だれがどんな事をしても、

それにだまされてはならない。

まず背教のことが起り、
不法の者、すなわち、
滅びの子が現れるにちがいない。

彼は、
すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに
反抗して立ち上がり、
自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

【テサロニケ人への第二の手紙 2:3-4 口語訳‬】

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黙示録の中でヨハネは、
キリストの再臨の直前に、
福音が宣布されることを預言している。

彼は1人の天使が
「中空を飛ぶのを見た。
    彼は地に住む者、すなわち、
    あらゆる国民、部族、国語、民族に
    宣べ伝えるために、永遠の福音を
    たずさえてきて、大声で言った、

『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。
    神のさばきの時がきたからである』」
 (黙示録14:6、7)。 

~中略~

終末時代には、
快楽と金銭を求めて人々は、
現世の利益追求にその心を奪われると
聖書は言明している。

彼らは永遠の実在に盲目となる。

「人の子の現れるのも、
    ちょうどノアの時のようであろう。
    すなわち、洪水の出る前、
    ノアが箱舟にはいる日まで、

   人々は
   食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。

   そして洪水が襲ってきて、
   いっさいのものをさらって行くまで、
   彼らは気がつかなかった。

   人の子の現れるのも、そのようであろう」
  と、キリストは仰せになった
(マタイ24:37~39)。 
  
 
今日も同じである。

人々はあたかも、
神も、天国も、来世もないかのように、
利益と自己中心的放縦な生活を追い求めている。

ノアの時に、
悪を行っている人々の目をさまし、
悔い改めをうながすために、
洪水の警告が発せられた。

同様にキリストの切迫した来臨の使命は、
世俗のことに心を奪われている者の、
覚醒をうながすために計画された。

それは彼らの目を覚まして
永遠の実在を意識させ、
彼らが主の宴会への招待に
心を留めるために与えられたのである。

~中略~

世界は、福音の欠乏のために滅びつつある。

神の ”み言葉“ のききんがくる。

人間の言い伝えを混ぜないで
 “み言葉” を説教する者はほとんどいない。

人々は聖書を手にしているけれども、
神が彼らのために聖書の中に備えてくださった
祝福を受けていない。

主は、人々に
ご自身の使命を伝えるために、
僕 (しもべ) たちをお召しになった。

罪の中に滅びつつある者に、
永遠の命の言葉を伝えなければならない‥‥

【引用文献】
キリストの実物教訓
第18章 道やかきねのあたりから招かれた客

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まもなくイエス様は、この地上に
再び来られます。

もう、まもなくです。

今度は罪を負うためではなく、
救いをたずさえて、

神の栄光の姿で、
千々万々の御使いをひきつれて、
万軍の主であり、全宇宙の総司令官である
主がおいでになります。

そのための福音を伝えています。

大欺瞞者、サタンは
主の再臨までも、偽装します。

そのように聖書で警告されています。

正しく学ばなければ、
冒頭の聖句のように、
偽物を見極めることはできません。

正確に言うなら、
正しく学ばなければ、
正しくイエス様と交わらなければ、

偽物を見極めることを
神様が許可されません。

この地上で、
神が最も関心をもたれるのは『教会』です。

教会、そして、人をとおして
神は、お働きになられます。

『教会』は建物や特定の場所ではありません。


主はこう言われます‥‥

‭ふたりまたは三人が、
わたしの名によって集まっている所には、
わたしもその中にいるのである。
(マタイ18:20 )
 
 
真心から祈り、求めるなら、
神はそこにおられます。

そこが『真の教会』です。

そして‥‥
‭自分のからだは、神から受けて
自分の内に宿っている聖霊の宮であって‥‥
(コリント第一 6:19 )

と、書いてあるように
『体』が『聖霊 (神) の宮』です。


もう一度、冒頭の聖句を引用します‥‥
 
 
だれがどんな事をしても、
それにだまされてはならない。

まず背教のことが起り、
不法の者、すなわち、
滅びの子が現れるにちがいない。

彼は、
すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに
反抗して立ち上がり、
自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。 
【テサロニケ人への第二の手紙 2:3-4 口語訳‬】


まもなくイエス様は来られます。
主に会う備えをしなければなりません。


神様は最後の時まで
サタンが働くことをお許しになられます‥‥

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祈りの時間と場所は神聖である。
なぜならば、神がそこにおられるからである。

【引用文献】
国と指導者 
第2章 エルサレム神殿の建設