今日は“核”について少し書こうと思う。

去年の福島の事故を受けて、より身近になった核、放射能。
しかし、67年前の今日、広島を火の海にしたのが原爆、核だった。


おれは原爆やら原発やらのことを事細かに語れるほど知識は積んでいない。
けれど、去年の福一事故を機にそれより以前よりは知識が身についた。

現在の気持ちは【脱原発】であるし、もちろん世界平和になることが望ましい。
そして、今、ここに生きてはいるが、未来の子供たちのために世界を、日本を良くすることが望ましいと思っている。大きな発言かもしれないが、望むこと・見ることは夢と一緒でタダだから許してほしい。

様々な本や新聞の記事やブログ等々を拝見するようになり、最近ものすごく関心させられたことは、60年も前に日本に落とされた原爆、しかも二箇所に落とされたのに世界に核がなくなるどころか日本にだって未だに存在している核というものは今後も切っても切れないものとして続いていくのだろうということ。そして、これ以上の被爆犠牲者を出してはいけないという活動はその当時からあったにも関わらず、自然と無いものにされてしまっている時点で何かしらの洗脳がされていて、今回また原発事故によって盛り上がっているものもどうなるかはわからないということだ。それでも声を上げ続けるしかないということもわかっているが、良い未来が訪れることは難しいのかもしれないと思ってしまった。

それともうひとつ、この先もますます核というものが危険視され、世界中の権力を持とうとする国は核を武器に牽制し合うだろう。その時に核を保有していなかったら間違いなく白旗を挙げるしかない。日本にある原発は紛れもなく核である。これを無くすことが本当に安全を手に入れられることなのかは、本当のところわからない。

この気持ちになっている時点で洗脳されてしまっているのかもしれない。
けれど、それでも核、原発はいらないと思い続けている。

世界中の核や武器が一瞬の内になくなることがあったとしても、必ずまたどこかでそういう上に立とうというマインドが起こり、強さを見せる国が現れる。それが人なんだろう。
死という産まれたものに平等に与えられるその蝋燭の火を少しでも長く燈しておくために人々は争うのだ。


ものすごーく、どんよりとした文章になってしまった・・・。

あ、今日はなでしこ準決勝ですよ!みなさん応援しましょー♪

でわでは....