2020年9月、最初の土曜。

弟から母と私にお揃いのブラスレットが届いたと連絡が来て、子供達を連れて実家へ行った。



そこにいた母は別人だった。



浮腫がひどい顔で、リビングのすぐ横の部屋にお布団を敷き、私の顔を見るなり、

『お姉ちゃーん、来てくれたのー!』

と、手を握り放そうとしなかった。



『浮腫ひどいよ?先生はなんて?』

聞くと、

『自律神経が悪いんだって』

と。


でも、トイレまで行くのがやっとだと言う。



かなり不安定になってる。

そう感じた。



すぐ入院した方がいいと言った。


弟医師からも言われたと言っていた。


入院は絶対に嫌だと言う母。


コロナ禍で面会制限もあり誰にも会えなくなる。

そんなのは、絶対に嫌だと。





1週間後、心配でまた実家へ行った。


その時は、浮腫も引き、寝室のベッドに寝ていた。


母が取り乱すから、入院の話はしないでほしいと父に言われた。


暑い、寒いと訴え、急にお風呂に湯を溜めて入ったり、大きな声で父を呼び、マッサージをして欲しいと訴えた。


1週間前とは打って変わって、イライラし、

攻撃的だった。


やりくりが悪いから生活が豊かにならないんじゃないか?とお説教が始まり、


弟医師よりも大きな家を建てるなんてどうかしていると責められた。


弟医師の奥さんは男の子三人も育ててすごい。頑張っていると、女の子を育ててる私を蔑んだ。




何がなんだかわからず、

母の心無い言葉に傷つき、

私が頑張ってきたのを何も見てきてないんだとショックだった。

しばらく実家に行くのはやめようと思った。



すると3日後、母から電話があった。



私は、出来損ないの自分を責めるのはもうやめてほしいと、涙ながらに訴えた。


私を爪弾きにしてきて、自分が辛い時だけ連絡してくるのはいったい何なのか責めた。


明日食べるお米も買えない生活も経験したことないくせに、お金ないお金ないと言ってくるのはやめて欲しい、責められてる気がすると言った。


何も楽しいことはない。子育てが終わったら、さっさと死にたいと言った。




母はただ謝り、仲良くしようと言ってきた。




私は泣きながら、『うん』と言った。



それが、母との最後の会話になった。



その4日後、母が自死するとも知らず。