衆議院選挙が始まりましたね。
皆さんも、それぞれの考え方に基づいて、行動される事と思います。
ワシは脱塔後、とにかく選挙には真面目に向き合い、必ず投票もしています。
恥ずかしながら大学で授業を任される事が年に数回あるのですが、その際には10分ほど時間をもらって、若者の投票行動が政治に及ぼし得る意義を、熱弁するのが通例になっています。
もちろん、元Jである家族にも、選挙に行くよう、ことあるごとに勧めています。
まあ、正直言ってワシには強い政治的イデオロギーはないのですが、やはりJW時代に放棄してきた社会的責任を取り戻したい、との思いが強くあり、その想いが選挙に対する味方にも大きく影響してるのだろうな、と思います。
また、職種的に代議士連中と絡む機会も多く、彼らの資質次第で国や地方は、良くも悪くもなり得る、と実感しているのも、選挙に足を向けるモチベーションになっています。
ところで。
JWは基本的に選挙に参加しませんよね。
今の現役さん達は、どう選挙に向き合ってるのでしょうか?
やはり、10数年前のワシの現役時代と同じく、選挙に行くなんて、もってのほか、とのスタンスでしょうか。
ワシは現役中の大半を、地方の田舎の会衆で過ごしたこともあり、よく成員から選挙に関する悩みや質問を受けたもんです。
やはり、土建国家の成り立ちが抜けない農村部では、保守系の族議員を集落や会社を挙げて支援する構図が根強く残っているため、会社や未信者の夫から選挙に行って推し議員に投票するよう、かなりの圧力を受けるのです。
特に田舎は、地区の公民館などが投票所となっているため、選挙管理者も投票管理者も、名簿チェッカーもみんな、顔見知りであるケースが多く。
そのため、「どこそこの嫁は、まだ投票に来ていない」といった個人情報が、平気で集落民の間で共有されます。
だから、肩身の狭くなった未信者夫は、「お前、早く投票に行け!ワシの立場が無いやろ!」的な圧を、信者妻にかけるわけです。
ワシの現役時、会衆のM姉妹は、未信者夫に投票所まで車で連れてこられ、さあ、行ってこい、と言われたため、公民館に入り、中でトイレを済ませるだけで、しれっと車に戻ったのよ、と。
そんな笑い話を披露していました。
ワシとしては、投票しないことより、夫を騙すことの方が罪深かろうに、と。
複雑に思ったもんです。
まあ、つまり。
投票に行くとか行かないとかの問題は、地方の信者達にとって、それなりに大きな問題なのです。
ワシは現役時、投票について悩む成員から相談を受けたときは、ものみの塔99年11月1日号の「読者からの質問」を参照して、「旦那に嘘つくくらいなら、個人の良心で行ってくれば?」的なアドバイスをしていたのを思い出します。
まあ、それでも大抵の成員は、結局投票に行かない決定に落ち着くんですけどね…
選挙をきっかけにそんな事を逡巡していると、久々にその該当記事を確認したくなり、読んでみることにしたわけで。
今は知りませんが、ワシの現役時は、割とこの記事を、牧羊でよく使った記憶もあったし。
そもそも、エホ証の選挙に対する見方を分かりやすく解説しているので、なんとなく、おさらいしておこう、と思いまして。
で、久々に見ると、ホンマにバカバカしいというか。「論に落ちる」どころか、「論」にもなっとらんなー、というのが感想で。
よくもまあ、ワシもこんな程度の「お達し」を真面目に何十年も守ってたなー、と情けなくなりました。
この記事では、JWが投票しない理由を5つに分けて解説しています。
1つ目に、我々は「世のものではない」ので投票しない、と。
は?
ガッツリ国の社会福祉の恩恵を受けている連中が、世のものでは無い?
最近では生活保護の受給すら厚顔無恥に推奨する教団の面々が「世のものではない」?
いやいや、選挙権より先に辞退すべきもんがあるだろーに。
自分達に直接的恩恵をもたらすものに対しては、「政府が準備したセーフティネットに浴する権利がある」とばかりにホイホイ「わてらも国民ですねん」と、世の一員である事をアピールするくせに。
バカバカしい。
2つ目に。
キリストと同様に、我々は「大使」としてこの世にいるから投票しない、だそうな。
大使は政治的中立を期待されるのと同様、王であるキリストの代理、大使である我々は、政治に関与すべきではない、との理屈。
いやー。大仰に出ましたな。
アホらしすぎて頭痛がしてきました。
何を自認してもらってもよいが、これも都合の良いキリトリの例えでしかないよ。
各国の大使は派遣先の国家の法に縛られない特権を付与されている一方、派遣国の政治に直接影響を及ぼし得るアクションについては認められないわけよ。
アンタらは、上述したが、派遣先?の各国で、その国の法で定めるあらゆる恩恵を、存分に味わってるじゃねーか。
大使を気取るなら、キリストだけに従って、派遣先の法を活用するような真似をするなよ。
イボバに養ってもらえ。
その上で、大使を気取りなさい。
3つ目に。
投票した人が当選した場合、その当選者の行う事柄に責任を持つ必要が出てくるから、とか言い出してる。
これが、一番、はぁ?????だな。
テモテ第一5:22を参照聖句として挙げているが、もうこじつけも甚だしい。
「22 誰にも性急に手を置いてはなりません*+。また,他の人の罪に関わってはなりません。常に潔白*でありなさい。」
この聖句を民主政治に当てはめる、というのは、もはや難癖としか思えないが。
なら、仮に投票した当選者が良い事を行ったら、その善行はワシらのお陰、ってなんのか?
なら、フィフティフィフティやないか笑
4つ目に。
宗教が政治に関与すると、一致が損なわれる、という主張。
まあ、5つの理由の中で唯一、一定の理解ができる主張ではある。
日本でも他国でも、平和の邪魔をしているのは、往々にして宗教である事が多い。
だから。
教団単位で政党や政治的イデオロギーに距離を置く、というのは良いと思う。
が。
かと言って、個人の選挙権まで否定するのは、やはりやり過ぎたとしか思えない。
5つ目に。
政治的主張から距離を置いているので、どんな人にもはばかりなく語れる、のだとか。
なんじゃ、そら。
そんなもん、個々の気持ちの持ちようだろうがよ。
ってか、アンタらの信仰とやらは、その程度で遠慮してしまう程度の信仰なのか、と軽蔑したくなりますな。
これは、まさに逆なんじゃないの?
「各個人が政治的主張を持っていますが、誰に対しも分け隔てなく、音信を語れます!」ってのがホンマもんの信仰だと思うがね。
政治的主張などという、いかにも人間的で属人的な思想を宿した程度で自信を失う信仰なら、捨てちまいな、って。
で。
この5つの事を念頭に置いて、信者は自分の行動を決めなさい、とくる。
その上で、法で投票を求められているケースや、法で求められてはないものの、身に危険が及ぶような場合には、各人で判断しろ、と。
やれやれ、だな。
こんな薄弱なこじつけのせいで、多くの信者が精神的苦痛を余儀なくされているのか…
謎なのは、この記事は冒頭で、「投票行動」そのものは否定しない、とわざわざ書いていることで。
法人の理事会が求める信任票や、会衆内の運営委任に関して、一票を投じることは、別に問題ない、と。
いやいや、この記事で持ち出された3つ目の視点で言うなら、そーゆー多数決にも参加すべきではないじゃないの。
投票により決定した事項や、委任代行者である理事達が罪を犯したら責任もてんから、投票出来ないやん。
それに、5つ目の原則を当てはめるなら、意見を異にした人に、「はばかりなく」語れなくなるよね。信仰が弱い人たちだから笑
なんか、聞かれてもいないのに、「ある法人団体の理事会が行う投票」に問題は無い、とわざわざ断りを入れてから、選挙批判を始めるあたりが、もう涙ぐましい。
ある法人団体とは、暗に、いや、明らかに自分達のエホ教団を指しているのであり。
あえて最初にそこを保護してからで無いと、自分達の組織運営手法にツッコミが入る事を十分意識しているからこそ、こんな言い訳がましい論理構成になっているのだろう。
まあ、そもそも、ワシは法人や団体が民主的投票方式で物事を決定するプロセスと選挙を混同して語るつもりはさらさら無いが。
教団が5つの原則で選挙投票拒否の正当性を訴えるなら、そこにも物申したくなるのが、人情でしょうに。
それにしても。
もし信者を啓発するなら、特定の政治的主張を教団内で流布したりしないよう求めるだけで、充分だと思うのだが。
確かに、極端な思想や政党支持のスタンスを、宗教というフィールドに持ち込むべきでは無い、という考えには大いに賛同するが。
お得意の「行き過ぎたルール」で、信者の行動の枝葉末節まで束縛しようとするスタンスは、呆れるばかりのパリサイ的行動原理ですね。
ホンマに、自信がないんだろーなー。
この人たち。
日本のように、ある程度成熟した民主主義が行き渡った環境なら、選挙なんて、かなりシステマチックに捉えることも可能だし。
政治的主張、とまで昇華されていない、生活や環境の改善を望んで一票を託す程度の権利を、世紀の大問題のように取り立てて騒ぐことじゃないだろーに。
ホンマ、彼らの態度や主張はバカバカしい、に尽きる。
今日の昼飯は、ムジカフェの、4品デリでした。なんかとっても茶色いチョイスになってしまいましたが😅
それより驚いたのが、約2年ぶりにきてみたら、値段が1.5倍になってたこと!
いやいや、給料は上がらないのに、これは厳しいよー。
って事で、ワシは。
そんな、ささやかな生活上の不満?を解消すべく、選挙公報をジロジロみながら、誰に投票するかを決めることにしますわ。
ではでは、皆さん。
よい一日を✋







