大きく更新が遅れた。すまない...法学の基礎ではあるがそれを学び直していたのだ。では、何をしたくて学び直したのか?それは、時代を見直したかったのだ。時代の背景には大きな見えざる手があり、それに乗っかれば上手くいき反発すれば上手くいかない。そんな単純な事を経済活動や国際情勢というものがやたらと難しく表しているのだ。

 

そして、それに乗っかるには大衆のルールと世界におけるルールを理解し、その隙間に仕組みを作り、そうしてルール矯正につく莫大な利益を頂くのだ。

そこで、これまでの法に大きな揺らぎが生じ大きな転換を迎えるであろうこれからに備えて、少し先の原則を仮定して論を進めなければ、これからの記事が意味のないものとなってしまう。だからこそ、2020までの未来を仮定して論を進めようと思う。

違った展開になればそれにつき適宜修正を加えていこう。

 

さて、法の基礎となる話をしよう。法がない時代は弱肉強食の時代である。大型の生物が闊歩する中でも弱者は生きた。生存戦略というものを弱者は用いた。弱者は徒党を組み強者を倒すか、そもそも関わらないかに別れた。そこに共生はなかった。

 

そして、徒党を組む「ヒト」の支配が確立されると、次に、ヒト同士で徒党を組み異端を排除するようになった。その排除の基準としての大義名分として法が定められた。これこそが法の根源である。

 

排除のための大義名分をなぜ用いるのか?それは、異端は極端に優れた人や逆に劣る人に対する烙印であり、優れた人である場合、新たな徒党の発生が懸念される為である。大衆の悪となれば、第三者の援助は期待できずに孤立する。負けると分かる戦いに臨む人はいない。そう、法は異端にへの所属に対する抑止力であるのだ。

 

「小さなコミュニティにおける法はより大きなコミュニティにおける法に支配されてしまう。」

 

これこそが今回、話したかった事なのだが、小さなコミュニティにおける常識が大きなコミュニティの常識に同調する際に、時代に取り残される要素と時代を築き上げる要素が生じ、そこに大きな熱量が生まれる。それを知るには、時代のルールの中で生きるほかない。

 

これこそ、俗にいう「インフルエンサー」が時代のルールに同調して発言権を得たという事実を見れば、そこに次の時代の舞台を見出せるだろう。誰しもが地位に囚われずに意思の表示ができるという事は、これまでの「年功」というルールが取り残されると分かるだろうか?

 

これまでの会社という概念が大きく変わるという事だ。 続く...

 

次回は、「ハロー、ワールドver4.4.2」