昔話の続きをしましょう。私はどうしても空を飛びたかった。航空自衛隊に入隊して戦闘機の整備員として毎日のように戦闘機を見ることはできましが、パイロットの能力がなかった自分に満足できませんでした。当時ハンググライダーはまだ初期の段階でカイトと呼ばれるような三角形のものでした。何かの本でこのハンググライダーを見つけてどうしても飛びたいと思い箱根にあるハンググライダーのスクールに通ってA級ライセンスをとりました。昭和57年12月のことです。茨城県はハンググライダーの盛んなところで板敷山、足尾山、パープルライン、筑波山と4箇所のエリアがありました。私はパープルラインの会員テストを受けて飛ぶようになりました。パープルラインとは筑波山スカイラインの山頂付近から飛び出すことができるエリアです。B級ライセンス、C級ライセンスをとり昭和59年10月にハンググライダーパイロットのライセンスをとりました。これでようやく各種の大会に出場できるようになり箱根ジャパンクラシックなどの大会にも出場しました。写真は当時使っていたコスミックという機体です。ハンググライダーは上昇気流に乗ると1000mから1200mくらいまでは簡単に上昇します。ぽっかりと浮かんだ積雲は高度1200mくらいのところに浮かんでいますが雲底につくところまで上昇します。



