青柳 孝予の 「どんな自分も美しい ー 奇跡に溢れた変化の法則」 -3ページ目

青柳 孝予の 「どんな自分も美しい ー 奇跡に溢れた変化の法則」

私たちには、いくつもの顔があり、そのどれもが驚くほど美しくて。


人生は、変化の連続です。時に大きな、時に小さな。

その変化の波に美しく乗ることで、想像もできなかった未来の自分に出会ってみませんか?

応援クリックしていただけると、とても嬉しいです↓
  ⇒ 今何位?  人気ブログランキング




こんにちは、青柳 孝予です。


今日もまた少し、私の物語をシェアしますね。

ここまでの話である「青柳 孝予のストーリー(1)」は、こちらのリンクからどうぞ



さて、アメリカから帰ってきたときは、また高校3年生に戻っていました。

つまり私は、高校生活を、4年間も過ごしているんですよね。

途中1年は、確かにアメリカでしたけれど...


こうやって思うと、この時からすでにそうなんですけれど、私の中の時間の感覚って、ものすごくゆるかったですね。

時間が有限だったと知ったのは、30歳も半ばになってからのことでしたから(^^;


まぁ、生まれたときに、先天性の心臓病があって、生後6ヶ月だか1年で心臓の手術をしたので、本当だったら生き急げばよかったんでしょうけれど。

事実は全く反対で、ここまでのんびり生きられるかっていう位、私の生き方の流れはスローでしたね。



さて、アメリカで一気に勉強する楽しさに目覚め、帰国してからの半年は、受験勉強に費やしました。

日本ではほぼ落ちこぼれだったにも関わらず、周りの思惑を裏切るがごとく、受験勉強は絶好調でした。

実際、途中まではかなりよかったのですが、最後の2ヶ月のとき、あり得ないくらいの恋に落ち、その結果、もちろん勉強は手に付かなくなりました。

そうなんですよ。

恋ってするものではなくて、落ちるものなんです。



今から思えば、あそこで私が恋に落ちなければ、もしくは、恋に落ちても自制心があれば、第一志望校には受かっていたと思います。

それでも、今でも思い出せるほどの、あの時の切なさや甘い感覚は、人生の何物にも変えがたいですね。

こんなことを言っているから、私はいつもエリートの道からは外れているんですけれど(笑)。


私の人生において、「成功」という言葉が生活に存在したことは、全くないですね。

何となく将来の夢を見つつも、そのときに自分が正しいと思える道を選び、それを全力で生きることで、周りからのサポートだったり、新たな道が出てきたり。

一直線に、自分の夢の実現のために生きている人たちからすれば、私の人生は、途中下車が多すぎです。

周り道も多すぎて、何て効率が悪い生き方なんだろうと思います。


それでも、こういう人も、いてもいいかと思います。

世界は、多様性によって成り立っているんですから。



さて、ここからはちょっと早足で行きますね(笑)


私は大学に入り、そこでは色々な人間関係も生まれたんですけれど、結局、2年の終わりに、再度アメリカに旅立ちます。

きっと高校のときと、同じ理由ですね。

余りにも居心地がよすぎる空間は、私には悪なんです(^^;



そしてアメリカで大学生活を始めましたが、「私」という殻にこもっていた日々でした。

数少ない親友はいましたが、自分が何様のつもりで生活していましたから。

だってあの頃の私は、自己完結のシステムでしかなかったですもん。



「私が困ったときに、人は助けてくれない」が、座右の銘でした。

「私は一人で生きていける」、そんな見当はずれで、高飛車なことを思っていたガキでした。

でも、そういう風に思っていると、周りの世界が、本当にそうなって来ちゃうんですよね。

そうしたら、余計にイヤになっちゃうじゃないですか。

これって、もう、悪循環ですから。



結局、アメリカには、5年ほどいたんですかね。

それなりに長かった割には、私の中のダーク・エージです。

自分の論理力には磨きがかかりましたが、私の世界は狭まる一方でしたから。



そして日本での就職が決まったことをきっかけに、アメリカで知り合った人とハワイで結婚して、共に日本に居を構えました。



そして日本での生活は、青柳 孝予のストーリー(3)へと続きます。




あなたの毎日が、もっと大胆に、そしてもっと美しくなりますように...


どんな自分も美しい
 青柳 孝予




今日の記事を読んで笑顔になれたら、是非1クリックお願いします(^^)


コミュニケーション・会話 ブログランキングへ