イムジャ・カップルdollの服作りですが、
 
まずは・・・
下着を作らなくっちゃぁ~ぷハート
 
と思って、ネットで高麗時代の服装について調べてみました。
 
 
なにせ、
 
高麗時代の歴史書や資料が乏しい
 
というかほとんど残ってないみたいで、北の方にはあるのかもしれませんが、
自国の学者さんでも解らないようなことが、私なんぞにわかるわけもなく…
 
いきなりの挫折です落ち込む(orz)↓
 
 
 
 
日本では、着物時代の女性は腰巻のみでした。
高麗時代は、日本でいう平安~鎌倉時代頃だから、
同じようなもんだったんじゃないの~?
 
というのが私の考えです。
 
 
つまり、すっぽんぽんだったのでは、
ということです。
 
 
ただ、女性には月の障りがあるので、「月経帯」と呼ばれるものがありました。
簡単に言うと、ふんどしです。
平安時代に書かれた書物の中に、「月帯(けがれ布)」というものの記述があるそうです。
 
 
男性は、というと・・・
 
戦国時代の武将たちは、「六尺ふんどし」という
2mあるさらしをぐるぐる巻いたものをつけていたようです。
力士が普段身に着けてるのみたいなのです。

↑ これは、男の子ドール用の「越中ふんどし」です。

 
越中守だった細川忠興が着したことから由来した、という説があります。
ガラシャ夫人が着けていた月経帯を、一途に奥さんラブな忠興が真似してつけたとか…。
越中ふんどしが赤いのは、経血が目立たないためだったと言われてます。
それがいつしか白色主流になったのかな。
 
「ふんどし」というと、男性のものというイメージがありますが、
月経帯や丁字帯(産後や手術などの医療用ふんどし)をみるに、
起源は女性だったのかな~と思いますよね。
 
 
 
・・・というわけで、
高麗時代に下着はなかったと想定しました。
 
朝鮮王朝時代の服装史を見ると、
パジと呼ばれるズボン型の下衣をはいていたようです。
 
チェ・ヨンは武人だったので、
駆けたり馬に乗ったり戦ったり、相当激しく動くので、
ナニはある程度固定しとかないと都合が悪かったでしょうから、
パジくらいははいてたんだと思います。
 
なので、これで。ちょっと短丈だけど勘弁。

 

送られてきたモノそのままや~ん

というツッコミは、なしねしろくまあせる
とにかく、ヨンのパジを作る手間はこれで省けました。(←ラッキー音譜
 
 
ウンスは、現代の下着をつけてたでしょうから、
とりあえず、ブラを作らないとねらぶ1
 
 
 
 
 

 

 

 

※Yahoo!ブログからお引越ししてきました。

(2015・10・29公開記事)