おすましペガサス私の乳癌

2023年6月14日乳癌告知。

2023年8月14日遺伝子検査陰性。
2023年8月31日右胸全摘手術。
リンパ節郭清無し。

おすましスワン病理結果《浸潤性乳管癌》ステージⅡB

  • 腫瘍(浸潤部)の大きさ1.2㎝ 2個
  • センチネルリンパ節転移あり
    切除した一個に843μmの微小転移
  • 核グレード3
  • エストロゲンレセプター[ER]陽性
  • プロゲステロンレセプター[PgR]陽性
  • HER2陰性(状況0 ❶ 2 3)
  • ki67値38.7%
2023年11月7日オンコタイプdx
再発スコア17
2023年11月16日TC療法4クール開始。
(ドセタキセル➕エンドキサン)
2024年2月23日タモキシフェン服用開始。

ふんわりウイング現在、リュープリンを打つことと、
乳房再建について悩み中。


ホルモン注射、リュープリン予防接種


気持ちが落ちる人が稀にいて、


精神的副作用があるから、強くは勧めない


ニヤニヤ主治医。


落ちそう…私うずまき


果てしなく落ちそう。







私がハタチの頃、母は40代前半。


『お姉ちゃん、帰って来れる?』

京都で大学に通う私に電話してきた。



話を聞くと、自分は生きている意味がわからない。一緒に住んでいる〇〇(当時母は、私の上の弟と2人暮らし)は、男の子だし会話もない。

訳もなく不安だ。


今にも倒れそうな弱々しい声だった。





私は、当時大学2年、1年の時、英語の単位を落としていて、テストをひかえていたタラー


12月上旬、もう少しで冬休み、それまで待てない?と聞いたが、もう、今すぐにでも帰って来て欲しいと言われた。



週末に航空券の予約を取り、急遽、週末の金・土・日、2泊3日で帰省した飛行機






帰ると母はわりと元気そうだったが、私は連日のバイトと勉強で疲れもピークの中、極寒の北海道に帰って来て、帰って2日目に9度近い熱を出したアセアセ



明日帰れるかな〜と不安になりながら、ドラッグストアで風邪薬を買って来てほしいと、上の弟に買って来てもらった。




その時母が放った言葉は、


『看病してもらうなんて、何の為に帰って来たんだかわかんないね』


だった。






この時は『びっくりマークはてなマーク』だった。


帰ってくるんじゃなかった。


テストも受けず帰ったのに。


と。





後々考えると、これが、母の鬱の発症だったんだと思う。





それからは、眠剤を飲み、依存し、睡眠時間に神経質になりながら、軽度ながらも、良くなったり悪くなったりを繰り返していたように思う。





そして、乳癌術後、ホルモン受容体強陽性だった母は、全摘後、ホルモン注射を打っていたと思われる予防接種



そしてさらに、精神的不安定が悪化。





私も同じ道を辿るんじゃないかと不安になる。





副作用の程度や症状は人によってかなり違う。


一度打って、一度でやめるって人もいる。


試しに一度打ってみてもいいか…。


結果どうなるかわからないことにチャレンジしてばかりだダッシュ