昨日、何気なくおかんと話していた会話の内容の中に
ふと思い耽る点があったので、今日はその話し。

幼馴染に誰々くんは○○の社員ですごいんだよ~。
というフレーズ。

何がすごいのか?やその○○というたしかに有名な会社名がすごいのかはわからないが、そこに?を抱きながら会話は終了した。

今、自分の立場というのは先がどうなるかわからないし、今までの人生で前例のないことをやっている。大それたことではない、お店を始めたというだけなのだが、ずっと夢として持っていたことを実現させることが出来た。

その幼馴染がすごいかすごくないかは詳しく話してないからなんとも言えないし、その有名な会社に入ることがおれのそれと一緒で叶ったことなのかもしれない。けれど、そいつはバンドマンとしてそっちも今でも続けているそうだ。おれはきっとそっちで成功することこそが彼の本当の夢なんだと勝手に思っている。

だからこそ、すごいんだよ。の一言にはまったくもって心は動かなかった。

そもそもすごいなんて決め打ち出来るものでもない。
たしかに大企業に入ったとか、公務員だから将来が安泰だということは親の世代やその上の世代からは良く言われる。おれはずっと小さい頃から今思えば、そういうことに対して反対というか、へぇー。くらいに思っていたなという記憶が残っている。

大震災が起こり、大震災に限らず、生きていたら何が起こるかは誰にもわからない。明日が闇かもしれないわけだから。そして、それを去年イヤってほどに教わった。
だからこそ、今こうして夢を叶えた。やりたいことだったから。未来がどうなるか見えないのにやっておかなかったらそれこそ後悔しか残らない。

そして、自分が自分で決めた道を歩いている。
やってみて思うことは、やっぱり先はどうなるかわからない。
だけど、この道を選んだことは正しかったというものを手に出来た。

バンドマンで成功することが彼の思い描く最高の夢であるならば、それを目指すことこそがすごいことなんじゃないかとおれは思ったからあの会話に疑問が起きたんだと思う。

人が思ってくれるすごいと自分が思うすごいはきっとかけ離れたものなんだと気づかされた場面でした。


でわでは....