‭‭この預言の言葉を朗読する者と

これを聞いて、その中に書かれていることを
守る者たちとは、さいわいである。

時が近づいているからである。

【ヨハネの黙示録 1:3 口語訳‬‬】

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わたしはまた、
もうひとつの声が天から出るのを聞いた、

「わたしの民よ。彼女から離れ去って、
    その罪にあずからないようにし、
    その災害に巻き込まれないようにせよ。

   彼女の罪は積り積って天に達しており、
   神はその不義の行いを覚えておられる。
【ヨハネの黙示録 18:4-5 口語訳‬‬】

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今や悪魔は、
暴力でできなかったことを
策略でもって獲得しようとした。

迫害はやみ、 その代わりに、

『現世的繁栄』と『世俗的栄誉』
という危険極まる誘惑が置かれた‥‥
 
 ~中略~

今や教会は、
恐るべき危険のただ中に立った。 

むしろこれに比べるならば、
牢獄、責め苦、 火、 剣が祝福であった。 

もちろんこの場合にも、 
あるキリスト者は堅く立って、 
妥協することはできないと言明した。 

しかし、他のある者は、
自らの信仰の幾分かの特徴を捨てたり、
変更したりしてキリスト教を部分的に
受け入れた人々と結合し、

こうすることがその人々を
完全な悔い改めに導く手段であると主張した。

しかし事実において、
キリストの忠実な弟子たちにとっては、
今こそ、 深刻な苦悩の時であった。 

偽のキリスト教という
上着をまとったサタンが教会内部に侵入し、

信徒の信仰を堕落させ、 
彼らの心を真理から離れさせた‥‥


【引用文献】
歴史と聖書の預言 ~各時代の大争闘~
第2章 一世紀における迫害

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上記の引用文に‥‥

『現世的繁栄』と『世俗的栄誉』
という危険極まる誘惑が置かれた‥‥

と、書いてあります。
そのあとに、

‥‥これに比べるならば、
   牢獄、責め苦、 火、 剣が祝福であった‥‥

と、 書いてあります。
 
『現世的繁栄』と『世俗的栄誉』は
それほど危険なものです。

しかし、ほとんどの人は
それを目標とし、目的にしています。
それが正しいと思っています。

そうなれるように神様にお願いしたりします。
それは間違いなく神様がお与えになるものです。

しかし、その扱い方をサタンが操ります。

その『富』を正しく扱えるならいいですが、
私達人間は、正しく扱うことはできません。

先日、
サタンは、人間を横領し、支配し
征服しています‥‥と、お伝えしました。

その通りです。
神様のものを横取りしています。

支配されているのは、私達の『性質』です。
征服されているのは、 私達の『心』 です。

それがマインドコントロールです。

私達が人間らしいと思っている
ほぼ全ての事柄は『洗脳』です。

『自己肯定』や『自己実現』は
サタンの罠です。

神が人間に命じられていることは
『自己否定』と『自己犠牲』です。

 
私達の『自己実現』は、
自分のための『欲望』です。

そのために『自己肯定感』を求めます。

『自己肯定』を正しいとするなら、
聖書は歴史書か小説か、
ただの『名言』や『格言』の
書いてある本にしかなりません。

聖書は神様の命令と約束が記された
必ず守られる『契約書』です。
旧約、新約の『約』は、
約束や契約の『約』です。
 
 
話を戻すと‥‥

『自己肯定』そして『自己実現』を
するために聖書とは違う『教理』あるいは
曲解、改ざんされた『聖書』を
信じるようになります。

從って
『神ではない神』を信じるようになり、
また、
『奇跡』や『幻』を求めるようになります。


『罪』とは、そのようなものです。
聖書の教理に従わないことは『罪』です。

人間には聖書の教理に
従う『意志』はありますが、
従う『力』はありません。

サタンに『心』を奪われているからです。

従えない、ということです。
すなわち、全ての人は『罪人』だと
いうことです。

しかし、
『意志』を神に従わすことで、
すなわち、捧げることによって、
神が、従えるようにしてくださる。
ということです。

イエス様は、この地上での全生涯において
そのように生き、模範を示して下さいました。

それが
『自己否定』であり『自己犠牲』です。

聖書の教理は『自己否定』と『自己犠牲』を
要求し、警告します。

その『警告』が『福音』です。
その真理に導くのが『聖霊』です。


『現世的繁栄』と『世俗的栄誉』‥‥

言葉を変えるなら‥‥

世俗的に豊かであったり、
順風満帆だったり、世間で称賛、
あるいは認められたりするような、
それを求めるような生き方、在り方です。

そのような状態では、
神の警告、すなわち、聖霊の導きに
気づくことはできません。
 
 
聖書には、こう書いてあります‥‥

‭‭‥‥だれも、ふたりの主人に
兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、
一方に親しんで他方をうとんじるからである。

あなたがたは、
神と富とに兼ね仕えることはできない。
(マタイによる福音書 6:24 )


神と富とに兼ね仕えることはできない‥‥と
主は言われます。

『してはいけない』とか
『しないほうがいい』ではありません。

『できない』のです。

もし『している』と言うなら、
思いちがい、勘違いです。
マインドコントロールです。

イエス様が言われたように、
『何をしているのかわかっていない』のです。


『現世的繁栄』と『世俗的栄誉』は、
聖霊の感化によるものではありません。

『奇跡』や『幻』も
聖霊によるものではありません。

サタンの罠です。

滅びるしかない生き方です。
滅びるとは、存在がなくなるということです。


聖霊が宿る時には、
罪と義とさばきとについて、
世の人の目を開く‥‥と、書いてあります。
( ヨハネ 16:8)

そして、証の書には‥‥

‥‥神はこの地上に、すべての教理の
    基準として、聖書のみを支持する
    一つの民を必ず備えられる‥‥

と、書いてあります。
(歴史と聖書の預言 第37章)

正しく聖書を学んでいる人なら
今が終わりの時であり、
イエス様がまもなく来られることは
承知のはずです。

全世界に福音をのべ伝える時です。

カトリック教会の世界支配陰謀が
暴露されなければならない時です。


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聖書に、こう書いてあります‥‥

今日、” み声 “ を聞いたなら
神にそむいた時のように
あなたがたの心をかたくなにしては
いけない‥‥
  (ヘブル 3章、4章 詩篇 95篇)


“ み声 ” は、実際の 声ではなく、
神が聖書に記された ” み言葉 “ です。

神に心を捧げるために、安全のために
絶えず祈り、毎日 “ み言葉” を読んで下さい。


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だから、あなたがたは、
食物と飲み物とにつき、あるいは
祭や新月や安息日などについて、
だれにも批評されてはならない。 

これらは、
きたるべきものの影であって、
その本体はキリストにある。 

あなたがたは、
わざとらしい謙そんと
天使礼拝とにおぼれている人々から、
いろいろと悪評されてはならない。

彼らは幻を見たことを重んじ、
肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
キリストなるかしらに、
しっかりと着くことをしない。

このかしらから出て、
からだ全体は、節と節、
筋と筋とによって強められ結び合わされ、
神に育てられて成長していくのである。

【コロサイ人への手紙 2:16-19 口語訳‬‬】

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その時あなたの民を守っている
大いなる君ミカエルが立ちあがります。

また国が始まってから、その時にいたるまで、
かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。

しかし、その時あなたの民は救われます。

すなわち
あの書に名をしるされた者は皆救われます。

また地のちりの中に眠っている者のうち、
多くの者は目をさますでしょう。

そのうち永遠の生命にいたる者もあり、
また恥と、限りなき恥辱を
うける者もあるでしょう。

賢い者は、大空の輝きのように輝き、
また多くの人を義に導く者は、
星のようになって永遠にいたるでしょう。

ダニエルよ、
あなたは終りの時までこの言葉を秘し、
この書を封じておきなさい。

多くの者は、あちこちと探り調べ、
そして知識が増すでしょう」。

【ダニエル書 12:1-4 口語訳‬‬】


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アブラハムのように、
今日も、なお、多くの人々が試みを受ける。

彼らは、
天から直接語られる神の声を聞かないが、
神は、神の “みことば” の教訓と
摂理の出来事によって彼らを召される。

富と栄誉を約束する職業を捨てて、
気の合った有益な仲間を離れ、
親族と別れ、

克己と困難と犠牲だけを
要求するように思われる道に
進むように要求されるであろう。

神は、彼らに
仕事をさせようとしておられる。

しかし、
安易な生活、友人や親族の感化は、
その働きを完成するのに必要な
品性の発達を妨げるのである。

神は、彼らを
人間的感化や援助から遠ざけて
彼らに神の助けの必要を感じさせ、

ただ神にだけ頼るように導いて、
彼らにご自身を啓示しようとなさるのである。

【引用文献】
人類のあけぼの
第11章 神の召しに応じたアブラハム


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サタンは…
光の天使に変装して、
もっともらしい誘惑をたずさえて
若い人々のところへやってくる。

そして一歩一歩、義務の道から
彼らをそらせるのに成功するのである。 

サタンは告発する者、欺く者、
うそつき、悩ます者、 
殺人者として表現されている。

あなたを誘惑するのはサタンの行為である。 
しかし屈するのはあなた自身の行為である。

誘惑される者に
罪を強制的に犯させる力は、
サタンの軍団にはない。 

罪に対する言い訳はないのである。

【引用文献】
MARANATHA マラナ・タ
我らの主よ、きたりませ
3月15日 人生の種まきと収穫


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‭‭また、どうか、わたしたちが
不都合な悪人から救われるように。

事実、すべての人が
信仰を持っているわけではない。

しかし、主は真実なかたであるから、
あなたがたを強め、悪しき者から
守って下さるであろう。

【テサロニケ人への第二の手紙 3:2-3 口語訳‬‬】