さて、これは現代というルールにおけるイレギュラーであるのだろう。それは、人の二極化と天才の台頭である。それこそが、才能(遺伝子)に囚われるような話でない事に意味がある。

 

まず二極化を説明すると、教育のシステムが確かなモノになり頭ごなしの理解を良しとする風潮が漂っている。それを象徴する事に「テスト」がキャリアのシステムの根幹を成すという事が第一に挙げられる。これらの頭ごなしの理解は一辺倒の解釈しか産まずに、独創性を欠いた発展はまさに空白の時代を象徴するものとして後世に伝えられるだろう。

 

その中でも、教育の範疇から逃れた独創性の聖域にある分野は新鮮な発展を続けるであろうが、それを押さえつけるものに「粗悪なマーケティング」があり、それは発展ではなく資本に着目したものである故に、大衆の心理を独占し大儲けする事はできるが、後世に空白を生み出した張本人として名が挙げられるであろう。

 

発展を続ける分野であり、かつ大衆の作用が少ない事が前提としてその分野全体における成長が見られる。逆にそれほどに専門性を欠く者が作用する事は発展にとって害であるのだ。そうして、今は小コミュニティにおける通貨発生の可能性もあり、発展の加速が見られるであろう。それこそ、荒廃した砂漠に幾年で栄える都市が姿を現すように。

 

また、特殊な人物である天才についてだが、彼・彼女らは多くの物事に興味を示し、その何事においても因果を明らかにしたがる。そうして、生きる中で多くの因果に触れ、その中に普遍性を見出し、それを未知の物事に適用する事で少し先の未来を予見する事ができる。そして、物事に対し少し距離を取りたがり、厭世的な一面と社交家としての一面を対する人によりけり使い分けるのだ。

 

なぜなら、この現代における教育のシステムに乗っ取った思考をする人たち、すなわち常識こそが全てだと思う人たちとは相容れない存在であると分かっているからこそであり、大衆には社交的に無意識の内に振る舞うのだが、同類に対しては厭世的で有りながらも飾らずに本音を話す。極端な無駄嫌いで有り、効率を求め続けているからだ。

 

彼・彼女らがもし天才であるのなら、目を見ればその意図が分かる。子供のようにキラキラと輝いていれば何もそこには求めているものが無いという事が、反面に暗く深くひとみの奥に小さな輝きを見て取れたのならそれに強く惹かれていることもわかる。

 

生まれながらの詐欺師でもあり、科学者であり、俳優・女優でもある。彼・彼女らの一言一句、身振り素ぶり、偶然に見える事が全てが本人に意図されたものである。だからこそ、天才らが相対すればイレギュラーが必ず発生する。それこそお互いがお互いにとって邪魔臭く感じるのかもしれないし魅力的に思えるのかもしれない。それは本人たち次第だ。

 

それほどに彼・彼女らは「普通」に対し深く失望をしているのだろう。何も感じられないような安い感情に生きる無機質な人たちを見て、それをどうこうしようとは思わずにひっそりと生きたがるのだ。

 

ただし、才能を今も一人で孤独に磨き続けている。誰かがそれを見出して認めてくれる日を待ち続けている。「激情と平穏」その全てを受け入れてくれる人を。