広終わりですか?とレンタチャリの受付のお姉さんに苦笑いされながら、駅へ戻って。

 

 再び261系に乗って、さらに東へ、釧路へ向かう。


 釧路の昭和な雰囲気の駅に嬉しくなり、かつ炎暑の関西ではここ数ヶ月味わったことのない涼しい風に感動しつつ、ニヤニヤ、キョロキョロしながら、歩いて15分ほどの宿へ向かう。

 途中のメインストリートにデカい音で公共放送?的なやつが流れている事にローカル臭を強く感じて、興味津々にテクテク。


 で、ホテルにチェックイン。

 すぐにホテルを駆け出し、またまたレンタサイクルを借り、ママチャリを30分ほど漕いで、釧路の有名海鮮店へ。



 旅立つ直前に、「せっかくグルメ」で紹介されてたお店の「極上海鮮丼」を。

 これがまた、奮発した甲斐あると言い切れる、とろける旨さ。豊洲とかで食べたら一万円はするんじゃねーか?とか、言いながら幸せなモグモグタイム。


 割れそうなお尻を気遣いながらチャリを返した後は、有名な幣舞橋の側でやってたビアガーデンならぬ「ヒア」ガーデンと銘打つ、地元企業協賛イベントの会場で、潮の香りとつぶ貝を肴に、ビールとを流し込み。

 夜酒用のビールをコンビニで調達して、熱闘甲子園を見ながら、宿で爆睡。


 休み中のみ、一晩で疲れが取れる我が体質に驚きながら、翌朝はレンタカーで、釧路湿原、摩周湖を経て知床へ至る半日のロングドライブを決行。



 釧路市湿原展望台のガイドさんの秀逸な説明を聞きながら、湿原で深呼吸して。

 2.5キロの木道を、通勤中のサラリーマン並みの早足で踏破。

 AMラジオで高校野球を聴きながら、今度は細岡展望台を目指す。


 細岡展望台への坂道を競歩並みのスピードで登ったところで、スマホを車に置いてきたことに気付き、1人で地団駄を踏みつつ、もう一回登り直す根気のない自分に薄ら笑いを浮かべつつ、次の目的地である摩周湖に進路を向ける。


 広大な道東を効率よく移動することをメインに行程を組んだので、食事を取る時間が殆どなく。

 昨日摂取した栄養で今日は踏ん張るのだ、と強がりつつも、結局はガス切れで道の駅へ。

 エゾシカが山間から顔を出す屋外テラスでエゾシカバーガーを食べるという、とんでもない罪悪感の伴う貴重で慌ただしいランチタイムを経て。

 

 すぐに車へ戻り、摩周湖へと急ぐ。


 摩周湖は、涼しいを通り越して、寒かった笑

 17〜18度の気温に加えて、強い風が吹くと、筋肉が萎縮して、久々に冬の寒さを思い出させるほどの冷気。

 いやはや、温暖化でも涼しいところは涼しいのね。当たり前だけど。



 雄大なカルデラに、数億年単位の地球の営みを全身に感じて、再び畏怖に包まれつつ、展望台を二つ回って、再びドライバーに早変わり。

 青い水が神秘的な「神の子池」に立ち寄り、湧き出る透明な冷水と枯木の風情に暫し見惚れてたら。


 ふと、神の子といえば、キリストじゃん、とエホ中毒な邪念が旅気分を邪魔したので、それをきっかけに神の子池を後にして。


 さらに原野を爆走し、今度は知床へ。



 オシンコシンの滝を、「ほー」「へー」と見上げていると、団体バス3台が相次いで到着。

 張り詰めた世界遺産の空気が一気に催事場みたいになったので、ここもイソイソと退散して。


 知床のホテルでは、強欲の限りを尽くしてバイキング場で暴れ笑、飲み放題のビールをスタッフが引くくらい飲みまくり、泳ぐくらいのテンションで温泉に身を沈め、またまた爆睡。


 翌日は早起きして、6時台から朝食バイキング場で暴れ笑、すぐに知床峠展望台へ向かう。

 雲が沸く前だったので、雄大な羅臼岳がくっきり見えて、圧倒され暫し感動。何回、圧倒され、感動するのか。いやー、世界遺産は素晴らしい。

 写真ではおそらく伝わらない、優美な山裾と無骨な岩石。

 登山者がヒグマの餌食になるという、悲しい事件の直後ではあったが、その美しさを間近に見ると、この山に登りたくなる人達の気持ちも分かる気がしてきた。



 その後、知床五湖に立ち寄り、往復1キロの木道をこれまた通勤快足で制覇したあと、しっかりとインスタスポットである「天に続く道」に寄るミーハーオヤジ。

 一人旅ゆえ、いくつかの家族に写真撮影役を頼まれ、ハイ、チーズ!と何回言ったことか。

 関係ないけど、「はい、チーズ」って言うの、恥ずいです。なんか笑


 さて、ついに、正午のレンタカー返却時間が近づき焦り出したワシは、今度は網走へ向かいます。



 網走監獄博物館で、北海道開拓のために尽くした人々の艱難辛苦を思い、しんみりとして。

 こりゃ、時間がある時にもっとゆっくり来たいな、と名残を惜しみながら空港へと向かい。


 ついに、学びと暴食と、自然への畏敬をかなりのテンポで吸収した、この夏旅を終えたのでした。



 レンタカー返却時間を過ぎてしまったり。

 帰りの飛行機が遅延続きでトランジットも含めて、帰路だけで10時間以上かかったりと、最後は散々でしたが。

 振り返ると実に素晴らしい北海道旅行でした。


 特に道東は素晴らしい。

 見るもの全てのスケールが違うし、どこの風景も素晴らしく、食べ物がとにかく美味い。インバウンドが少ないのも、相当、高ポイント。

 お住まいの方は、特に冬など大変でしょうが、ある意味現代の楽園だ、とワシは思いました。

 エホ証の楽園パンフも、あんな気持ちの悪いのやめて、道東の写真にしたら信者増えるんとちゃうの。


 知らんけど。



 とにかく。

 夏を駆け抜け、ハイテンションで走り切ったワシですが。

 実は何度かふと立ち止まって、複雑になることもありました。


 それはやはり、「エホとの遭遇」がきっかけで。


 出張先の大宮では、都市公園内を視察中に布教前に集まる彼らの集団にばったり会い、ギョッとしましたし。

 今回の北海道旅行でも、帯広駅前でカート奉仕の一団に遭ったり。

 釧路に向かう途中には根室本線の車窓にいきなり王国会館が現れ、ハッとし。

 オホーツク海沿いを走るレンタカードライブ中には、JWステッカーを貼った車が前を走っており、幻滅しました。


 特に、帯広駅前のカート奉仕グループには、小さな子どもが混じっており、「夏休み」を楽しむおじさんとしては、一気に冷水を浴びせられた思いでした。


 夏なのに、白いワイシャツと折り目のついたフォーマルなハーフパンツの少年。

 ベンチに座った、とても品の良さそうなパパのタブレットを覗き込んでいたその少年に、ワシは暫く釘付けになりました。


 大丈夫かい?

 辛くないかい?

 いい子に見えるように、と無理してないかい?


 

 幼い頃から信仰ある生活をすることが、一概に悪いとは言わないし。

 JWの多くが善人で構成されてることも知っている。

 それに、こうして全国各地で、都会でも田舎でも彼らが信仰の証し(のつもり)で布教に携わる姿は、方法はさて置き、尊くもあるかもしれん。


 でも。

 やっぱり。


 子どもは自由にしてやってくれよ。

 頼むから。

 


 子どもが自分の意思でやってます、とかと宣う愚か者がいるが。

 自己の意思を親と異なる方向に発揮できることを体で知る子どもは、そもそも少ない。

 親が正しく導いてやらないと、子どもの自然な欲求は、親の歓心を得て承認されることである場合も多く、やり方を間違えると成長の過程で本人の意思を偏狭な域へと誘うものだ。


 道徳心を愛でる宗教教育は、人格形成の必要な一面でもあるだろうし、利他的な愛を体系的に学ぶ機会を与えられる事にも、一定の価値はあるだろう。


 だが。

 だが…



 子どもに必要なのは、もっと彼らの性向や未熟さに合った、シンプルなものではないのか?


 JWの教育は、絶対的一神教価値観による、人治組織の奴隷的信者育成装置であり。

 子どもの本能とはあまりにかけ離れた、「不自然な目的に囲われた」環境に彼らを束縛するものだと思う。


 そんな複雑な思いがよぎったワシは。

 一般人旅行者を装いながらも、珍しくカート奉仕をする彼らが声をかけてくれないか、と願った。

 なんとなく、そこにいた少年の笑顔が見たくなったのだ。

 会話になれば、そこにいた子どもへの気遣いをワシなりに残せるかも、と。

 大人には、「貴方達は、よくない意味で子どもを大人扱いしてないか」と。紳士的に問題提起してやろう、と。


 が。

 ワシが通り過ぎる時、上品な出立の御婦人信者が、ワシを見て軽く会釈をしてくれただけで、誰も声をかけてくれなかった。

 そう、サングラス髭ヅラ短パンドジャースキャップオヤジには、殆どのメンバーが目を逸らした。


 通り過ぎたワシは、もう一度、振り返った。

 まだ屈託のない澄んだ目をした少年の姿が、昔のセピア色の自分と重なって、ブレた。


 幸せでいて欲しい、と。

 全く知らないその少年に心でつぶやき、勇気のないワシは、そのまま、駅に向かって歩いた。


 

 お節介なのは、承知。

 だけど。


 子ども達のことは、心配だよ。

 知らない子でもね…


 エホの子どもたちは、どんな夏を過ごしているんだろう、と。

 この夏、何度か考えた。


 奉仕だ、大会だ、集会だ、と追い立てらるような、ある意味酷暑を過ごしてないだろうか。

 湧き出る欲求と闘い、自己嫌悪に陥ってないかい?

 友達と違う事を思い悩み、心に闇を抱えてないかな…


 どーしたら、ええのか分からんね、ホンマに。

 


 今年も呑気なことに、地区大会に来てください、的なお誘いを頂いたのですが。

 その日、まだ夏休みじゃないから、子どもらは学校あるんじゃねーの?

 そんなこと、考えたことあるのかね、この人達。



 最近は、気まずくても、はっきりと断る事にしています。

 嫁には、そんなトゲのある言い方せんでええやん、とか言われますが笑


 子ども達を苦しめていることに気付かない大人達に、たとえ愛想であっても妙な期待を持たせたくない。

 ワシの冷たい一面を、彼らの正面に置いてやりたい。

 

 そんな、ワシのささやかな抵抗ですよ。


 

 JWじゃなくても悲惨な少年時代を送る人もいるし、その逆に幸せなJWのご子息もいるだろうが。


 ワシは。

 子どもは子どもらしく、暗くなるまで野原を駆け回って、夜は疲れてリビングで寝てしまうような。

 友だちと夜更かししたり、夏祭りで会った異性にドキドキするような。

 そんな、夏休みを送る子どもたちを見ていたいのよ。勝手だけど。

 受験や部活に打ち込む子どもたちも、眩しい。

 一生に一度、死ぬほど勉強する夏も、あってよいからね。


 一つ一つに、意味はなくていい。

 幼い頃は、正しいも間違いも、嬉しいも悲しいも、子どもたち自身がその感情に出会って、自分の道徳心をある程度構築していけばいいのだ。

 親や神様はでしゃばらなくてよい期間が、人生にはあるのだ。きっと。


 JWの家に生を受けてしまった子どもたちが、少しでもストレスの少ない、素敵な夏を送れていますように。


 夏を満喫しながらも。

 そんな、何とも言えない、お節介な感情を抱えながら、ワシの夏が終わります。




 皆さんも、夏を楽しみましたか?

 ワシは週明けからの社畜を覚悟しながらも、早くも冬の旅を計画しつつ、今晩も夢を見ます。



 蒸し暑いのに、鈴虫の鳴き声が聞こえますよ。

 名ばかりの秋。


 そーいや、コンビニのビールコーナーに、「秋味」が並んでたな。

 時は、望む望まないに関わらず、進んでいく。

 そして、二度と戻らないのよ。


 ではでは。

 よい秋、よい冬が来ることを期待しましょう。

 ではでは、この辺で。


 ワシの身勝手な、今年の夏日記でした。