さて、名家の没落は起こってしまうものなのである。

 

なぜなら、価値観というものが絶えず変化する中に、

名家独特のルールである「家訓」というものがある。

 

そして、その家訓を定めるのは初代か2代目である。

家系の没落を危惧し、後進の助けとなるように定めるのだ。

 

そうやって、基礎より経済的な概念を醸成する事なく既成の概念にて考える。

最初は強いのだ完成された概念を持つ人自体が少ない為に、

他人がその領域に達するまでの過程をスッパ抜いて、若くして闘えるのだから。

では何を憂慮すべきなのか?

それは、応用の概念より入る為に、その概念の可変性に欠けるという事だ。

金の価値観や生活の水準を見れば、苦労をした記憶なしにそれは当然となる。

 

温室育ちが外気に晒されればどうなるか想像に難くないだろう。

時間をかける以外に適応のしようがないのだ。

加えて、初代・次代の去った後にはこの「家訓」こそが絶対の成功法則となってしまう。

 

突き落とされても這い上がるくらいでなければ、必ず失敗する。

世の中で強いのは、決められた枠にて高水準を収める人こと優等生ではない。

未だ定められていない枠の中で自分の領域を作り出す ヤツが強いのだ。

 

考えれば、今この時代に解明されていることがいかにちっぽけであるか...

今が全てだと思うから飛び抜けれない。

今の自分が優秀であれば、未知の領域に手を伸ばす勇気を持てない。

今で十分であれば手を出す事が失敗のリスクに他ならない為だ。

何事も完璧を求めれば破綻する。未だ得ず。これしかない。

 

何か培ってきたモノ自体がそもそも誤りであると考える為には、

時代を見て、数字を見て、感情を度外視し、己のプライドの外で闘う必要がある。

どれほどにちっぽけなヤツが最後の最後で立ちはだかるかもわからないのだ。

 

では、没落の回避のためには、自らによる経済観念(哲学)の醸成と適切な時期での継承を必要とする事をここまでに書いたのだが、

 

投機で得た人は大抵が、今の稼ぎを永遠....いや、一年は続くであろうと目論む。

 

これはどうしようもない事だ。

以前の禁欲のエントリーにて述べた「急に自信がつくと周りが弱く見える」現象である。

 

ある程度その状態に慣れれば冷静になれるのだが、

いかんせん、それが自身が至って冷静であると錯覚した状態である為、

(ただ、周囲が臆病すぎるだけだと思っている為)

多くがその回復を待たずして、投機に対し重大な決断を下してしまう。

 

この重大な決断は短期で成功と同様の質量の失敗を導きかねないもので、

一発と呼ばれる人はそれをやらかしている。

 

個人の成功が返ってより大きな代償となる「三日天下」の様相である。

 

もう一つ蛇足だが、没落はいとも簡単に訪れる事を心に刻んでほしい。