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こんにちは、青柳 孝予です。
今日もまた少し、私の物語をシェアしますね。
ここまでの話である「青柳 孝予のストーリー(1)」は、こちらのリンクからどうぞ!
さて、アメリカから帰ってきたときは、また高校3年生に戻っていました。
つまり私は、高校生活を、4年間も過ごしているんですよね。
途中1年は、確かにアメリカでしたけれど...
こうやって思うと、この時からすでにそうなんですけれど、私の中の時間の感覚って、ものすごくゆるかったですね。
時間が有限だったと知ったのは、30歳も半ばになってからのことでしたから(^^;
まぁ、生まれたときに、先天性の心臓病があって、生後6ヶ月だか1年で心臓の手術をしたので、本当だったら生き急げばよかったんでしょうけれど。
事実は全く反対で、ここまでのんびり生きられるかっていう位、私の生き方の流れはスローでしたね。
さて、アメリカで一気に勉強する楽しさに目覚め、帰国してからの半年は、受験勉強に費やしました。
日本ではほぼ落ちこぼれだったにも関わらず、周りの思惑を裏切るがごとく、受験勉強は絶好調でした。
実際、途中まではかなりよかったのですが、最後の2ヶ月のとき、あり得ないくらいの恋に落ち、その結果、もちろん勉強は手に付かなくなりました。
そうなんですよ。
恋ってするものではなくて、落ちるものなんです。
今から思えば、あそこで私が恋に落ちなければ、もしくは、恋に落ちても自制心があれば、第一志望校には受かっていたと思います。
それでも、今でも思い出せるほどの、あの時の切なさや甘い感覚は、人生の何物にも変えがたいですね。
こんなことを言っているから、私はいつもエリートの道からは外れているんですけれど(笑)。
私の人生において、「成功」という言葉が生活に存在したことは、全くないですね。
何となく将来の夢を見つつも、そのときに自分が正しいと思える道を選び、それを全力で生きることで、周りからのサポートだったり、新たな道が出てきたり。
一直線に、自分の夢の実現のために生きている人たちからすれば、私の人生は、途中下車が多すぎです。
周り道も多すぎて、何て効率が悪い生き方なんだろうと思います。
それでも、こういう人も、いてもいいかと思います。
世界は、多様性によって成り立っているんですから。
さて、ここからはちょっと早足で行きますね(笑)
私は大学に入り、そこでは色々な人間関係も生まれたんですけれど、結局、2年の終わりに、再度アメリカに旅立ちます。
きっと高校のときと、同じ理由ですね。
余りにも居心地がよすぎる空間は、私には悪なんです(^^;
そしてアメリカで大学生活を始めましたが、「私」という殻にこもっていた日々でした。
数少ない親友はいましたが、自分が何様のつもりで生活していましたから。
だってあの頃の私は、自己完結のシステムでしかなかったですもん。
「私が困ったときに、人は助けてくれない」が、座右の銘でした。
「私は一人で生きていける」、そんな見当はずれで、高飛車なことを思っていたガキでした。
でも、そういう風に思っていると、周りの世界が、本当にそうなって来ちゃうんですよね。
そうしたら、余計にイヤになっちゃうじゃないですか。
これって、もう、悪循環ですから。
結局、アメリカには、5年ほどいたんですかね。
それなりに長かった割には、私の中のダーク・エージです。
自分の論理力には磨きがかかりましたが、私の世界は狭まる一方でしたから。
そして日本での就職が決まったことをきっかけに、アメリカで知り合った人とハワイで結婚して、共に日本に居を構えました。
そして日本での生活は、青柳 孝予のストーリー(3)へと続きます。
あなたの毎日が、もっと大胆に、そしてもっと美しくなりますように...
どんな自分も美しい 青柳 孝予
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